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月刊メディカルサロン「診断」

診察室の医師を縛るもの(上)掲載日2017年5月2日
月刊メディカルサロン6月号

「何かの病的状態」を訴えて、毎日多くの患者が病院を訪れています。そして、担当医の指示を受けています。
担当医が患者に治療上のベストチョイスを提供しているかというと、必ずしもそういうわけではありません。医師に制約を加えるものが7つもあるのです。今回は、そのうちの3つを取り上げて語ってみようと思います。

1)健康保険制度

日本の医療は、国民皆保険型の健康保険制度の中に存在しています。医師が患者を治療する際の支援制度として誕生した健康保険制度ですが、いつの間にか立場は逆転し、今の医師は健康保険制度の範囲の中で動いています。
つまり、昔は「この患者にはこの治療がベストだ。それで行こう」と主治医が決断した際、「先生、それは保険が通りませんよ」と横から言われたら、「そんなもの関係ない。この治療がベストチョイスなのだ。健康保険が通るように、ストーリーを適当に書き換えればよい」と剛腕的に語る医師が多くいたものです。
しかし、今の医師は決してそんな考え方をしません。「そうか。じゃあ、ダメだな。別の治療で行くか」と素直に考えます。健康保険制度至上主義になっているのです。あたかも、健康保険が通らない治療は、違法であるかのような錯覚をしています。

国は、「国民が健康で文化的な最低限度の生活を営める」ようにするための義務を負っています。その義務を満たすために、医師という資格を認定し、その資格を取得した者に医業にあたってもらっています。
その医業を支えるため、そして国民を保護するために、健康保険制度が誕生し、存在しています。
しかし、国は医師の独立性を警戒するようになり、その独立性を奪い取る唯一の方法が「健康保険制度を通じて、医師をコントロールすること」であると気付きました。
その結果、医師を健康保険制度内に閉じ込める方策を次々と展開し、それに対抗する医師会の弱体化も加わって、国側の方策が成功を続け、現状の医療社会が成立しています。

現状の医師は、治療に関する自由な発想を放棄させられ、患者を前にして健康保険制度を遂行する作業員に過ぎなくなっています。その作業員が、治療にあたっているという背景があることを忘れてはいけません。
また、その健康保険制度は、医療を取り巻く業界を保護するためにも存在していることも忘れてはいけません。「この治療を健康保険で認めたら、高名な医師の多くの顔をつぶすことになる」「この治療を健康保険から外したら、いくつかの製薬会社の存続が危ぶまれる」「この検査を健康保険で認めたら、その医療機器メーカーの業績を伸ばしてあげられる」などの発想が常に存在しているのです。

この健康保険制度が医師に強い制約を与えているのは間違いありません。

2)人間関係のしがらみ

医師の活動に対しては、その医師を取り巻く、多くの関連業者がお手伝いをしてくれます。製薬会社や医療機器メーカーの担当員たちです。俗的な飲食やゴルフなどもあることはありますが、最新の知識の獲得や研究活動の手助けに重要な役割を演じてくれます。また、医師同士の交流のための会合なども主催してくれます。
ここに人間関係のしがらみが誕生しないはずがありません。「この薬がベストチョイスのはずだけど、担当者がよくやってくれるからこちらの薬を使おう」などの思いを持たないはずがありません。昨今、流行している「忖度(そんんたく)」というものです。
費用が高い新薬が使われるのは、まさに人間関係のしがらみを発端としています。このしがらみがなければ、その医師が長年にわたって採用していた薬を変更することはめったにありません。
医療機関に新しい医師が雇用されると、その医師が強力に勧める医療機器も設置されることがあります。医師のバックにその医療機器メーカーがついているのです。

このようなしがらみは、「どんな業界にもつきもの」で「ないはずがない」と考えるのが大人の考え方です。「忖度などない」という子どもじみた議論を強引に通用させようとしているのは、政治の世界だけと思ってかまいません。
人間関係のしがらみは医師に強い制約を与えています。製薬会社や医療機器メーカーの担当者の存在は、陰に陽に、医師を縛りつけ、その判断に制約を与えているのです。

3)研究・教育

○○大学病院という病院があります。この正式名称は、「○○大学医学部付属病院」です。つまり、研究、教育の機関である大学が、その研究、教育の推進のために付属する医療機関を必要として設立された病院です。

「研究のためには、その選択はやむを得ない」「新人医師の教育のためには、その選択もやむを得ない」などは、あって当たり前です。
「高度先進医療」などと言えば聞こえはいいのですが、「やってみなければどうなるかわからないけど、医療の進歩のためにやっていかざるを得ない医療」という側面があるのは言うまでもありません。多くの患者の犠牲の上に、一つの治療体系が形成されていくのです。それが研究というものです。
費用の高い新薬が採用されるのは、人間関係のしがらみを発端としますが、研究上の興味、関心が中押しするのは間違いありません。
新人医師のトレーニングとして医療行為に取り組ませるのですから、一定の小さなトラブルがつきものです。しかし、その小さなトラブルは、「教授」の権威の元でもみ消していくことができます。
「研究、教育のために設立された」というのが、どういう意味であるかを大人の立場で悟らなければいけません。大規模な病院に所属する医師の脳内には、常に「研究、教育を遂行しなければいけない」という使命が念頭にあり、治療のベストチョイスを選択する上での横やりになっているのは当然なのです。

平成4年、私はこれらの縛り、制約のすべてから解放される立場を望むことも含めて、健康保険を扱うことを捨て、プライベートドクターシステムを開設しました。
健康保険制度、人間関係のしがらみの制約がない中で、会員の希望を中心に医療の再編制を進めたところ、ダイエット医療、プラセンタや成長ホルモンを使用する容姿、体力、意欲の回復医療、花粉症注射、背を伸ばす医療などの新しい医療体系が、誕生したのです。

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