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風本流医療構造改革・論議編

その20「へき地医療改革:日本のどこに住んでも健康安心にしたいもの」

はじめに

人類が農耕を始めた頃、健康に関することはどのようになっていたのでしょうか?当然、体調不良の実体などわかるはずはなく、高血圧や糖尿病などの概念があるはずもありません。身体に支障なく普通に生活できるか、何かの支障があり普通に生活できないかくらいの分け方しかなかったことでしょう。

痛い、痒い、しんどい、下痢するなどの症状が出たときに、自然に治るか、そのまま続くか、ひどくなるかの3つの分類しかなく、その過程には呪術のような治療行為がなされていた姿が想像されます。やがて、なんだかよく分からないけど治った、あるいは死んでしまったという最終結果になるのでしょう。
その時代の寿命は30歳そこそこだったそうですから、心筋梗塞や脳梗塞、ガンが発症する年齢でもなく、おそらく、感染症で死ぬ人が多かったのだろうなと想像できます。楚漢の時代の軍師笵蔵(はんぞう)も背中にできものができ、膿が溜まって死んだと記録されています。また、この時代の女性にとって出産という行為はまさに命がけであり、生まれた赤ちゃんが無事に育って1歳を迎えられる確率もかなり低かっただろうことも連想されます。
しかし、そんな時代でも、それなりに進歩すると漢方薬というものが誕生し、その時代にすでに論語や孫子の兵法などの数々の書籍が残されていたことには驚愕します。
医療が誕生する前の時代、あるいは医療誕生の黎明期においては、健康に対する概念はその程度のものだったのでしょう。「生活する」というものと「医療サービス」というものが切り離せないものになっている現代においては、その時代の健康感を想像することさえ困難です。

さて、今回のテーマは、「へき地医療改革」です。冒頭の話から、今の時代がいかに恵まれているかが分かります。「へき地」といえば、農村部、離島、過疎地、豪雪地帯を想像しますが、それほど極端でなくても、人口が少ないエリアを総称します。

へき地といっても、都会部の充実しきった医療のサービスを受けるためには距離的に遠いといっているに過ぎず、身体に関する情報においては、充実しているといって差し支えありません。ふと、バングラデシュの田舎町・シャトキラ県を訪ねたとき、私が語った「高血圧」の話に、皆が「はじめて聞く話だ」といって大感激してくれた思い出が呼び起こされます。しかしながら情報が豊かになることでかえって健康不安が生じ、「へき地」における医療問題がクローズアップされてしまうのも間違いありません。

とはいえ、「情報が豊かになったから気になっているだけさ」などと言っていると不謹慎といわれる世の中です。政府の対策は、へき地に向かって医療施設、医療設備を充実させようという動きになっています。「ハコモノ」行政の一種であり、業界癒着の構造が見え隠れします。実際、へき地においては、CT、MRI、その他の高度医療機器が全国平均以上に充実しており、それらがほとんど稼動しないまま眠っているというケースも見受けられます。設備を充実させれば医師が赴任してくれるのではないかという誤った憶測も関与しています。へき地における医療サービスの向上には、「ハコモノ」に偏らない、できるだけ費用をかけない、そして実効的な手法を検討しなければいけません。

情報、交通、通信回線が充実した今の時代では、解決策があるはずです。メディカルサロンを創業した平成4~10年ごろの私の心には、「メディカルサロンが提供できる医療サービスは私しか提供できない。つまり、この医療分野に関しては、創業地(四谷)近辺の首都圏以外は、日本全国すべてがへき地相当になる。そこでどうするか」という問題がいつも存在していました。その思いの中でどのように行動してきたかを論じることは、へき地医療問題解決のヒントになるかと思います。

政府の取り組み

へき地医療問題に立ち向かう政府の取り組みのキーワードは、へき地指定、無医地区、準無医地区の設定、へき地医療支援機構、へき地診療所、へき地医療拠点病院、巡回診療、へき地診療所への医師・代診医の派遣、自治医科大学といったところでしょうか。キーワードの中で、半径4km以内50人以下の極端な過疎地域が無医地区の定義から外れているのは気がかりですが、ここではあまり気にしないことにします。

