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風本流医療構造改革・論議編

その1「非統制的乱立が医療社会の現状である」

前号で医療構造改革の方策を発表させていただいたところ、思わぬ反響をいただきました。と言っても、励ましのお言葉ばかりで、ちょっと物足りない気はしています。そこで多くの人からの意見をいただくことを目的として、今年は、医療構造改革に関して議論を深めていく1年にしようという気になりました。関心のない人には、申し訳ないと思いますが、ご容赦ください。

日本の医療構造は明治維新以来の自由開業制の中から生まれたと考えて問題ありません。明治維新当時の日本は、富国強兵、治安維持には、そうとう気を遣ってきましたが、「国民の健康を守る」という健康政策にまでは、気が回りませんでした。そこで、「医師として認められた者は、自由に開業して地域医療にあたってください」という制度を作ったのです。「国民の健康を守るために、このような医療システムを作り上げるべきだ!」というようなビジョンは皆無だったようです。当時の詳細はよく分かりませんが、やむを得なかったであろうと、私は思っています。
この自由開業制を土台として、日本の医療構造は出来上がっています。今の構造を一口で言えば、「非統制的乱立の結果の非効率的医療構造」となっています。同じような病院が、そこらにたくさんあるのです。医療機関が果たすべき機能に焦点をあてた気配が感じられません。
特殊な病気の患者も、ちょっとした風邪の患者も、高齢者特有の弱った身体を持つ患者も、ガンの患者も、富裕者も、生活困窮者も、すべて同じ病院に集まっています。また、眼科や耳鼻科、外科など「手についた技術」を土台とする医師と、内科、精神科などの「頭の中に収めこんだ技術」を土台とする医師の活動を明瞭に区分けしていません。当然、それに応じた医療機関の地域配置なども、国家的見地からの視野の中には入っていません。
国立病院都立病院などができましたが、それらも結局は非統制的乱立の一つに過ぎません。「とにかく、病院が必要だ」くらいのイメージの中で建設されてきました。

同じような病院が乱立しているということは、過剰投資をもたらします。日本のCTの普及率は世界一です。2位のオーストラリアの2倍の普及率で、ダントツの1位です。しかし、喜んでいられません。この設備は国民医療費の一部を構成しているのです。設備があればメンテナンスが必要です。操作するために人員が必要です。「検査器をフル稼働させなければ」という邪(よこしま)な本能も芽生えます。そしてこれらは、医療費高騰という結果で現れます。医療費は現状においては、国民から広く徴収するという形式で満たされているのを忘れてはいけません。
同じような病院が乱立していることは、当然、人員の非効率的配置をもたらします。従事している人員がどれほど増えても、現場からは「不足している」という声が上がってしまうということです。

非統制的乱立が生まれてしまったのも、長年の経緯を分析すれば、やむを得なかったと思います。「誰かが手抜きをした」「誰かが錯誤方針を立てた」と断じるには無理があります。自由開業制の中で、社会的要請と医療機関側の本能との結果、自然発生的にできあがってしまったのです。
昭和36年には、医療機関に無駄遣いを可能にさせる国民皆保険制度が布かれました。乱立に拍車をかけたのです。ただし、社会的要請がバックにあったので、責めるものではありません。

明治維新以来の百数十年の歴史の中で、医療組織は巨大な既得権益軍団を形成しました。不況にあえぐ日本の中で、貴族社会を形成したのです。あたかも貧しい農民群から搾取している平安貴族のようです(もちろん、没落する者も一定割合で存在します)。厚生労働省は、その巨大な既得権益軍団との戦いを余儀なくされています。「国民のために既得権益軍団と戦う」という姿勢を明確にしてくれればいいのですが、既得権益軍団に擦り寄ろうとする者が現れるのが問題です。また、医療機関には現に通院している患者が極力味方になるので、行政側は手を下すのが難しくなります。
ただし、私は医療費削減論者ではありません。これについては後に語ります。

国立病院などを独立行政法人化する動きが見られました。これは、「医療機関は非営利である」という大義名分下で、油断と隙(すき)だらけの経営状況に陥った医療機関に対し、「コストを削減して、売上を高めよ」という、実態的な営利組織化の指令を出したことに他なりません。国家直営の医療機関は、経営的にそこまで追い詰められていたのです。この真の原因は、無駄遣いというよりも、むしろ、同じような医療機関の非統制的乱立にあると私は思うのです。

医療機関側にも悩みの種があります。それは救急医療です。まったく見知らぬ患者が突然搬送されてくる、という事態に対して現場の医師は不安を拭いきれません。「治療がイヤだ」というのではなく、患者のバックに潜む問題がイヤなのです。すさまじいクレーマーが一族にいたなどというのはその問題の一つに過ぎません。死ぬべくして死んでしまった患者に対しても、一応、患者側は医療過誤として訴えてきます。それを助長することを仕事とする弁護士たちもたくさんいます。訴状を背負ってしまえば、その医出世の道を閉ざされます。
政府側は、救急医療を何とか統制していこうという一つの現われとして、3次救急、2次救急、1次救急という分類を行いましたが、できてしまった医療構造内の医療組織に対して、後追い的な苦肉の策に過ぎません。

医療構造改革の楔(くさび)の一手はまさにここにあると私は思うのです。国家直営の高度な救急病院群をつくるのです。救急患者はどしどしそこへ運び込んでもらいます。従事する医師は国家公務員であり、官舎に住むことができ、日本中を周期的に転勤してもらいます。救急患者の場合は、駆けつけてくる家族と医療側とのコミュニケーションを現状よりもっと大切にしなければいけません。大抵の場合、家族はぎりぎりまで放置されています。このコミュニケーションのためだけの医師を定めることができれば、優れた体制が出来上がります。その役割を、近所で開業する医師が、月に1日ぐらい出仕してくれる、というようにできれば、しめたものだと思います。

国家直営の救急病院での医療サービスは無料にします。ただし、ここに搬送された患者に対しては、治療結果に対するクレームを認めません。そして、救急搬送患者の初期治療を完成させたら、できるだけ早く他の病院に転院してもらいます。この救急病院での検査設備や検査技術(CT、内視鏡など)は、近隣の開業医の利用も可能となさしめ、過剰設備投資や逆に設備不足を防止する防波堤となってもらいます。

この病院は、やがて、生活困窮者の日常治療を受け入れる病院に変貌させていくと、医療構造は大きく進歩していきます。それについては、また次回にお話します。

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