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月刊メディカルサロン「診断」

私の人生を決めた金科玉条と信条掲載日2025年7月31日
月刊メディカルサロン8月号

金科玉条

皆さんは、医学会のドン(首領)と言われた武見太郎先生を覚えていますでしょうか?
私は、慶應医学部の昭和58年の入学であり、武見太郎先生の特別講義を受けた最後の学年になります。その講義は強烈な思い出になっています。
「君たちは慶應医学のネットワークの中で育つことになる。しかし、そのネットワークの中に居続けることにこだわってはいけない。慶應の組織ネットワークから飛び出して活躍しなさい。そしてその成果を最後に慶應ネットワークに持ち帰りなさい」
という話が含まれていました。
そういう考え方もあるのだよ、というアドバイス調ではなく、そうしなさいという命令口調に聞こえました。あのド迫力のエネルギーを発する武見先生が、私のほうをに睨みつけて言うのです。心に突き刺さって当然です。
「そうか、お世話になったところがあったとしたら、その恩返しは、外で活躍して後に成果を持ち帰って果たせばいいのか」
目からうろこの思いでした。大阪から東京に出て大学生活を送っている私には、気がかりな事象が二つありました。
私は、大阪の区立小学校、市立中学校、府立高校の出身です。担任の先生の顔や教わった一つ一つがいつも思い浮かびます。言ってみれば、私を育ててくれたのは、大阪の公立学校です。その私は、大阪を離れた今、東京で生活しているのです。大阪に対する恩返しをどうしたらいいのかな、ということは、大学1年生のその時に脳裏にいつも存在していました。それが一つ目です。
もう一つは、その大阪に親が残っています。息子である私を東京に送り出して、学費、生活費の面倒を見てくれました。それに対して、どうやってお返ししていけばいいのだろうか、ということでした。
武見先生の講義のおかげで、「活躍してから恩返しする。今はお世話になったことを過剰に気にしない」と決断できたのです。「決断して割り切れば気が楽になる」を知ったのも、その時でした。また、「やると決めたら何が何でもやりぬく。失敗したらどうしようなどとくよくよしない。事(こと)、ならざれば一死あるのみだ」という覚悟的なものも、武見先生の講義で導入されたように思います。
「できなければ一死あるのみ、の覚悟で恩返しすると言っているのだ。途中でぶつぶつ言わないでもらいたい」
の思いです。
武見先生と接した人なら、「あの人と接したらそうなるよね」と納得してくれることと思います。
「外に飛び出して活躍し、その成果を元に持ち帰って恩に報いる」
それが、私の金科玉条となりました。
大阪への恩返し、親への恩返し、今は様々な形で行っているつもりです。

信条

1983年に厚生省保険局長であった吉村仁氏の私見的な意味合いで「医療費亡国論」が発表されていました。医療費の伸びを経済成長が支えられなくなったことを危惧して誕生した論で、以後、医療費抑制政策が始まります。
常識で考えれば、人口が増える、高齢者が増える、医療が進歩するのだから、医療費は増大して当たり前。それを「亡国につながる」とはどういうことなのでしょうか?
自動車産業が大きくなっても亡国につながるはずがありません。飲食産業がどれほど大きくなっても亡国につながるわけがありません。しかし、医療産業が大きくなると亡国につながるというのです。
自動車や飲食に対しては、それを望む人が自分の意思で出費します。望まなければその代替物は存在するので、出費を抑えることができます。高級車が欲しいと思っても、お金が足りなければ買わなければいいだけです。豪華なレストランで食事したいと思ってもお金が足りなければ、そんな店に行かなければいいだけです。ですが、医療の費用は、国民から広く強制徴収されています。診療現場での一人一人の出費感は乏しく、だから診療現場で多くのことをしてもらえれば患者側は喜ぶ傾向が生まれます。場合によっては、多くのことを強要する患者もいます。その望みを満たすために医師側は配慮します。出費を抑制しようという動きはどこにも存在しません。そのため国民医療費は、人口増加分、高齢者増加分以上に増える一方になります。そして、その医療費は国民から徴収するのですが、その金額が膨大になり国民が負担に耐え切れなくなって亡国につながる、という話になります。したがって、今後は医療費を抑制しなければいけないとつながります。
私がこの医療費亡国論を記載した一冊に出会ったのは1991年のことでしたが、私はちょうど診療現場で二つの悪質な事象を目の当たりにした直後でした。その二つとは・・・。
研修医2年目のこと、私は都内のある病院に一日限りの臨時当直を頼まれました。夕方にその病院に到着し、とりあえずどんな患者が入院しているかを尋ねました。一晩限りとはいえ、どんな患者が入院しているかくらいは知っておかなければいけません。多くが寝たきりの高齢の患者でした。そんな中で、一人、今夜持ちこたえるかどうかがわからないという患者を診察してほしいと言われ、案内されました。90歳超えのおばあちゃんで、多発性脳梗塞のため身体不自由で自分で食事をとることもできず、寝たきり状態なのですが、肺炎を発症していて息苦しそうにしていました。死を待つだけの状態です。「治療しなくていいのでしょうか」と尋ねられました。カルテを見ると、治療しないで自然経過を見る、という記載がありました。案内人には「このままにしておく方針みたいですよ」と説明しました。その夜は持ちこたえました。
翌朝、院長先生が出勤してきたのです。でっぷりと太った院長でした。その患者に関して、院長に報告しました。すると、院長はカルテを読み始めました。
「治療の指示を出すのだろうか」と私は固唾を呑んで院長の様子を見続けました。院長は突然、大声で傍らの者に指示しました。
「この患者、今月の頭部CTをまだとっていないじゃないか。すぐに撮りなさい」
でした。肺炎で死を迎えるばかりの患者に対して、頭部CTを撮れというのです。一瞬、耳を疑いましたが、傍らの人が教えてくれました。
「今月に保険でできる検査(CT)をまだやっていないから、生きているうちにやりなさい、と言っているのです」と。
保険点数獲得の執念を見て、私は正義の観点から強い怒りを覚えたものです。
同じく研修医2年目のとき、毎週1日だけパートで通うクリニックがありました。そのクリニックは、院長の奥さんがいろいろ仕切っています。診察室に入ったら、その奥さんが来て、私に命じました。「今日はレントゲン技師の先生が来ているから、胸部レントゲンを撮るように」という指示でした。「はあ?必要ない場合でも撮れというの?いやいや、必要がある患者がいたら、胸部レントゲンを指示するだけで撮れますよ」という話の聞き間違いだろうと思いました。
診療が始まると早速、「のどが痛い」というだけで熱が出ているわけでもない患者が来ました。単なる咽頭炎です。薬を処方して帰ってもらったこところ、奥さんが怒鳴り込んできました。
「レントゲンを撮ってと言ったでしょ」
というお怒りでした。病名を「肺炎疑い」にして、「レントゲンが必要です」と患者に話して胸部レントゲンを撮るように言ったのに、そうしなかったから怒っているのです。不愉快極まりません。
以上の二つは、保険点数の獲得を目的とした過剰診療と言われます。医療費抑制政策の中で、そうしないと医療機関が存続できないからそうしているのかもしれません。院長、あるいは奥さんの我欲でそうしているのかもしれません。
その二つの体験直後に、医療費亡国論の文章を読んだので、医療費亡国論の本来の主張をやや曲解してしまったのかもしれません。過剰診療が横行して亡国する、的な曲解です。
本来は正々堂々の医療を展開することにより、医療機関を支えるために必要な資金を得られなければいけないのに、医療費抑制政策のために異なる方向に進んでいるようにも見えるのです。
結局、私がその時に感じて考えを深めた結果をまとめると、「国民皆保険制度下では、過剰診療になる。過剰診療をなくすためには、国民皆保険制度そのものの見直しが必要である」ということでした。
「国民の生活を守るためには、過剰診療を排除しなければいけない。そのためには国民皆保険を改良しなければいけない」
という論となり、私の信条となりました。

