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月刊メディカルサロン「診断」

「一億人の新健康管理バイブル」から(後編)掲載日2017年12月29日
月刊メディカルサロン2月号
その1

もう20年以上前になる平成7年に執筆した「一億人の新健康管理バイブル」(講談社)。自筆の書籍ですが、今読み返してみると、あの頃にあんなことを語っていた自分にぞっとします。

今回と次回の2回で、その「おわりに」を掲載します。

「一億人の新傾向管理バイブル」(講談社) 
おわりに

平成元年、私は医学部を卒業し医師になりました。そして2年間の研修医の時代を過ごしました。研修医として患者と接する生活を送るなかで、日本の医療の現状に関するいくつかの疑問点が湧いてきました。そのうち、主なものを少し説明いたしましょう。

ある人が突然病気で倒れて意識不明になったときに、なぜ、付き添う医師が一人もいないのか。

会長、社長と呼ばれるような人でも突然、救急車で病院に運ばれるような事態になったとき、駆けつけてきてその人の以前の体の状態などを説明してくれる医師がいないのです。
医師とのつきあいがまるでなかったわけではないと思いますが、とにかく、救急車で運ばれてきた後に治療を担当するのは、その患者が元気なころには、まったく赤の他人であった医師なのです。入院した病院で初めて知り合った医者がその後の治療を引き受けることになるのです。
たとえば、脳梗塞を発症した田中角栄氏の場合もそうでした。

診察室では十分に説明できない。

自分の体の病状が把握できないために不安になっているという患者が多いのです。「この病気はこういうもので、このような治療によりこうなっていく」ということを医師にきちんと教えてもらえれば、悠然とした気持ちで毎日を送れるのに、というケースが散見されます。3時間待ちの3分診療といわれますが、じゃあ5分間診療するから5時間待ってくれというわけにもいかず、また仮に5分説明したところで理解してもらえるものではないのです。理解してもらうための基礎知識が患者側にほとんどありません。じっくりと説明してあげる機会もありません。

血圧、コレステロールなど実際の危険値と保険上の治療適応の数値が違う。

ある人が目の前にいて、血圧を測定したとき、「あ、この人はこれぐらいの危険性を持っている」と医師は気がつきますが、それが保険上の治療適応ほどでなければ、医師は「まあ、いいでしょう」と適当に対応し、放置しがちです。患者側はその危険性を知らないために、「いい」と言われたからと安心して、なんら改善に取り組もうとしません。保険医療制度上、やむをえないのですが、真実と真実のぶつかりあいでないような気がします。

肥満が原因でコレステロールが高い患者を診たとき、減量方法をじっくりと教えないで、すぐにコレステロール値を下げる薬を出そうとする。

医師がいくら頑張って減量の指導を行っても、その指導に対し、保険点数というものが設定されていません。つまり無料なのです。メディカルはボランティアですから、私は個人的にはそれで構わないと思っていましたが、病院経営という観点からみると、医師が情熱を持って減量指導を行うことはじつに不採算な行為になるのです。だからといって、肥満を放置され薬づけの医療を浴びせられている患者はあまりにも不幸です。

ガンと診断されたとき、医師と患者のやり取りが杓子定規になる。

通常、患者に「ガンです」と告知することはあまりありません。ガン告知を行っているケースは、全ガン患者の約20パーセントです。医師は患者をうまく騙しきれる表現方法をいつも工夫しているのです。しかし、患者の方は「自分はガンじゃなかろうか」と不安になっています。医師からなんとか聞き出そうとする患者と、ばれまいとする医師とが、お互いの心のなかで一種の戦いを起こします。深く悟って何も言わなくなった患者に対しても、医師は「じつはね、○○さん。本当の病名はガンなんですよ」と話すことはありません。この状況で心と心を結び合わせることができるでしょうか。患者が元気なときに1枚、ガン告知の誓約書を記載し、知人の医師に託しておいてくれれば、そのような問題はなくなるのに、としばしば思ったものです。

長生きするために先輩医師が内服している薬がある。

「この薬を飲んでいると心筋梗塞の発症が抑えられるんだよ」と言いながら先輩医師が内服している薬がありました。アスピリンです。なぜ、一般の人に普及していないのだろうか。保険医療制度というものが足枷になる場合もあるのではなかろうか。

ざっと以上のようなものになります。
そもそも今の日本の医療には解決困難な3つがあります。1つが医師の説明不足と患者側の理解困難な問題、1つがガン告知、末期医療の問題、そしてもう1つが医者の出不精という問題です。かなり前から指摘されている問題ですが、どうすれば解決できるのだろうか?

ということを考えたとき、私が到達した答は以下の通りでした。

■なぜか?

「医師と患者とのつながりが、その場かぎりの一時的なものだから」であります。
診察室で毎日顔を合わせている患者を死ぬまで診ることになるという認識が医師側に乏しいと思えます。だから説明不足というものが出現し、また、ガンの告知、末期医療のあり方などがいつまでも解決されないのです。今現在健康な人がいて、医師がその人の死ぬまでの健康問題とつきあう姿勢があれば、いろいろの点で改善できるはずです。

■では、どうすればいいか?

「医師と患者の間に死ぬまでの一生涯の友誼関係を築き上げる」
そのような観点から医療を見つめていこうと考え、平成4年7月、「医師と会員の友誼関係」を素地とした上で、健康管理というものを日常生活に密着して指導していくシステム=プライベートドクターシステムを発案し、活動し始めたのでした。放っておくと長生きできそうにない人に入会してもらい、一緒に食事し、一緒に飲酒し、ときには一緒に旅行に出かける、というように、その人たちの生活と密着しながら、こまめに指導し、定期的に採血し、その結果を会員と一緒に検討するということを繰り返しながら、長生きしていくための生活の仕方を身につけてもらえるよう努力しました。内容も発案当初は、「何かの病気で加療が必要な人へのコンサルタント」が主体でしたが、数年の歳月のなかでノウハウが蓄積し、「病気にならないために医療を活用し、その人個人にとっての最良の健康管理の方法を指導する」というスタイルへと変化しました。するとどうでしょう。一人一人の会員が、だんだんと驚くほど医療に対する知識を身につけていってくれるのです。そして、自分の健康管理に関して、一人一人の会員が見事なまでに正確な判断を下せるようになったのです。
個別に健康管理を指導していく、いわば生涯主治医制の健康管理指導システムを運営するなかで、日本という国が抱える、医療に対する問題、高齢化社会に対する問題を解決していく糸口を見いだしたような気がします。解決の第一歩は、患者側の医療、健康管理に対する知的レベルの向上にあるということなのです。財源的問題の解決方法もそこに秘められているでしょう。

次回に続く

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