政府は「へき地保健医療計画」を策定し、へき地医療機関のインフラ整備、医療機器の購入、維持に多額の公費を投入してきました。1997年の単年度だけで334億円が支出されています。しかし、へき地に医師を派遣してきた医局の求心力低下、卒後臨床研修制度の実施による都会部有名病院への医師集中、地方財政の赤字巨大化などの事態のもとで、へき地医療サービスに関しては十分な成果が見られていません。病院を作り設備を充実させたけれど、肝心の働いてくれる医師がいないという事態に出くわしています。政府側には設備を充実させれば、働こうとする医師は現れてくれるという思惑があったのかもしれませんが、その思惑は外れほとんど成果になっていません。

へき地で働く医師を生み出すために自治医科大学が設立されました(1972年)。卒後の義務年限(9年間)の期間は、半強制的に出身都道府県での指定された公立病院等の勤務になりますので、へき地での医師確保に役立っています。しかし、9年間の義務年限が終了した後もへき地で勤務、あるいは開業している医師は30%以下という惨憺たる現状になっています(30%弱が残ってくれている、というポジティブな評価も可能ですが・・・)。
結局、毎年7700人の新人医師を誕生させ、医師そのものは欧米以上に増加している(人口10万人あたり200人超。アメリカ160人、イタリア200人)のに、その医師が大都市圏に集中してしまい、へき地で働こうとする医師を創出できていないのです。ただし、追記しておきますが、大都市圏に医師が多いからといっても、日本の医療には過剰診療という問題が内在しており、大都市圏の医師たちがヒマになっているわけではありません。

無秩序的に乱立した医療組織を統合して、へき地対策を考えなければいけない政府としては、「へき地保健医療計画」のような観点で対策をすすめるのも至極当然だとは思いますが、その成果を評価すると、今後は異なる視点で進めていかねばならないと思います。

政府発想からの転換

政府の観点は一言で言えば、「へき地住民のいる地域に医療機関を設けていこう」とするものです。しかしその考え方は、「医師の心」というものに視点を当てると、その本能の流れに反していることがわかります。「北風と太陽」を語るまでもなく、人の本能の流れに反する政策は、必ずひずみが現れ瓦解します。医師の本能の流れに従うへき地医療のありかたを念頭に置かなければいけません。自治医科大学においても、義務年限後へき地にとどまって診療を続けている医師が30%弱になっているのは。へき地から去りたいという本能があるからです。報酬を上げても、設備を充実させても、バックアップ体制を作っても、医師がへき地の病院に従事したいと思う本能を呼び起こせないのです。

そこで考えなければいけないのは、本能的に「へき地にいきたい」、あるいは「へき地のことが気がかりだ」と思わせる手法はないのだろうかということです。

ゆえに、思い切った発想の転換が必要になります。「へき地に医療機関を作り、医療設備を整え、医師を呼び寄せる」という発想から脱出して、医療サービスに接するのに苦労しているへき地住民の悲痛な叫び声に焦点をあてて、「どんな手を使ってもいいから、まずは、へき地住民の不安を解消する。その延長上に新たな手法が生まれないだろうか」という発想へと切り替えるのです。そこで役立つのが、全国にメディカルサロン事業を展開した私の経験です。

メディカルサロン事業の展開の思い出
・・・へき地医療改革のヒントがここにある

私が大学病院の外来を担当していたときに感じたのは、診察が「その場限り」の繰り返しになっているということでした。患者が診察室に入る直前にカルテを一瞬でざっと見れば、「ああ、この病気のこの段階の患者」というのがすぐにわかります。「となると、今日はこうして・・・」と頭の中に浮かび、そのとおり診察して「はい、お大事に」となります。患者が診察室を出て行ったら、もうその患者のことは忘れ次の患者のカルテを見る・・・つまり、患者の継続する生活の全体像を見ているのではなく、その瞬間に時間をぶつ切りにして観察し、医療的判断を与えるという作業を1ヶ月周期で繰り返しているのです。患者の生活を中心として治療が遂行されるのではなく、カルテに記載された病状変化を中心として治療が遂行されているのです。

