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風本流医療構造改革・論議編

その6「会計不要の国営病院の役割

会計不要の国営病院を作る

現状の国民皆保険は、自己負担率3割に設定されています。病院の窓口で支払うのは、その受診により要した費用の30%です。

この支払方式を逆転させようという発想があります。つまり、病院の窓口では全額を支払って、後に申請して70%が戻ってくる仕組みにするという方法です。この手法に対しては、医師会が猛反対をしています。「窓口での一時支払額が多くなれば、受診をためらう患者が出現する。その結果、手遅れになったらどうするのだ」というのが反対する大義名分です。一理ありますが、その前提として、「患者が今、受診するべきかどうかを迷ったら、まず受診すること」という啓蒙が存在します。病院側は、患者が一度来院すると、必要、不要に関わらず、病名を診断する為に多くの検査を実施します。最初の診察により、90%以上の確率で「ああ、これは放置しても大丈夫だ」と担当した医師が思っていても、「異常なし」と診断するまでに莫大な費用をかけてしまいます。万が一を恐れる医師側の心理と、せっかくだからいろいろして欲しいと思う患者側の心理が、妙な相乗作用を作り出すのです。医療費高騰の一因です。

私がまだ医師になって2年目の頃です。都内のS病院に夜間当直に行きました。この病院には入院患者が50人ほどいます。その夜、長年入院していたある高齢の患者が息を引き取りました。看護職員が気づいて、当直医である私を呼んだときは、すでに呼吸停止、心停止、瞳孔散大の状態でした。身寄りの人はいないらしく、誰も駆けつけてきません。
翌朝になって、その病院の院長先生が出勤してきました。私の報告を受けて、その院長先生はカルテを「ふんふん」といいながら見つめています。長年の入院患者ですので、何かの感慨深い思いがあるのかな、と思いました。すると、その院長先生が傍らの看護師に向かって叫びました。

「この患者、今月のCTをまだ撮っていないじゃないか。すぐに撮って」

健康保険の決まりでは、この患者の病名(多発性脳梗塞)に対して、一定周期で頭部CTを撮影することができます。今月のCTを撮影する前に死んでしまったから、今すぐ撮影しろと命令しているのです。健康保険の請求用紙には、日付は入れても、検査を行った時刻は記載しません。死亡直前に検査をしたことにしようとしたのです。何やら看護師との間でもめていましたが、私は帰る時間になっていましたので、さっさとその場から退散しました。保険点数獲得に対する執念のすさまじさに触れて、私が健康保険制度を毛嫌いするようになった瞬間です。

過剰診療という語があります。健康保険を利用する患者に対して、しなくてもいい医療サービスをどんどん実施していくことです。病院に通院している人は、多かれ少なかれこの医療に接しています。投与されている薬の種類がどんどん増えていくのは、間違いなく過剰診療と思って構いません。「医療駆け込み寺」の機能を有しているメディカルサロンに相談に来た人で、近所の病院から5種類以上の薬を出されていた人は、ほぼ例外なく薬を減らすことができています。

身近な過剰診療といえば「薬だけの予約」というのがあります。「次回は薬だけ取りに来てください」というタイプのものです。このときのお会計内容をよく見てください。例外なく、「再診料」が請求されています。患者本人は来院しておらず、家族が薬をとりに来ただけですので、当然、診察室にも入っていませんし、医師と顔も合わせていません。しかし、なぜか再診料がとられています。過剰診療やそれに伴う保険点数の過剰請求が国民皆保険制度下で当たり前になってしまっている分かりやすい証明です。

さて、日本の医療史には、高齢患者に対して、実施した医療内容に応じての点数設定(出来高設定)ではなく、1人の高齢患者に対して、1ヶ月いくら、という定額設定を行った歴史があります。その結果、提供する医療内容は変化したのでしょうか。実は、その制度変化を行った結果、その患者の検査回数などが激減したという事実があります。必要な検査は当然行わざるを得ませんが、不必要な検査は絶対に行わなくなります。過剰診療の実体をさらけ出してしまった、医師会にとっては思い出したくないエピソードですが、紛れもない事実です。私の記憶では、その頃から、医師会に対して厚生労働省は強気の行動を露骨にするようになってきたように思います。

国民皆保険制度下では、過剰診療を撤廃させるのはまず不可能です。必ず存在すると断定して構いません。過剰診療の究極は、通院しなくていい人を通院させることです。

ところで、この過剰診療は誰に対して、もっとも派手に実施されているのでしょうか?実は、日本には一定数の自己負担0円の患者群がいます。生活保護などを受けている生活困窮者達です。一時的に窓口に30%を支払っても、補助金などで返してもらえる人たちです。この患者群に対して、病院側がどのような行為に出るかは、もう十分に想像できていることと思います。
一方で、自己負担を根本的に0円にするべき人もいます。小児患者、身体障害者、ガン治療をあきらめた人などです。私見ですが、高齢状態やある病気の末期状態で、未来に向かって食事の摂取ができなくなった患者もこの一群に入れるべきだと思っています。

私の医療構造改革の構想の中には、「会計不要の国営病院を作る」というものがあります。この病院には、本人に1円の医療費も支払ってもらうべきでない患者が大量に来院する事になりますが、過剰診療を極力廃止した医療を実施しなければいけません。というより、極力排除した病院にならざるを得なくなります。
一般の民間病院は、患者を見たときに「できるだけ保険点数が多くなるように医療サービスを提供する」という本能が働いてしまう(通常の医師がそうではありませんので、念押しします)のに対して、会計不要の国営病院では「極力、提供する医療は必要最小限にとどめる。それでいて、トラブルは決して起さない」という本能が働く病院に仕上げていき、その対比の中で日本の医療を成長させていくべきだと私は思います。

日本の国立大学や各都道府県の公立大学には医学部があります。これら公立大学の医学部では、まさに国民から徴収した国費を主財源として医師を養成しています。この公立大学の医学部卒業生に対し、一定期間国営病院での勤務を義務付けることにすると、国営病院に医師人材を溜め込むことが可能です。国営病院は新人医師の研修拠点ともなりますので、一定期間の勤務義務は採用しやすい制度になります。この溜め込まれた人材を活用することにより、医療社会が持つ多くの悩みを解決する事が可能になるのです。
例えば、医師不在地域に一定期間、国営病院に所属している医師を派遣することなどは容易になります。今後、長期間にわたって医師不在地域に行きなさい、というのではなく、4週間のうち1週間だけ交代で地方に出かけるなどの仕組みが受け入れられやすくなるでしょう。いわゆる無医村には、4人の医師が週代わりで訪ねてきてくれることになります。

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