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月刊メディカルサロン「診断」

勝敗は兵家の常月刊メディカルサロン2004年10月号

オリンピックで見えた、日本人の心の変遷

戦いの世界で勝敗をきっちりと着けることは、気持ちのいいものです。オリンピックを見ていると心底そのように思います。日常の生活に、あまりにも玉虫色の決着的なものが増えてきたからでしょうか。

「勝者を敬い、敗者の健闘を讃える」そのすがすがしさが実にいいのです。オリンピックを見ていると、ここ10年ほどで日本人の心の何かが変わってきていることに気が付きます。

かつて、金メダル候補だった選手が敗れて銀メダルだったとき、マスコミ中心にその選手を非難し、けなすのが日本の風潮でした。その風潮を一気に変えたのは、アトランタオリンピックの田村亮子でした。決勝戦で敗れて銀メダルに終わった、まだ子供といっていい田村亮子へのインタビューを思い出してください。私たち通常の日本人にできるはずのない偉業を成し遂げたのに、田村亮子選手はひたすら謝罪しているのです。「申し訳ありませんでした。皆さんの期待を背負っているのに金メダルをとれませんでした。私がいけなかったんです。本当に申し訳ありませんでした」シーンと静まり返った瞬間です。日本のマスコミは猛然に反省しました。金メダルを取れなかった選手に対する自分たちの苛めが、子供たちにもこんな悪影響を与えていたのだ、と。

それ以後、マスコミの意識の中に「敗者の健闘を讃える」ことの大切さがインプットされました。その流れの中で、日本国民全体に、「勇気を持ってチャレンジすること」を大切にしようという気持ちが少しずつ蘇ってきたのです。

体操団体の最後の鉄棒の3人の中に、日本の風潮の変化が確実に現れていました。優勝がかかった最後の演技ですさまじいプレッシャーのもと、ルーマニア、アメリカ選手が次々とミスを繰り返す中で、日本選手は完璧に近い演技を見せてくれました。チャレンジ精神を讃える風潮が出てきた日本がそのような選手を生み出したのです。その日本人選手の演技を敬服の苦笑で最後に見送ったアメリカ選手も立派に思えます。

まずチャレンジ精神を持てる土壌が理想

「勝敗は兵家の常」と申します。「戦いがあれば一方は勝ち、一方は負ける。それがあたりまえである」という教えです。一般的には、敗者を慰めるときに使われるようです。勝ち負けを競う前段階には、チャレンジする、という過程があります。敗者に大きな声援を送ること、敗者であっても健闘を讃えることは、勇気を持ってチャレンジすることの大切さを教えてくれるのです。

第二次大戦後、特にバブル経済崩壊後、チャレンジすることさえ避けようとする風潮がはびこっていたのですが、アテネオリンピックをきっかけとして、日本国民が一丸となってチャレンジ精神をよみがえらせようとする気配が出てくることを祈りたいものです。

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