私はその状態を「その場限りの繰り返し」とみなしました。人を見るのではなく、病気の変化しか見ないのです。そして、そうでない医療を行いたいと思いました。1人の人を生涯にわたって診ていくという医療に取り組みたいとの思いから、「医師と患者の生涯の友誼関係」を土台として、予防医学的知見を結集した健康管理を指導すると謳ったプライベートドクターシステムを考案したのでした。
プライベートドクターシステムは会員制です。現時点で健康な人や健康の悩みを持っている人に入会してもらいます。会員に対して、日ごろは健康チェックならびに必要な指導を行い、健康トラブルに備えては携帯電話で待ち構え対処方法を指導するといシステムです。後にセカンドオピニオン的なものも含有するようになりました。
このシステムを東京・四谷でスタートさせたところ、地方から遠路はるばる訪ねて来てくれる人が現れました。私の著作である「一億人の新健康管理バイブル」(講談社)が版を重ねたこともあり、遠方からの入会者は日に日に増え、全国から集まるようになったのです。特に大阪と名古屋から多く集まりました。
日本中から集まってきてくれたのは、私の書籍の影響だけでなく、私が実施しているタイプの医療を行う医師が他にいなかったからというのも大きな理由でした。つまり、私が築いたプライベートドクターシステムという医療に関しては、首都圏以外はへき地と同様であったのです。地方において、へき地から病院のある地域まで遠路はるばる診察を受けに行くのと同じ現象が、プライベートドクターシステムで生じました。

遠方の人に安心感を持ってもらうためにまず取り組んだのが、携帯電話による連絡体制の確保です。会員は私の携帯電話にいつでも電話できるようにしました。突然の重大な健康異変が生じたときに、電話一本で解決できないことくらいは分かっていましたし、夜中などにもしょっちゅう電話がかかってきたら大変だなという思いもありました。しかし、不安解消のためにやらねばならないことだったのです。結果的には、この携帯電話計画はうまくいきました。私にいつでも電話できるようになった会員の皆さんが、「大人の対応」を心がけてくれたからです。事前には想像できなかった好結果でした。

次に、遠方からお越しいただくのは申し分けないという思いから私が執り行ったのは、往診出張拠点の開設でした。大阪と名古屋に電話一台を配置した一室を設け、私が東京から1ヶ月に一回その拠点に往診するというものでした。それだけで、大阪と名古屋の会員はずいぶんと身近な存在になりました。身近な存在になると何かと歓待を受けることになり、その地に出向くようにしてよかったなあという思いが積もっていきます。医師冥利に尽きますので、東京から大阪、名古屋に出張移動するくらいは苦痛でも何でもなくなりました。

会員は健康トラブル時にはいつでも電話できるという体制は、私の診療技術を向上させました。電話一本を受けることから始まる診療技術が私の中で高まっていったのです。会員の日常生活、仕事ぶり、健康状態、発症するとしたらどんな病気かという健康リスクなどは、日ごろの診察により私の手元で把握されていますので、携帯電話が鳴った瞬間に「あ、こんな事が起こったのかな」と連想できます。逆に、事前にこんな事を聞いておけば、急病の電話の際に病態のイメージが湧きやすいというものも察知できるようになりました。日ごろの健康状態だけでなく生活スタイルや生活信条までも把握しておけば、電話で話を聞くだけで身体状況を連想し診断できてしまうのです。当然、「このようにしたらいいです」という指示・指導は瞬間的に可能になり、声色に触れただけで「この人がこのように言うのは、由々しき事態だぞ」なども直感できるようになります。

一方で、日常のちょっとした健康トラブルであれば電話で病状を聞くだけでほぼ病態を想定・診断できてしまうので、「ああ、手元にあの薬を持っていてくれたらなあ」と思うことが次第に増えてきました。そこで、会員には事前処方と称して、利用頻度の高い薬をあらかじめ手元に持っておいてもらうことにしました。この事前処方により、会員の健康トラブル時は電話だけで解決できるようになったのです。

