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月刊メディカルサロン「診断」

今思えば、学生時代に取り組んで役に立ったこと・・・前編掲載日2022年12月3日
月刊メディカルサロン12月号

はじめに

私が医師になって5~6年目の頃のこと。私は当時の彼女と一緒に近所の曙橋の坂道を登っていました。向かいから一人の男が歩いてきました。手に木刀を持っています。彼女が私に向かってつぶやきました。
「変な人!」
私には別に変な人には見えませんでしたが、すれ違おうとしたその瞬間、その男は突然、私を見ながら木刀を大上段に振りかぶったのです。
彼女の一言があったので本能的に身構えていたのか、その瞬間、私は男の手元に躍り込み、木刀を振りおろす直前の手元を掴みました。目をむいて驚いている男の顔を視認しましたが、そこで躊躇することなく、私はそのまま相手をひっくり返したのです。そして、倒れた相手に間髪を入れずに、顔面を狙って足で踏みつぶし蹴りでとどめを刺そうとしました。彼女が後ろから抱きついて止めてくれた瞬間、我に返りました。おかげで身体の動きが止まり、男をひっくり返しただけでそれ以上の怪我をさせることはありませんでした。
「行きましょう」と言って彼女が私の手を引っ張ったので、倒れた男を放置してその場を足早に去りました。その場から立ち去りながら、あの瞬間の私の身体の動きは何だったのだろうか、と不思議に思いました。相手が木刀を振り上げて打ち込もうとしたら、そこから遠ざかろうとするのが普通です。しかし、私はその瞬間、とっさに相手の手元に躍り込んでいたのです。相手は、単に、仲良さそうなカップルを見て、驚かせてやろうと思っただけで、木刀を振り下ろす意図はなかったかもしれません(きっとそうだと思います)。
相手をひっくり返したのは中学時代の体育で身に着けた柔道のおかげですが、坂道の下りの方へ向けたので簡単に倒せました。あの瞬間の間合いで、相手の手元に飛び込んだのはなぜでしょうか?自分の身体がそのように動いたことに関して思い当たるのは、高校時代に習いに行った極真空手だけです。
前回の「診断」で書きましたが、暴漢一人が襲ってきた時に対処できないようでは男として失格だという思いを抱いて、高校2年生の時に4ヶ月間ほど当時全盛を誇った極真空手に入門していたのです。あの頃はかなり真剣に稽古に励みました。木刀を振り上げた男との間合いに対して、後ろに下がることを身体が本能的に拒絶したのです。
「いやあ、高校時代にならった極真空手が役に立った」
という小さな感動を得たものです。ちなみに、高校時代の4ヶ月間の稽古で身に着けた格闘術が役に立ったのは、後にも先にもその1回だけです。
若い頃に身に着けた何かが大人になってから役に立つこともあるのだなあと思い、そういえば、若い頃に学業以外の経験、体験、学んだことで、今の自分に役立っているものは何があるのだろうかと振り返ってみました。今回はそれを述べたいと思います。

人生を決めた「社会勉強」

私が中学1年生の7月、母が飲食店を開店しました。40~50人くらいのお客さんが入れる店で、当初は板前割烹を売りにしていました。長男の私は店を手伝うよう母に命令されました。当然、無償奉仕で私はそれを当たり前と思っていました。手伝う業務の内容は開店前の仕込みと食器洗いです。学校が終わればすぐに駆けつけて、10時半くらいまで手伝っていました。中学1年生の坊やが働いていたので、それが噂になり不審に思った警察がチェックをしに来たこともありました。母は警察官に「息子です。社会勉強させています」と応じていました。夏休みの2ヶ月はびっしりと手伝ったものです。以後土日など、店が忙しそうな日に手伝いに行くくらいでした。
中学2年生の終わりくらいまで手伝っていた店の従業員の仕事を見ているうちに、私は「この仕事の後を継ぐのは嫌だ」と明確に意識するようになりました。細かいことは話しませんが、すべての結果、「学業の道で生きていきたい」と強く望むようになり、以後、自らの意志で勉強に取り組むようになりました。学業成績を上げないと「本当に板前になるしかなくなる」という思いは常に存在しました。だから、弟、妹が家の中でうるさく騒いでいても、私は勉強に集中したものです。

家事が趣味に

さて、この中学時代の家業手伝いの経験が、私の人生進路を決めたのですが、今に至って「役に立ったなあ」と思うことが2つあります。
1つは、「食器を洗う」という行為がまったく苦にならなくなったことです。自分の家の中で未洗いの食器があれば、鼻歌混じりに無意識のうちに洗ってしまいます。だから、独身の私の家の炊事場には洗っていない食器が残っているということがありません。食器洗いが苦にならないことからか、洗濯、衣服の片付けなど、いわゆる「家事」がまったく苦にならないのです。むしろ趣味と言えるくらいで、いつの間にか、部屋の整理整頓、インテリアが私の趣味になっています。
この習慣、趣味は、中学時代に毎日3~4時間ほど食器洗いをしていたことが土台になっているように思います。家事が苦にならないことは私の独身計画の一因かもしれませんが、それは人生における選択の幅が広がったことになります。もし食器洗いの家業手伝いがなく、食器洗いが苦であって家事ができなければ、私は早くに結婚していたかもしれません。どちらが良い人生になったかは別議論に任せて、選択の幅が広まったのは確かです。身の回りのことは自分の手でできる、心理的負担なくできるというのは良いことです。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言いますが、まさにその通りです。今になって、中学時代の食器洗いには感謝しています。

今につながる「価値ある経験」

もう1つは、実際に飲み食いする人たちの姿を目の前で見たことです。会話の中身まで聞こえてきます。会合の形態により、会話の内容は様々です。上司と部下が集まった会合でのゴマすり術には感心しましたし、恋人同士の口説き会話は面白かったし、経営者同士が世の道理を語っているのはもっと面白かったです。サラリーマン同士の愚痴の言い合いを聞いて、「俺は将来そうならないぞ」と思ったこともあります。いろいろな大人の会話を耳にして、私は異常な頭でっかちになっていたのかも知れません。考えてみると、中学生の子供が大人の会話を聞かせてもらえる経験など普通はできません。いい経験をさせてもらったものです。その経験の中で、私がつかんだ教訓が1つあります。
来店した人が「今日は来てよかった」と思ってくれたら、必ずまた来てくれるという法則です。しかも次に来る時は、別の知人を連れてきます。何かが不満で、「せっかく来たけどあんまりよくなかったな」と思われた場合、たいていは二度と来てくれません。接客系の仕事は、その日の最後に「来てよかった」と思ってもらえるかどうかがすべてなのだな、と中学時代に悟らせてくれました。この経験は価値がありました。

私が医師になって診療現場を経験した時、息者は皆、満足していませんでした。ちょうど私が医師になった頃は、「3時間待ちの3分診療」「説明不足」「薬漬け検査漬け」と椰楡されていた時代です。ほとんどの患者は「来てよかった」と思っていません。にもかかわらず、繰り返し来院するしかありません。矛盾現象です。先輩医師は矛盾とは感じていなかったようです。
そこで感じた矛盾現象が、その後の私の人生に大きな影響を与えたのは言うまでもありません。今の中学生には、機会があれば、飲食店で食器洗いのバイトをしてみるといいと思います。もらったバイト料を全額親にプレゼントしたら、自分の名声が高まり、将来大きく返ってくるのも間違いありません。

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