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月刊メディカルサロン「診断」

リタイア後の人生の不安の解消月刊メディカルサロン2009年5月号

高齢化社会が進行して問題になるのは、なんといっても高齢者の収入の問題です。先日、あるゴルフで、たまたま75歳の見知らぬ男性とラウンドすることになりました。「人品豊かで見識あり」の人でした。引退する前は、おそらく大企業の役員を務めていただろうと思えます。引退後の生活に関心を持つ私は、いろいろ質問することになります。彼の言葉をいただきました。

「日ごろの生活費は年金で何とかなるが、やはり、それ以上の出費がある場合は蓄えを切り崩すことになってしまいます。つらいけどやむを得ないです」

と語っていました。「それ以上の出費」というのは、大きな旅行をしたり、ちょっと派手に趣味の買い物をしたり、時には株で損をしたり、という出費です。蓄えを切り崩すのはなんとも無念である、という気分は満載のようでした。

でもちょっと考えてみてください。老後のその出費に備えて、若い頃から蓄えをつくっていたのです。予定通りその蓄えを使っているだけなのに、なぜ、無念な気分になるのでしょうか?おそらく十分な蓄えはあるはずです。それでも、年金のみの収入になった今は、蓄えを切り崩すことに不安が強いのです。それが人の本能というものでしょう。
十分な蓄えがあっても切り崩すときの不安が強いのですから、ぎりぎりの蓄えしかない人は、消費活動を楽しむ余裕などないことでしょう。

この裏には、自分はいつまで生き続けるのか、という問題が潜んでいます。「あと1年で死ぬ」とわかっていれば、蓄えを1年で使い切ることに何の不安も生まれません。うかつに(?)長生きしてしまったときのことを考えて不安になるのです。その男性も、「引退後は10年で人生終わり、と思っていたのに、10年たって、まだまだ元気だから悩みだした」と冗談半分に語っていました。
このように考えると人の本能は、本当に難しいものです。健康トラブルで早死にするかもしれないという不安がある一面で、長生きしてしまうのも、また生活資金の持続性という面で不安なのです。どちらか片方だけの不安にしたいものです。

結局、「蓄えが尽きてしまったらどうしよう」という不安が強いので、日ごろ、思い切った消費活動を楽しむことができなくなるのです。増加する高齢者が消費活動を高めてくれなければ、日本の内需が拡大することはありえません。高齢者の消費が増えなければ若い世代の収入が増えません。内需が拡大しなければ、消費税を導入しても、税収は増えず、国家が苦しむことになるのです。国家を苦しめて、国内の人々が喜ぶという国であってはいけません。
現役引退した高齢者が安心して消費生活を楽しむという社会作りはできないものでしょうか?

私に一つのアイデアがあります。それは「消費功労年金」の導入です。65歳時の個人資産を申告します。そして、毎年の消費生活による目減り分を申告します。投資などによる損失も目減りに加えます。贈与も目減りに加えます。65歳時資産の90%を使いきったときに、使い切った金銭に応じて、もう一段階積み重ねられた年金をもらえるようにします。引退後の生活で、消費生活を楽しんで資産を取り崩したら、それに応じた年金をもらえるようにするということです。さらに、医療費が無料になるというおまけをつければいいでしょう。システム運営が難しいかもしれませんが、こうすれば、まだ健康なうちに大いに人生を楽しもうという気になることでしょう。

実際に90%を使いきる人は、少ないかもしれませんが、気分がラクになります。「気分がラクになる=意欲、士気の向上」です。政治家の皆さんには、こういう「人心」に焦点をあてて、人々が楽しめる国家作りに励んでほしいものです。

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