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月刊メディカルサロン「診断」

高齢者パラダイス掲載日2023年1月31日
月刊メディカルサロン2月号

不足する労働力の担い手に

先日、千葉県のあるコンビニに立ち寄りました。朝から忙しい店のようで、かなりの客の出入りがあります。私はパンとコーヒーを買ってレジに向かいました。レジに立っていたのは、私よりは年上の70歳前後の男の人でした。ニコニコしながら手際よく会計を行い、商品を手渡してくれました。この男性、品があってどう見ても生活に窮してバイトしているという姿ではありません。
ときどきそれなりに高齢の男性がコンビニのレジにいる姿を見ますが、たいていは「俺は本来、こんなところで仕事したいわけではないのだぞ」的な不満顔で仕事しています。「やりたくないならやるな」と叱ってあげたい気がするのですが、その男性はまったく異なっていました。レジで仕事(ボランティア、あるいはオーナーだったのかもしれません)することに誇りを持っており、その姿を見た私は、朝から清々しい気分になったものです。
コンビニのレジ係といえば、都内では外国人や若い男女のバイト先、中年女性のパート先のイメージがあります。壮年男性はまず見かけませんし、高齢男性もなかなか見かけません。この仕事は人手不足でなり手がいなく、経営側は困っているはずです。しかし、コンビニがなくなれば社会の全員が困ります。コンビニを守り維持することは、社会の使命です。そのコンビニできっちりと仕事するということには、誇りをもって当然なのです。

ふと、私が高校生の頃、実家の飲食店を手伝っていた時のことを思い出しました。フロアで注文の聞き取りを行っている時に、お客さんから、「お兄ちゃん、高校生か?どこの高校に行っているんや」と声をかけられたことがありました。「高津高校です」と答えたところ、一呼吸あけて、「高津高校と言えばブロックで一番の高校やで。なんでこんなところでバイトしてるんや」と尋ねてきます。「職業に貴賎なしと聞いています」と偉そうに答えたいところをぐっとこらえて、「実家の店ですから」と答えたものです。
あの時のバイトの経験が、私にとって大きな財産(知的資産)となり、医師になった後の私の人生に影響しているのは間違いありません。
日本中のコンビニのレジ係が、リタイア後の年齢の男性になって、その男性達が「人手不足で困っているところは俺たちが守ってやるぞ」という気持ちを持ち、それを実行することに誇りを持ってもらえたら、世の中は変わるだろうなと直感したものです。

「ありがとうの習慣」の不思議な効果

私が30歳過ぎの頃、あるプライベートドクターシステムの会員からよく誘い出され、食事などに連れられていました。その人はお金を払うごとに、「ありがとうね」と声をかけます。支払う側なのに感謝の声をかけるのです。タクシー料金を払う時も飲み代を払う時も買い物代を払う時も、「ありがとうね」と必ず言います。初めて見た時、一瞬「あれっ」と思いましたが、お金を受け取った人の顔が幸せ顔に変わります。それまでは不満ありありの態度であったタクシーの運転手も、代金を受け取って「ありがとうね」と言われると、急に態度が変わります。
そのプライベートドクターシステムの会員は、言うまでもなく社会の成功者です。成功したからそのような余裕があるのか、そのような人柄だから成功できたのかは当時不明でしたが、とりあえず私は真似をしてみました。こちらからお金を支払うすべてのケースに、あいさつ代わりに「ありがとうね」をつけることにしたのです。すると身の回りがどんどん変化し始めました。挨拶のつもりの「ありがとうね」が、心の底からの「ありがとうね」に変わっていきました。社会をより高いところから見つめられる自分に成長し始めたような気がしました。どんどん進歩し、従業員にお給料を支払う時にまで「ありがとうね」の気持ちになっています。
冒頭のコンビニのレジの男性にも、会計の際に「ありがとうね」と声をかけました。その男性は、ハッとしたような気配を見せましたが、お互いに目を合わせて微笑み合ったものです。

活動意欲が高まれば・・・

最近、80歳を超える年齢の母に成長ホルモンをすすめる娘さんが増えてきました。80歳を超えて活動性が低下して、家に閉じこもりがちの高齢女性が、成長ホルモンの舌下投与スプレーを使うと活動性が高まり、「デパートに行きたい」と言い出すのです。娘さんといっても50歳代前後の中年女性です。デパートに行く時は、たいていその娘さんか孫を誘い出します。すると、ショッピングのご利益(りやく)があずかれるそうです。
かなりの財産を持つ高齢女性は、活動意欲が高まれば、自分を立ててくれる人や自分を喜ばせてくれる人には施しをしてあげたいという本能が強く現れるようです。施しをする人には人が集まってきます。人が集まってくれば孤独の不安がなくなり、安堵を得ることができます。「活動意欲が高まれば」という前提条件がありますが、そこを満たすのはまさに健康管理学の目的の一つであり、今のところ成長ホルモンが大活躍しています。

夢あふれる高齢者社会の実現へ

私は最近、「高齢者パラダイス」という単語を思いつき、「高齢者パラダイス」とはどういうものだろうかを考えるようになりました。まだまだ漠然としていて実態がつかめません。しかし、社会は私に「高齢者パラダイスと言われる日本社会をつくってくれ」と要請しているように感じるのです。私の使命として取り組まなければいけない気分になっています。
私は6つの生涯テーマを掲げて活動していますが、その一つに「夢にあふれる高齢者社会のイメージづくり」というものがあります。私が30歳過ぎの頃(1990年代前半)、「悲惨な高齢者社会がくる」という話が大いに喧伝されており、テレビをつけると身体が不自由になった高齢者が生活に苦しんでいる姿がさかんに放映されていました。介護施設づくりへの国家予算を必要とした厚労省の情報戦略だったのですが、私はそれに反駁して、「夢にあふれる高齢者社会のイメージづくり」を掲げたのです。
「年をとってもおしゃれを楽しみ、恋を楽しみ、男女仲良く手をつないで公園を散歩する。ときには海外に出かける」という社会が理想と思っていましたが、あの当時私は「イメージづくり」としか述べませんでした。しかし、今は違います。私の手で「それを創り上げてみせる」の気分になっているのです。

歌手、ライブ、ツアーと言えば若者の世界を連想しますが、実はそれだけではなくなっています。サザンオールスターズや、ジュリーこと沢田研二のコンサートには、40歳代、50歳代、60歳代の人々が集まり、大いに盛り上がっています。お金に苦しむ若者ではなく、お金に余裕のある人たちが集まっているのです。若者たちとは全く異なる楽しみ方があるはずです。それらは高齢者パラダイスづくりの切り口のひとつになりそうです。
私は28~29歳の時に、「健康管理を学問化する」と宣言して創業しました。当時、そのかけ声が漠然としており、私自身も何のことかよくわかりませんでした。しかし、多くの人と語らう中でその輪郭を明確にして、健康管理学を築き、ダイエット医療、プラセンタ医療、成長ホルモン医療、EPA体質、子供の背を伸ばす医療、診療現場へのサプリメント導入などの新しい医療をつくり上げ、世に役立たせています。
「高齢者パラダイス」を旗に掲げた限りは、多くの人と語らいながらまずその定義を完成させ、必ず実現させてみせるというつもりになっています。

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