月刊メディカルサロン「診断」
国民皆保険制度の持続可能な未来に向けての改良論掲載日2025年10月31日
月刊メディカルサロン11月号
「医療費高騰、されど医師看護師の報酬は上がらず」の背景
令和4年の国民医療費が48兆円を超えたようです。国民医療費というのは、健康保険診療の総額が中心で、高度先進医療や保険外併用療法がわずかに含まれます。しかし、差額ベッド代、人間ドック、健康診断は含まれていません。選定療養費(紹介状なしで大病院を初診する場合にかかる費用)も含まれていませんし、純粋な自由診療になる美容医療も含まれていません。
私が医師になった平成元年の国民医療費は、約20兆円でした。そして、わたしが「一億人の新健康管理バイブル」(講談社)を執筆した平成7年(30年前)は、約24兆円でした。あのころに比べて、国民医療費は2倍以上に膨れ上がっています。しかし、平成元年と比較して、医師、看護師への給与報酬は、まったく変わっていません。いったい何に使う費用が増えたのでしょうか?
それを分析してみると、1つは「高齢化に伴う慢性疾患の増加、認知症患者の増加、入院日数の延長」、1つは「高額医薬品の登場(がん分子標的薬、免疫チェックポイント阻害薬、C型肝炎治療薬など)」、1つは「医療機器・検査の高度化(CT/MRI、カテーテル治療、内視鏡手術など)」、1つは「介護との境界領域支出(在宅・訪問医療などの拡大)」に集約されるようです。医師、看護師は、より忙しくなり、より高度な技術、知能を求められる「ここ30年」でした。
48兆円の中には、過剰診療や、重複診療などの非効率性によるものもある程度含まれていますので、「医療費を抑制する」というのが政治的課題として議論されるのは当然です。最も簡単な抑制策は、純粋出来高システムである個別診療事象の保険点数の切り下げです。
48兆円のうち、医薬品費が15~18兆円を占めています。医薬品費だけで、平成元年以前の国民医療費に匹敵するほどです。健康保険は全国民から徴収した公的資金が原資ですので、医薬品の投薬に関しては、最大効率性が発揮されなければいけませんが、現実はそうならず、一部に過剰投薬や重複処方が見られることが指摘されています。制度的な構造も潜んでおり、医療供給体制全体での見直しが必要です。
医師の潜在心理には、国民医療費が増えているのに、自分たちの収入が増えていないので、最大効率性を考えて投薬量を減らせば、自分たちの収入が減るのではないか、という恐怖心が存在しています。新薬の効能効果を試してみたいという思いや、製薬会社の担当員が学会発表や論文執筆で協力してくれたことの延長としての人間関係が作用している面もあるでしょう。投薬量を減らすことには、医師は忸怩たる思いを感じるのです。
医師が診察した結果、「ドラッグストアで●●の薬を買って飲んでください」と言えばいいケースもあるのですが、制度上は処方箋が必要な場合も多く、結果として過剰診療に見える場面も生じます。それどころか、毎月来院させることさえ過剰診療の場合が多々あります。
検査の中でも、CTやMRIにたいしては、医師は依頼を出すだけで、放射線技師らが検査を遂行してくれます。労力を払うのは、医師ではなく放射線技師です。採血も看護師らが行ってくれ、検体を検査室に提出すれば、結果をもらえます。医師は労力を払っていません。だからかどうかはわかりませんが、これらの検査の重複、過剰が目立ちます。ある医療機関でCT撮影を実施して、その結果を含む紹介状を持ってきているのに、自院でまたCT検査を行うという具合です。あるいは、当該患者への絶対的必要性は関係なく、健康保険の範囲で許容されている最大頻度で検査を行おうとします。
一方、内視鏡やカテーテル検査などは、医師が直接の労力を払うことになるからか、最小限の検査回数にとどめられる傾向があり、重複して検査を行うことはあまりないようです。
検査の重複や過剰は、医療費抑制を目論んでいる政治家の眼には、憎しみの対象となります。
政治側は保険点数を切り下げますが、それに対抗して、過剰診療をさらに増強する。その「いたちごっこ」がここ30年の現実でした。