やがて、この出張拠点にはテレビ電話を設置する事になり、まずます身近になりました。テレビ電話は直接診療の武器というよりも、日ごろの診療を補完するものとして役立ちました。
これらを健康保険で行うと異論が出るかもしれませんが、メディカルサロンは健康保険を使っていません。
なお、余談ですが、会員の社会的背景や生活信条までをも把握して健康管理指導にあたっているうちに、派生医療が誕生しました。「一般生活を営む人たちの声に真摯に耳を傾け、その訴えるところを医療的手法により解決する」という道を追求していくと、治療中心の医療は再編成され医療の新しい道が開拓されていくのです。ダイエット医療、容姿、体力、意欲の回復医療、子供の成長を見守る医療、花粉症注射、疲労回復医療などを生み出しましたが、それらはすべて派生医療に該当します。

さて、その出張往診拠点での活動に利便性を加えるために看護師を配置しました。会員は私と電話でいつでも連絡を取ることができ、いざというときは、その看護師にも動いてもらうようにしたのです。すると、会員は私に直接電話せずに、まずは看護師に電話をする、つまり私宛にはワンクッションおくようになしました。
このことで看護師は生き生きと仕事するようになっていきました。看護師としての技量にある程度自信を持っていると、医師の命令指示下だけで動くのではもの足りなくなり、医師を後見的立場に置き、看護師自身が主体者として、会員の健康をつかさどる立場で会員に接したいという本能が芽生えてきたのです。この本能を法の範囲においてできる限り高めていくことが次のステップになりました。看護師が主、医師を従とするべきケースがいくつか生まれてきたのです。

このようにしてメディカルサロンの組織は成長し、当該地区におけるメディカルサロンクリニックへと進化していきました。会員が協力的で看護師人材も優秀に育ち、勤務したいという医師も現れたことで適切に運営できる店舗へと完成したのです。

へき地医療への応用

メディカルサロン事業発想の原点は、「会員と医師との生涯の友誼関係」を謳った人間関係の確立です。会員と医師との間で日ごろから豊富なコミュニケーションを築き、医師が会員の社会背景、仕事内容、社会観、人生観、健康状態を把握し、その人間関係を基盤として健康管理指導体制をつくり拡大したのがメディカルサロン事業の本態です。

私は日本中を移動しており、近所にいるわけではないのですが、会員は「私との間に人間関係が確立している」「私にいつでも連絡が取れる」という体制に安心を獲得しています。会員の社会背景、健康状態を日ごろから把握しておくことで、健康トラブルの際は電話一本でその全容を把握して、身体状況を診断し適切な指導を行うことができるのです。
その基本的な構造をへき地医療に当てはめて、「近所に病院がつくらなければ」などという困難な構想をもつのではなく、まずは「住民と日ごろからコンタクトをとれる医師を設定していこう」という発想をもつと、極端なへき地に対して次のような医療システムが連想されます。

全国に無医地区、準無医地区が1200ヶ所あり、そこに33万人が住んでいるなら、その33万人の地域に医療機関を設けるのではなく、その33万人の健康状態を把握して、その33万人と日ごろからコミュニケーションをとれる医師を設けるという発想をするのです。
医師1人で300人を担当することができます。その300人は病気を持っている人ばかりではなく、健康な人も含みます。つまり人口300人の全員ということです。
33万人÷300=1100人ですから、医師1100人の希望者を募り、医師1人につきへき地住民300人を担当してもらいます。そして、その300人に対するプライベートドクターに準じるものになってもらうのです。300人はできるだけ同一地域、あるいは隣接地域の人たちを選びます。その300人を担当する医師は、300人が住む地域を含む都道府県中心部の中核病院に勤務する医師から選ぶことができれば理想的です。ここでは300人で統一しますが、地域性、年齢層を考慮して100人でも200人でもいいですし、500人でも構いません。とりあえず本編では、300人と仮定して統一します。
ちなみに、1100人の医師というのがどれくらいの規模であるかを語ってみましょう。日本には約30万人の医師がいます。毎年約7700人の医師が誕生し、引退する医師を差し引いても毎年4000人くらいの医師が増えていきます。へき地への医師確保を目的として設立された自治医科大学の卒業生のうち9年間の義務年限終了者が約2500人います。その辺から、1100人の医師という規模を連想してみてください。

