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月刊メディカルサロン「診断」

死に別れない限り、別れなし月刊メディカルサロン2004年11月号

「別れる」ことへの悩み

離婚率が上昇しています。相手の不義をめぐって離婚話に進展することが多いのですが、別れた後に相手がより幸せになるかもしれない、というちょっとした嫉妬が別れの悩みを複雑なものにしています。離婚率が高まるのは、「価値観が多様化したから」と結論は簡単なのですが、気軽に結婚することや、妥協させてでも早く結婚させようとする周囲の気配も離婚率上昇の底辺原因になっています。

巷には「別れ」をめぐって、多くの悩みが存在しています。

  • 「別れることができない」
  • 「別れるわけにはいかない」
  • 「もう一緒にはいられない」
  • 「別れた後の将来が不安だ」
  • 「私は耐えているのに、楽しそうにやっている相手は許せない」

など悩みの要点は絞られています。

「出会いがあれば別れもある」と軽く言う人もいますが、別れというのは実際に辛いものです。別れの瞬間は、「これほどのいい人は二度と現れないに違いない」と思いつめたりもします。
しかし、「別れ」をめぐって議論しあっているのは、「お互いの今の価値観で別れる」といっているに過ぎないのです。人は必ず成長していきます。お互いの未来の価値観においては仲良くやっていけることも、よくあることです。「相手の動きに寛容になる」という成長過程もあるからです。

「別れ」ではなく「離」ととらえる

人心の法則から見ると、「別れへのこだわり」は、人生全体のごく局所へのこだわりに過ぎないように思います。解決策は「一緒にいること」に固執することもなく、「別れる」に執着することもなく、「離にあり」というところでしょうか。一時的に別れて、お互いに無視しあい、別方向への自己成長を目指していけばいいのです。その最終結果が、別れることになるか、再度結びつくことになるかの問題です。「離」の時期は、お互いに嫉妬心を持たないことが重要ですが、慣れないうちは、思い切りよく「離」を決断することが難しいかもしれません。

「死に別れない限り、別れなし」

私はいつもそのように割り切っています。仮に別れたとしても、お互いにまだまだ生きているのだから、宿命ならば再会します。「別れるのだ」などと思いつめることもありません。生きている限りは、縁はよみがえることもしばしばです。お互いに一緒にいることが宿命であるのなら、時間を置いて必ずまた一緒にいるものなのです。「別れる」という事象を気軽に考えて、「自分に求心力があるなら、いずれまた一緒になるさ」と気分転換を図りましょう。「自分に求心力がなければ、問題解決に執着すればするほど、悲惨な結果を迎える」と深く悟ります。

私が多くの死の現場を見てきた医師だから、「死に別れない限り・・・」と感じているだけでしょうか。それとも皆さんにも共通して理解していただけるものなのでしょうか?

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