しかし、その30年の結果、国民負担は増大しているのに医師、看護師の給与報酬は増えなかったというのが、現実です。むしろ、謝礼文化が衰退し、医師はその収入を失い、生活レベルは低下しています。
「医師のモチベーション」
企業の一員(サラリーマン)から独立して事業を起こし、成功した経営者は一般のサラリーマンより収入が多いとされます。そのことに異論をはさむ人はいません。
独立するというのは、多大なリスクを背負った瞬間になります。借金を背負うこともしばしばです。大企業の看板を捨て、自分の名前、信用だけで人生を勝負しなければいけないなど、恐ろしく大きなリスクです。看板を失ったうえで、人を雇用し、自分の人間性だけで「人を使う人」として仕事するのは、極端な難しさを伴う大きなリスクです。毎月確実に支給されていた給与に対して、取引先から入金があるのかどうかさえ不明となるリスクは実に恐ろしいものです。そのリスクを乗り越えて成功したから収入が多いのです。
サラリーマンとして、社内で無事故無違反的に、そして没個性的に過ごすように努めていればリスクはほとんどありません。個性を発揮したり、主義主張を述べたりすると、その会社の中で、出世する可能性を得られますが、会社から排除される可能性もあり、これは大きなリスクです。
かつて、「クリニックを経営する院長の収入が勤務医の収入より多いのはけしからん」という論調のマスコミ報道がありました。「人を使う」というリスク、連帯保証してローンやリースを背負っているというリスク、患者を集められないかもしれないというリスク。それらのリスクと戦っている院長(経営者)と、そのリスクを持たない勤務医とを同じ土俵で比較して、収入が云々と論じるなど、馬鹿な報道の典型です。社会の法則として、リスクと戦って乗り越えた分だけ、収入が増えるのが当たり前です。
社会を見るときに「一定の割合」という用語がキーワードになります。街角でチラシを配っていてもほとんどの人は受け取ってくれません。しかし、少ないながらも「一定の割合」で受け取ってくれる人がいます。テレアポでどれほど頑張ってもたいていは門前払いです。しかし、「一定の割合」で聞いてくれる人がいます。その「一定の割合」に希望を見出して創業し、成功を収めていく人もいます。しかし、同時に悪い事象も「一定の割合」で発生します。その悪い「一定の割合」から派生した事象で破産する人もいます。この「一定の割合」から逃げることはできません。
診療現場には一定の割合でミスが起こります。そのミスは人命にかかわる巨大なリスクですので、医師の人生を破綻させてしまうこともあります(私の先輩でそのために自殺した人もいます)。そのミスがたまたま自分にかぶるという可能性は、診療現場の皆に存在しています。だから、医師の収入は多くて当たり前なのです。これを前提としなければ、医師になろうとする人は皆無になり、国家としては国民の健康を守るシステムを築くことができなくなります。「医師は収入が多くて当たり前」を忘れてはいけません。
医療サービス提供の中心者は医師です。それを補助して看護師が存在し、以下、医師の指示を実行するために、薬剤師、放射線技師、各種療法士らが存在しています。
医師が意欲を失えば、医療社会全体が成り立たなくなります。その医師の中には、「どれほどの苦労があっても、患者を救う人生を全うする」という美学的意識と、「こんな生活はやっていられない」という逃避的意識が同居しています。
未婚で家庭を持たない若い医師は、自己犠牲をいとわず診療に取り組む人も多くいますが、家族を持つようになると「自己犠牲をものともせず」は不可能となり、「今の収入が、労力、義務、責任、リスクにあうか、あわないか」という問題がベースに芽生え、そのバランス崩壊の危機の中で生活することになります。ノルマやインセンティブを前にして「収入が増える方向で診療しなさい」という悪魔のささやきや、「美容外科に転職すると収入は増えるのだよ」という悪魔への身売りとの戦いが始まります。「医は仁術」と言い続けることには社会背景的な無理が生じるのです。