さて、担当医は300人のへき地住民に対し人間関係的に近い存在になりますので、その担当医を仮に住民300人に対する「アプローチドクター」と名づけることにします。
アプローチドクターは担当する300人の健康状態、社会生活の状態を把握します。当然、把握するための面談を行わなければいけません。この面談の仕方に関して、私は強力なノウハウを持っていますがここでは語らないことにします。実は、このノウハウこそ私がメディカルサロン事業のプライベートドクターシステムを成功させた最大の秘訣なのです。面談の現場を見た医師は皆仰天するのですが、ここでは紙面の都合上語れません。政府の要請があれば、私がアプローチドクター達に指導いたします。

1人のアプローチドクターと300人の住民群(健康な人も含むので、「患者」という呼称はあてはまりません)を定めたら、その300人が住んでいる地域に往診出張拠点を一室設けます。大げさな医療設備は一切不要です。そして、そこに看護師を1人配置します。その看護師はその拠点で起居しても構いません。
看護師には、300人に対するアプローチドクターの指導を実現するためのさまざまな技量を身につけてもらいます。その往診出張拠点は、現法規において「診療所」にはなりませんが、処方せん医薬品を看護師の責任管理下で保管し、医師の指示で入出庫できるようにします(医療法の改定が必要です)。これも看護師の技量の一つになります。
また、医師の指示を受けて看護師が採血検査を実施できるようにします。まさに、スーパーナースの誕生です。アプローチドクターとスーパーナースがパートナーシップを組んで、往診出張拠点を中心に300人の健康管理指導にあたります。

300人は体調不良があれば往診出張拠点に電話をします。看護師が応ずるだけで完了することもありますし、看護師からアプローチドクターに連絡をとり指示を仰いで完了することもあります。また、看護師から「直接アプローチドクターに電話した方がいいですよ」と指示されることもありますし、急病度が高ければ、電話を受けたアプローチドクターがドクターヘリを要請することもあるでしょう。
往診出張拠点では、重病の救急への対処や手術の実施などはできませんが、それら以外はたいていできてしまいます。検査設備はないですが、かえって住民とのふれあいを大切にすることになり、検査設備がない分病状を聞きだすテクニックに長けてきますので、アプローチドクターの診断技術が向上します。

アプローチドクターは往診出張拠点に1~2ヶ月のうち1週間ほど出張し、担当住民のうちの必要者とコンタクトをとって、健康上あるいは療養上の指導を行います。
300人を担当するといっても現状は健康な人たちですから、それほど忙しいわけではありません。当該地域への出張中は、心身の安らぎとゆっくり勉強する機会を得ることができます。すると、医師の心には1~2ヶ月に1週間ほどなら担当地域に行きたいという本能が芽生えます。
やがてこの往診出張拠点にテレビ電話を設置するようにします。アプローチドクターの立場では、住民の顔を見ることができるというのも重要ですが、スーパーナースとのやりとりにおいても「顔を見ながら」「ナースと患者の接点を見ながら」にしたほうがいいというケースがあるからです。

こうしてアプローチドクターと住民との間には、往診出張拠点とスーパーナースを仲介して強い人間関係が築かれていきます。医師が当該地区を訪ねたとき、強烈に歓待してくれる住民が現れます。そこでできた人間関係は、次のステップとして想定外のへき地医療改革をもたらしてくれることでしょう。

