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月刊メディカルサロン「診断」

婚姻制度は改良が必要である月刊メディカルサロン2009年6月号

「アラフォー」という語をよく耳にします。アラウンドフォーティの略語だそうで、40歳前後の女性のことをさすようです。うまいシンボル用語を創ったものだなあ、と感心します。この世代を連想すると、感慨深いものがあります。

バブル絶頂期に社会人になった世代で、ジュリアナ世代とも言われ、キャリアアップという名の下の転職・派遣時代を築いてきました。バブル崩壊後の日本社会は、その世代の消費活動のおかげで持ちこたえた要素もあります。

この世代は、女性の社会進出と晩婚化、少子化の時代を作りました。合言葉は、「結婚したら生活レベルが下がるから」でした。この世代の人たちは、今は「婚活」という語の影響を受けています。「生活レベルが下がるから結婚したくない」というポリシーだったはずなのに、今になって「結婚が贅沢と安心を与えてくれる」という意味に変貌しています。私は、その世代の人たちと、ここ数ヶ月ほど、莫大なコミュニケーションをとってきました。そして、日本社会に潜む一つの根源的問題に気づいたのです。それは、「婚姻制度のあり方」という問題です。

結婚式では、「汝はこの女性を生涯の伴侶とし、愛し続けることを誓いますか」「はい、誓います」というシンボル的なやり取りをします。なぜ、この儀式が必要なのでしょうか?

たとえば、質問を変えて「あなたは、おなかがすいたときに何か食べたいと思うことを誓いますか?」とされると、どう答えますか?「誓います」と答える必要はありません。当たり前だからです。
人は、「当たり前のようにそうする」ことに対しては、わざわざ誓う必要はないのです。「自然とそうならなくなる」ということに対してのみ誓いが必要になります。結婚式での愛の誓いの儀式があるというのは、「人と人とは、放置すると本能どうしで愛し合い続けることはなくなる」ということを歴史が証明しているということなのです。

実は、キリスト教の誓いは、神と新郎、神と新婦の誓いであり、お互いの誓い合いではないのです。それを日本式に、夫婦間のお互いの誓いに置き換えたので、ややこしい勘違いが生じているのです。「愛し合わなくなる予定の2人を法律的縛りで強引につなぎとめておく」から、そのことにより発生するストレスが、新たな不調を呼び起こす社会になるのです。キリスト教的戒律の世界と日本社会は一線を画さなければいけません。

さて、明治維新において婚姻制度が成立しましたが、当時の政府の方針は、「夫と妻をペアにして、質素、倹約、辛抱の生活を営ませ、生めよ、育てよ、の掛け声で、出産、子育てを行う拠点とし、もって、(外貨を獲得し)、富国強兵政策の原資とする」というものであっただろう、と私は推察しています。そして、婚姻に関する法律は、「質素、倹約、辛抱を営む夫婦を保護する」ということを目的にしています。

この方針は、明治、大正、昭和の時代の日本の発展に寄与してきました。特に奇跡的な高度経済成長は、まさに、この婚姻制度のおかげといえるのです。世界最長の労働時間を誇り、外貨獲得に努め、経済大国の道を歩めたのは、夫婦が「質素、倹約、辛抱」の生活をする、という社会風潮のおかげだったのです。(大和撫子とは何かを思い起こしてください)

今のアラフォー世代=一昔前のジュリアナ世代は、その風潮を木っ端微塵に破壊しました。日本における結婚というのが「質素、倹約、辛抱の生活を営んで、困難な子育てを実現する」ためのものであることを忘れ、「結婚したら生活レベルが下がる」「子育てすると生活レベルが下がる」を合言葉として、「結婚しない、その結果、少子化する」の日本社会を創り出したのです。もちろん、男性側にも原因がありますが、ここではあえて触れません。

今の日本は、伝統的日本社会のあり方を基本とした上で、現代社会を分析して、婚姻制度をバージョンアップさせなければいけません。核になるのは「夫婦生活の保護」ではなく、結婚の容易さ、離婚の困難さ、離婚に派生する慰謝料、財産分与、親権の行方云々の問題などでもなく、「男の務めは、自分の責任下でできた、『母(妻、元妻など)とその子供の組み合わせ』を徹底的に保護することである」を具現化する制度の創設になるのではないか、と思っています。

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