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月刊メディカルサロン「診断」

父と息子、父の役割、家族制度・・・夫婦別姓を考える前に掲載日2021年4月2日
月刊メディカルサロン5月号

教訓となる二つの思い出

私は大学生になった頃から、「家族における父の役割とは何か」に関して考え込むことがしばしばありました。息子にとって父とはいかなる存在であるのか、そして、父はどうあるべきなのかという問題です。

大学生当時の私にとって父から受けた「ためになる思い出」は2つしかありませんでした。
一つは、父の運転する車に同乗していた時のことです。前を走るタクシーが停車し、後ろ車の進行をふさいでしまいました。長々と停車して発進しないタクシーの様子に父は舌打ちしながら、
「車を止めてから料金を準備している。ああいうのは嫌いだ。その場所で降りるのがわかっているのだから、走っているときにあらかじめお金を準備しておくものだ」
とつぶやいた思い出です。
もう一つは、両親が営む飲食店を私が手伝っている時、私が語りかけた「メイタガレイの捌き方を教えて」に対して、「板前が毎日そこで調理しているだろ。それを見て覚えろ。男は教えてくれなどというものではない」と怒鳴りつけてきた思い出です。
今でも強烈に覚えているのこの二つの出来事が、私の人間形成に影響を与えたのは間違いありません。一方、これ以外はすべて反面教師になる思い出ばかりでした。父を見れば、「あんなことをしてはいけないものだ」「こんなことをしてはいけないものだ」につながっていくものばかりでした。

成功への絶対的なよりどころ

医師になり、プライベートドクターシステムを考案して、四谷メディカルサロンを開業した直後、30歳の私は多くの経営者と知り合うことができました。経営者の皆さんは、若い私にいろんなことを教えてくれました。自己の人生経験や成功への道のり、経営者としての心得、社会の見方・読み方、自分が歩んできた業界の表システムや裏システムなどです。医師であると同時に、人を雇用して組織を運営していかなければいけない私にとっては、まさに金科玉条の訓えばかりでした。その訓えを胸に畳んで、歩んできたのは間違いありません。
この文章を書きながら思い出しているのは、H氏が話してくれた「できる人、できない人、あんな人、こんな人。人はいろいろ。できる人ばかりを集めても事業はうまくいかない。いろんな人を使いこなすのが成功して行く道。もともと中小企業にはできる人は滅多に集まらないものだよ」です。その話を聞いたのは私が33歳の頃。当社のスタッフに対する不満を私が語ってしまったときでした。何かの機会があるごとに、「あの人から教わったあんな話」が次々と思い浮かんでくるのが私の脳内構造です。

二つの疑問

その頃、私は二つの疑問を感じていました。「成功への社会教育を施してくれているのは父ではない。最近に見知った経営者たちだ。なぜ父ではないのだろうか。私の父は教えることができないのだろうか」という疑問と、「教えてくれているその経営者は、同じことを自分の息子に教えることができているのだろうか」という疑問です。

そのようなことを考えていると、家族構造というものに視点が移ります。「母と息子」はつながりが強いです。息子の成功を心の底から喜び、息子のピンチを心の底から憂い、命を懸けて息子を守ろうとするのは母親です。
他方、「父と息子」は決してそうではありません。その辺は、世の中を冷静に見渡しているとすぐに気づきます。歴史を思い起こすと、平安時代末期の保元の乱と平治の乱が出てきます。父と息子の殺し合いは現実にあったのです。母と息子の殺し合いは歴史に存在しません。父と息子、母と息子の間には、動物としての本能が大きなウェイトを占めているのです。
もう一つ思い起こすことがあります。多くの学力優秀な子供を輩出した優れた学校教育者は、自分の息子の教育にはたいてい成果を出せていないということです。すべてがそうではないのはもちろんですが、優れた業績を上げる学校の先生や塾の先生の息子で、学力優秀な息子というのはあまりいないのです。父と息子の近すぎる人間的距離感が、未成年の息子の教育にネガティブな要素を与えるのでしょうか。また、その距離感は、息子の成人後に社会教育を父が施せない何かになっているのでしょうか。

家族制度を考える大元

「父、どうあるべきか」を考えたと時、私の脳裏には、当然、中国や日本の歴史の中での家族制度も脳裏に浮かんでいます。歴代の中華帝国の帝の家族、日本の歴代天皇の家族、貴族の家族、大名の家族などです。
また、その思考は、二つの路線に集約されていきます。

  • 「母と息子という絶対的なつながりに対して父はどうあるべきか」
  • 「息子の未来の成功のために教育者としての父はどうあるべきか」
    の二つです。

その回答こそが、家族制度を考える大元でなければいけないはずです。未成年時代の息子を育てるのは、本能的に命懸けになることができる母の任務です。その母と息子の生活を資金面で保障するのは父の任務です。そして、将来に高齢になった母を守るのは息子の任務です。息子は母に、決して「寂しい晩年」を送らせてはいけないのです。

成年後の息子に、父は教育者として君臨できなければいけません。息子の未成年時代に息子と父の人間的距離感が近くなりすぎると、父の短所がクローズアップされて、成年後教育がうまくいかないようです。いっそのこと子供が未成年の時は、父は遠くから反面教師として君臨するほうがよいように思います。
ただし、これにはさまざまなバリエーションが存在します。男好きする女が母になった時は、大問題発生の源となりがちですので、注意が必要です。「母と息子の絶対的なつながり」を、父が資金面で保障できない場合も大問題発生の源となります。息子の成年後に社会人教育を施せないなら、父は役割を果たしていないことになります。また、息子がプロスポーツ選手を目指す時は、未成年時の父の役割が大きくなります。「父と鍛えたど根性」は名文句です。

おわりに

夫婦別姓問題が再び論じられることになりました。この問題を考える前提として、前述のような「父、どうあるべきか」に答えを出さなければいけません。その上で、今後の社会の在り方、家族制度の在り方を検討するべきであろう、と思っています。
ところで、その答えを社会の統一見解にできるのでしょうか。各人が自分流の結論を出し、一貫した精神力でその結論を遂行しなければいけないはずのものです。そしてそれには、信条の自由が保障されなければいけません。信条の自由を冒す家族制度は望ましくありません。
この世にポッと現れ、暴れまわって、ポッと消えていく。そのような破れかぶれ的な織田信長型のエイリアン人生を目論んでいる私も、その辺は自分流にしっかりと考えているつもりです。

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