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月刊メディカルサロン「診断」

いっそのこと政党そのものを解散したらどうですか(前編)掲載日2024年2月29日
月刊メディカルサロン3月号

20年近く前のこと。私の知人が衆院選に立候補しました。自民党支部からです。その選挙区の対立候補は強力な現職議員でしたので、知人の当選はまず無理でした。しかし、知人が立候補しましたので、資金援助を申し出ました。すると、支部の男性が二人訪ねてきました。私は軍資金として現金50万円を差し出しました。その50万円を前にして、男は私に尋ねました。
「○○さんの知人ということですが・・・。このお金の扱いは・・・」
「といいますと」
「・・・・・・」
私は、正々堂々の寄付金以外を考えていませんでした。政党支部、あるいは政治団体の収入として記録されるのが当たり前で、領収書をもらい確定申告で多少の控除になるものと思っていました。しかし、その時の一瞬の不協和音が気になりました。
「ああ、このお金を収入として記録しない金銭にしたがっているな」
同時に、その時思ったものです。
「このお金を正規のお金にしなくていいと言ったら、このお金はどこに行くのだろうか?目の前の男性二人のポケットにしまわれても不思議ではない」
国会議員が自己の政治団体の会計を把握していないというのは、会計責任者以下でそのようなお金が横行するということを意味しています。
「会計責任者にすべてを任せていたから、私にはわからなかった」
の言動に対して検察は真実であると認めたそうですが、民間の人々は納得できるのでしょうか。

お金のあるところには

海の中で魚はどこにいるのでしょうか?食べ物のあるところにいるのです。食べ物のないところでじっとしている魚はいません。大平原で動物はどこに集まるのでしょうか?水のあることころに集まるのです。水際で捕食の戦いが展開されます。
人はどこに集まるのでしょうか?社会活動を行って実生活を営んでいる人は、お金があるところに集まるのです。お金を配ってくれるところがあれば、そこに集まります。自民党は派閥解消などと言っていますが、一方で「金と人事を切り離すことが重要」と自ら明言しているのですから、まさにその通りです。

派閥という人間集団は、なぜ成立するのでしょうか?派閥がお金を配る単位になっているからです。もちろん、表向きは政策研究会ということにして、政策を勉強し、考え合う単位集団ということにしています。しかし、勉強する単位集団なら、自民党が各種の勉強会を開設して各自が参加したい勉強会に思い思いに参加すればいいのです。週に1回の例会形式は不要です。お金を配るところには権力欲が存在します(なお、ここで思うのですが、積極的に解散しない麻生派は、お金を配っていない集団かもしれません)。

全国民の代表であるはずが・・・

自民党、国民民主党、立憲民主党、公明党、維新の会、共産党などの政党があります。ある法案に対して、なぜ政党単位で賛成反対を決めなければいけないのでしょうか?国会を形成する議員の一人一人が、自分の意思に基づいて賛成反対を決めるのが本来の姿です。「政党はもともと同じ政治思想を持つ集団だから政党単位で賛成反対を決めるのだ」というのは、理由になりません。「基本的な政治思想は同じだから、ある個別の法案に対する賛成反対は同じ政治思想を持つ者どうしで一致するのだ」というのは暴論です。
「党議拘束をかける」という言葉があります。一人一人が国民の声の代弁者である国会議員に対して、所属政党がその議員の意思を拘束するのです。党議拘束に反したら除名するそうです。そんなものが本当に存在すれば、民主主義とは言えません。なぜ拘束する必要があるのでしょうか?いうまでもなく、ある事情が存在して何がなんでもその法案を通したいからです。
選挙では、「○〇党が勝った、負けた」と表現します。その表現には、覇権主義が潜んでいます。すると「負けず嫌い」などの人間性が関与して、戦いが熾烈化します。だから、政党どうしで、「あいつは敵」「あいつは味方」などに分かれるのです。本来なら皆同じように、「国家どうあるべきか」と同時に「国民をどのようにして幸せにするか」を考えているはずです。敵も味方もありません。是々非々の議論があるのみです(もしかすると、「国民をどのようにして幸せにするか」をまったく考えていないのかもしれません)。

もはや政党は要らない

なぜ政党が存在するのでしょうか?18世紀のイギリスで、同じ政治思想を持つ集団として政党は誕生した、と言われています。誕生のきっかけはそうだったのだろうと思います。しかし、時間とともに、お金を集めてお金を配る単位集団としての存在に変貌したように思えます。政党助成金などを設けて、お金を集める集団としての存在を固めています。年末になると新党結成の声が上がるのも、政党助成金の獲得をめぐってのことです。
「若者の政治離れ」が問題視されていますが、若者は政治から離れているのではありません。SNSなどで個人を深く観察することができるようになった昨今において、「人を集団化させた政党単位の政治」から離れているだけなのです。
なぜ政党が残っているのか。深く分析すると、「メッセージ発信の単位」としての必要性が浮き彫りになってきます。個人がばらばらにメッセージ発信してもマスコミは取り上げにくく、国民にそのメッセージを届けるのが至難です。政党を単位として話をまとめてしまうとマスコミは動きやすくなり、政党単位のメッセージ発信にすることができます。「○○党はこうすることにした。だから、その党の議員をテレビ番組に呼んで、党の代弁者としてメッセージを発信させ、他党の議員と議論させる」という具合です。これが、政党単位ではなく個人のメッセージ発信になると、マスコミは身動きが取れなくなります。そんなマスコミの都合、メディアの性質も関与して、政党は居残っているのです。
いっそのこと政党などすべて解散して、国会議員を「集金、配金が絡む集団」に関与しないバラバラの個人事業主にしてしまえばいいのです。議員個人に紐づいている政治団体も解散です。国会議員には個人事業主として、あらゆる収入と支出を記録し、毎月のB/SとP/Lを作成して公表してもらいます。

その先の政治はどうなる?

政党をすべて解散したらどんな政治が展開されるのでしょうか?まずは、選挙がどのようになるかを考えてみたいと思います。
比例代表制が不要ですので、衆議院議員500人は選挙区から個人名投票で選ばれます。となると、一案ですが、全国を250の小選挙区に分けて、各選挙区から2人の当選者が出るようにします。各選挙区に40万人くらいの有権者がいることになるのでしょうか。立候補者は、その40万人に対する自己のアピールをすればいいことになります。
どのような自己紹介になるのでしょうか?政党が存在していると、なによりも「○○党公認」などが紹介の先頭に来ます。政党がなくなればそれがなくなるのです。第一には、自己の政治思想を短い一語で掲げることになります。「民主主義思想」「資本主義思想」「自由主義思想」「共産主義思想」などと掲げるのでしょうか。場合によっては、「NHK打倒主義」「若者最優先主義」「若者から収奪、そして年金充実主義」「行政合理化主義」「生活保護拡充主義」「ベーシックインカム導入主義」「大企業育成主義」「中小企業救済主義」「不正徹底追及主義」「不貞行為暴露主義」などもあり得ます。

この話、面白くなりそうです。政党を解散すれば、「選挙はどのようになるか」「総理大臣はどうやって選ばれるのか」「内閣はどのようにして形成されるのか」「法案提出は誰がなすのか」「法案審議の委員会はどうなるか」「国会議員の活動資金はどうなるのか」など、果てしない議論になります。続きは次回に述べたいと思います。

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