初期臨床研修の2年間を終えた直後に、美容クリニックに就業する医師が増え続け、2%を超えました。医学部卒業直後は、志高く、「病気のために苦しむ患者のために尽くしていく」という強い思いを持っている研修医が、実際に仕事をはじめ、先輩たちの頑張っているのに苦しんでいる姿を見ているうちに「こんな仕事、やってられるか」の気分に置き換わる瞬間があるのです。その瞬間はどんな医師も経験します。しかし、葛藤の中で時間とともに乗り越え、悪魔への身売り気分を排除し、一人前の医師になっていくのです。しかし、一過性的にすぎない「悪魔への身売り気分」が芽生えたそのときに人材紹介会社がつけ込んできて美容医療への道を案内しています。
人材紹介会社の在り方には再検討が必要です。過剰な商業主義が若手医師のキャリア形成に影響を与えている現状は望ましくありません。
平成初期には「説明不足」「3時間待ちの3分診療」と非難された医療は、医師が患者を人格体として認めていなかったことから発生しました。しかし、その後、医療社会内部で「患者本位の医療」が叫ばれ、悪い風潮はここ30年で著しく改善されました。
しかし、今は病院の経営側が、医師、看護師らの医療従事者を「前記したような心を持つ人格体」として認めず、「医は仁術」を押し付け、様々な無理を要求しています。要求している最大の無理は、医療費が20兆円から48兆へと二倍以上に増え、医師、看護師に要求される技術、知能、労力、リスクが著しく増えたのに、医師、看護師の給与報酬がほとんど変わっていない、というところに現れています。働き方改革などで改善できるものとは別の次元に問題が潜んでいるのです。
医療従事者の高い使命感に依存する経営体制は限界を超えています。制度として適正な労働環境と報酬体系を整備することが必要です。
「健康保険制度、こうあるべき」
国民から集める医療費の公的資金を急激に増やすことはできませんが、多少の増額は必須かもしれません。しかし、その前に過剰診療排除型の健康保険制度を作らなければいけません。過剰診療部分は「医師も喜ぶ」「患者も喜ぶ」「業者も喜ぶ」であり、倫理的な要求をしても改善不可能です(だから、医療費亡国論が生まれた)。過剰診療は、金額的な多寡はともかく、為政者受けがよくありません。
医療社会は医療サービスを提供する者のモチベーションが何よりも優先される事項になりますので、従事する医療者の人件費の確保を健康保険設定の中心に据えなければいけません。検査、医薬品は付随するものであると割り切らなければいけないのです。だから、検査、医薬品で売上を増やそうとする現行の出来高払いシステムは改良の必要ありとなります。
つまり、医療サービス提供側は、出費の内訳として、医療従事者の給与報酬を第一に確保し、医薬品費、検査費用は付随するものに過ぎないという発想を持つことが大切です。医薬品売上、検査売上をできるだけ多く得て、その差額を医療従事者の給与報酬に充当させようとしてはいけないのです。
そんな考え方をベースとするなら、医薬品、検査に関しては、それぞれ独立した健康保険制度を作り、そこを出来高払いのままとして全国での年間予定総額を固定設定し、1点10円を変動させる比例配分性を設けるのです。年間予定総額を超えたら1点9円、8円と切り下げ、年間予定総額以下なら1点11円、12円と切り上げるのです。そして、それとは別に、医療従事者への給与報酬に相当させる医療本体費を確保する「医療本体健康保険制度」を創設し、その健康保険部分で医療者のモチベーションを維持、高揚させるのです。医薬品費、検査費の年間予定総額が減れば、医療本体費を増額します。
つまり、「医療本体健康保険」「医薬品費健康保険」「検査費健康保険」「その他健康保険」の健康保険4分割論を提唱することになるのです。
医療費の効率化を進める上では、「過剰診療を排除する制度設計」と圖司に、「医療従事者のモチベーション維持」を両立させることが不可欠です。検査・薬剤と医療本体を分離して管理する考え方は、制度改正を検討するうえで一つの方向性となりうるでしょう。