検討~へき地医療のこれから~

日本中のすみずみに高度設備を整えた医療機関ができて、そこに技量の高い医師がもれなく配置されているという体制を作ることは理想であり、その実現に向かって一歩ずつ前進していく姿勢は必要です。多大な時間と労力、しかも費用がかかることになりますので現実的ではありませんが、実現可能な第一歩目を踏み出さなければいけません。その一歩目としての政府の取り組みは、医療機関作りを主眼とするいわゆる「ハコモノ」行政的で、日本社会の現状と未来のあるべき姿を見越した理想的なものとは思えません。

医師がへき地への赴任を望まないのは、患者との関係はちょっとやそっとでは切り離せなり、「そこで生涯を終えることになる」という悲壮な思いが関与するからです。しかし、多くの人がちょっとした旅行で気分転換することを望むように、期日限定であればむしろへき地へでも出かけていきたいと思うのが人の本能です。
へき地に長期間、あるいは一生涯にわたって「行ったきりになる」という思いを打ち破るために、期日限定で都会部とへき地を行き来するという体制を作ることが発想転換の基礎になります。

日本全国に医療組織を築く場合、同じような機能を持つ医療機関が広く分散するのは望ましくないと私は思っています。人口の少ない地域に高機能の病院を作ろうとするよりも、その地域の病院における医師配置体制を確立することが重要で、そのためには都会中心部に高度機能を有する中核病院を配して、そこに大勢の医師を確保し、そこから「1か月のうち1週間」という期日限定で、人口の少ないエリアに医師を送り込む体制を築くことが現実的な手法だと思います。

人口が少ないといっても、それなりの規模の病院がすでにある場合は、都会の中核病院から1か月のうち1週間単位で派遣する医師を定めれば、中核病院にいる4人の医師で地方病院の1ヶ月の毎日を満たすことができます。
医療機関そのものが存在しない無医地区や準無医地区などの最へき地に対しては、アプローチドクターを定め、往診出張拠点を設けるというシステムが有効であろうというのは前述したとおりです。

これは、へき地においては充実した医療機関は必要ないことを意味するのではありません。人口密集度が低くなるにつれて設備より人間関係に主眼を移す、つまり、都会部においては医療機関の設備充実に取り組み、無医地区、準無医地区においてはアプローチドクターのシステムへと進化させるのがいいように思うのです。最へき地においては、「医師とのふれあい」をメインとした発想を具現化させるのがその原点といえましょうか。
といっても、現実的には当該無医地区、準無医地区では「看護師が主、医師が従」へと進化する可能性が大きいということも視野に入れておかなければいけません。看護師の意欲向上へと連動させていきたいものです。

地方の中規模の病院で、「医師が週替わりになる」というのを不安に思う人がいるかもしれません。しかし、医師が作るカルテというのは、病状の変化に対し驚異的な継続性を与える仕組みになっていますから、ある外来の担当医が毎週替わる、ある入院患者の担当医が毎週替わるという状態をそれほど悲観するものではありません。患者側からすれば、4人のうち相性の合うお気に入りの医師を選ぶという選択権さえ手に入れられるのです。
このような医療体制を築くには、医療法の若干の改定が必要になります。が、改定こそまさに低コストでできるものです。

ところで、私が描く理想像においては、各都道府県に最終救急病院が設置されており、その最終救急病院の医師がアプローチドクターを兼ねて、1か月のうち1週間の気楽タイムを迎えることができるというふうにしたいものだとも思っています。

まとめ

へき地住民の一定数(約300人)に対して1人のアプローチドクターを設定するという方策を開始すると、へき地住民に対する医療体制は、驚くほどの低コストで自然成長的に解決されることが予想されます。医師と患者、あるいは医師と住民との間に人間関係を築いてしまえば、私がメディカルサロン創業当初は思ってもいなかった新しい医療システムを生み出したように、現状では想定もできない方向へとステップアップする可能性が十分にあります。資金的な後押しがあれば、一定住民数を担当した医師がその地域で開業しようとするかもしれません。

「へき地への医療サービスの充実が必要だ」と声高に叫んで、その分野にできる限り多くの国家予算を獲得したいと思っている政府役人の本能には反することになりますが、天下万民のための一つの提案と捉えて、すばやく実現に移してもらいたいと思います。

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