無謀な創業の根底

金科玉条と信条」
この二つが心底にあったから、内科の自由診療の道に突き進むという無謀な行動に出ることができたのです。
「国民皆保険制度は必ず崩れる。そのときには、健康保険適応外となる身体不調群を受け入れる医療機関が必要となる。先回りしてそれを作っておこう。健康保険適応にならない=体調不良だけれども病気扱いされない人々が現れる、ということであり、その人たちを受け入れる医療機関が必要な日が必ず来る」
という目論見であり、それに備える医療機関を作ろうと思ったものです。
「外で活躍して、その成果を元に持ち帰る」という金科玉条は、健康保険外で活躍して、その成果を健康保険の見直しのために活用しよう、という路線に反映されています。
病気扱いされない身体不調群とは・・・過体重、疲れやすい、肌質不満、意欲の減退、加齢に伴う衰え、身長の伸びが悪い(低身長)、頭が冴えなくなった、風邪をひきやすいなどであり、それらにメタボリック症候群、高度でない高血圧、症状のない糖尿病、一般的な風邪症状、一過性の頭痛・腹痛、入院治療で完治後の経過観察などが加わります。
つまり、私が会員制の自由診療で日常の相談を受ける中で、「それは○○病院を受診しなければいけません」と答える必要がなかったものになります。
健康保険を扱わない自由診療の医療機関群が必要になる、という目論見は今のところ外れていますが、未来は必ず「的中していた」になるはずです。
同じ社会保険の中でも年金に関しては、バブル崩壊後に、「国民的議論が全くない中で、積み立て方式から賦課方式に変えた」という大事変が今の苦しみの因になっていますので、大長刀(おおなぎなた)をふるうことは可能で、それにより解決の道は見つかります。
しかし、国民皆保険制度は、運用する中でじわりじわりと制度疲労、ひずみが広がったものであり、大元が国民的議論により賛同される中で始まった制度ですので、大長刀をふるうのも困難です。とは言うものの、やるしかない日は必ず来ます。その時には、私が築いた医療と私が経験してきた医療が、必ず役に立つはずです。

成果はどこへ

「慶應医学のネットワークの外で活躍し、その成果を慶応に持ち帰りなさい」という武見生成の言葉を金科玉条としていても、慶應医学のほうが受け入れるかどうかが問題です。今の慶応医学を構成するかつての同僚たちの中には、私への妬みも存在します。その辺の話は武見先生の講義の中になかったなあ、とぼやきがでます。
「国民皆保険制度には過剰診療が必ず付きまとうから、国民皆保険そのものが見直される日が必ず来る」と思い、「過剰診療は悪であり、それをなくすためには、国民皆保険の根本的見直しが必要である」という信条を抱き続けても、健康皆保険制度を堅持しようとする医療社会側の思いは根強く、「政府が動くのは難しいものだなあ」とぼやきがでます。
私の成果は、慶應医学ネットワークに持ち帰るのではなく、医療制度を作る厚労省に持っていくべきかなあ、という気分へと転換しそうになっています。

※金科玉条
絶対に正しいと思ってまもるべきもの
※信条
個人や組織が大切にしている価値観や信念、行動の指針となる原則

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