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月刊メディカルサロン「診断」

9月になると・・・「医療社会のひずみ部分」の列挙月刊メディカルサロン2015年10月号

9月になると考えること

自分にとって好都合なことだけど、社会正義的には望ましくない、という話は身の回りに溢れています。
ある一つの事象が提示、提案されたとき、喜び勇んで「おお、それはラッキーだ。その話、もらった」と思うか、苦渋に満ちて「それは個人的にはいい話だけど、裏で苦しむ人がいるから、受け入れるわけにはいかない」と思うか。人によってまちまちだと思います。
自分にとって好都合なことをすぐに受け入れたいと思うのは人の一般的本能といえそうです。
それに対して、社会正義を念頭に置いて否定するのは、生まれながらの「正義心という本能」なのでしょうか、それとも「教育の成果」なのでしょうか。あるいは、「裏で困窮する人々に対する慈悲の心」なのでしょうか。

9月は私が四谷メディカルサロンを創業した月でもあり、また、私の誕生月でもありますので、ついつい、そのことを考え込んでしまいます。
大学病院の外来を担当しながら、「健康保険制度で成り立つ医療社会。私にとっては生きていくのに好都合だ。しかし、この制度の原資は、医師に比べてはるかに生活で困窮しているサラリーマンから集めたお金であり、その運用現場がこんな姿であるのは、本来のあるべき姿ではない」と思ったのが、医師になって4年目の平成4年の7月。その2か月後の9月には、「あるべき姿を追求する」と旗を挙げて、もう四谷メディカルサロンを開設していました。

ぶれることのなかった私の半生

当時の思いをまとめたのが、平成7年11月に刊行された『一億人の新健康管理バイブル』(講談社)でした。
今、その本を読み返してみると、すでに「健康管理がセールストークの世界にすぎず、学問化されていない」ことと、「患者側の健康、人体、医療に関しての知識が乏しすぎる」ことを訴えていましたから、「私の半生は、首尾一貫していてぶれることがなかったなあ」という自己満足についつい耽りそうになってしまいます。
当然、「健康管理を学問化すること」と「全国民の健康、人体、医療に関する知識を向上させること」が、私の生涯テーマとなり、それらを遂行する途上で執筆した書籍『お医者さんが考えた「朝だけダ」イエット』』(三笠書房)がベストセラーになるという僥倖にも恵まれ、資金繰りを継続し、今に至っていることが奇跡のように思えます。三笠書房の当時の迫編集部長(当時)には感謝の思いが消えません。

平成4年に創業してからの7~8年くらいは、「こんなバカな道を選択してよかったのだろうか?」「行き詰ったら、どこかの病院で、パートと当直の人生だ!」などと悩んだり、開き直ったりと複雑な気分の毎日でした。
「苦しかった」というのは間違いない事実ですが、振り返ってみると「楽しかった。あの頃に戻りたい」と思うのですから、人間の心理は不思議なものです。
自分が経験してきましたので、ベンチャー創業者の各ステージにおける心理状態は、手に取るようにわかります。

これではいけない!医療社会のひずみ部分

さて、健康保険制度を運用する現場に社会正義を感じなくなった平成4年以後の20年余りで、多くの経験を積んで、漠然と「これではいけない」と思っていたものが、尖鋭的な言葉で表現できるようになりました。今回は、それを列挙してみようと思います。
長年の健康保険制度の運用で生じた制度疲労というか、ひずみというか、そういった「ひずみ部分」の列挙です。健康保険制度の70%は大満足するべきものですが、不満に思わざるを得ない30%の部分になります。各列挙文章に対する解説はあえて、記載しませんので、読者の皆さんで考えてみてください。

  1. 患者の手元に薬が余っていても、定時の処方が続いている。その結果、患者の家には飲み切れていない薬が大量に蓄積し、著しい医療費の無駄遣いになっている。
  2. 漫然と惰性的に投薬されているケースが多い。患者、医師、双方に薬を絞ろうという意識が乏しい。
  3. 末期医療サービスが過剰である。年金受給のためだけに『生かしておいてほしい』と要求する患者の家族もいる。医師側はそれを受け入れがちである。患者側、医師側の双方に末期医療改善の意識が乏しい。
  4. 生活保護法適応者などの自己負担がない患者への医療サービスがかえって過剰になっている。ミニマム医療サービスの設定がない。検討しようともしない。
  5. 健康教育で解決するべき予防医学分野に対して、健康保険が適応されて、患者が薬漬けになる傾向がある。
  6. 医師の説明を患者やその家族が理解するのが難しい。理解できていないのに、「すべてお任せします」と言ってしまう。
  7. 健康保険の過剰な利用を医師側、患者側の双方ともが推進しがちである。

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