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月刊メディカルサロン「診断」

アルツハイマー病と遺伝の関係月刊メディカルサロン2010年8月号

「つい先ほどの出来事を覚えていない」という事態に出くわしたとき、その当事者は「もしかして認知症のはじまりかしら・・・」と不安になります。「認知症」というのは、言うまでもなく昔の「痴呆症」のことです。親がひどい認知症だったことなどが思い出されると、不安の度合いは高まります。

日常の習慣的行動の範囲での「忘れ」はよくあることですので、病的気分になる必要はありません。たとえば、「メガネどこにおいたかな?」「鍵はどこにおいたかな?」など、生活の習慣に溶け込んで本能的に実行していることは、記憶の回路に残らないのが普通だからです。厳密には、日常的習慣行動は記憶回路に残す必要がないので、いちい「シナプスネットワーク」を脳内で作ったりはしないのです。
記憶の実態は、脳の「海馬」という部分で形成される「脳神経細胞どうしの連携体制」であり、これは「シナプスネットワーク」と名づけられています。一つの記憶事象に対して、このシナプスネットワークが一つ形成されるのです。ある一つのことを勉強したときに、その内容を10分以内に復習すると、それに相当するシナプスネットワークは強固になります。つまり、勉強するときは10分以内に復習しながら進めていくことが大事なのです。勉強が上手な子供は本能的にそのことに気づいています。

さて、認知症には2つのタイプがあります。長年の動脈硬化の結果に生じる認知症と遺伝で生じる認知症です。前者は80歳以上の高齢になってから発症し、後者は60~70歳前後で発症するのが特徴です。
遺伝で生じるアルツハイマー病の遺伝子は解明されています。「アポリポ蛋白E」が、その実態です。アポリポ蛋白Eを形成する遺伝子領域は、「ε(イプシロン)2」「ε3」「ε4」の3つのうち、2つの組み合わせで構成されています(「イプシロン」と発音するのが面倒な人は、「イー」と読んでください)。

ちょっと難しい話になってきましたが、簡単に話すと、すべての人は「ε2ε2」「ε2ε3」「ε2ε4」「ε3ε3」「ε3ε4」「ε4ε4」の6つのどれかになっているということです。
採血ですぐに調べることができ、「私はε2ε3でした」や「母は、ε3ε3でした」という具合になります。この組み合わせは血液型のパターンと似ています。自分が「ε2ε3」であったなら、自分の子供には、その2つのうちどちらか、つまり、ε2またはε3を提供することになります。そして、配偶者はその配偶者が持つ2つのうちのひとつを子供に提供しますので、結局、父からもらった一つと母からもらった一つで、子供のその遺伝子は決定されます。「父がε2ε2で、母がε3ε3」であるなら、子供は必ず「ε2ε3」になります。「父がε2ε2で、母がε3ε4」なら、父からは必ずε2をもらい、母からは、ε3またはε4をもらうので、子供は「ε2ε3」または「ε2ε4」のどちらかになります。
アルツハイマー病を発症するのは、「ε4ε4」のパターンです。このパターンになると、健康管理上の対策を立てないかぎり、60歳過ぎの頃からほぼ必発でアルツハイマー病を発症します。父が「ε2ε4」で、母が「ε3ε4」であった場合、両親は遺伝型のアルツハイマー病は発症しませんが、その子供がたまたま父からε4をもらい、母からもε4をもらって、「ε4ε4」になった場合は、アルツハイマー病を発症してしまいます。
逆に父が「ε4ε4」でアルツハイマー病を発症してしまったけれど、母が「ε3ε3」だったので、自分は「ε3ε4」になって、アルツハイマー病の発症から逃れられたということもあります。2つともε4にならない限り、遺伝型のアルツハイマー病を発症するものではありません。

メディカルサロンで日ごろ行なっている遺伝子検査を通して、私はε4が一つある人の「予約忘れ」が多いことに気づいています。「ε2ε4」または「ε3ε4」の人は、小さな物忘れが目立つのです。一方で、ε4を一つ持つ人には、人柄のいい親切なジェントルマンタイプの人が多いことにも気づいています。このことを知ってしまえば、「オマエは何でそんなに物覚えが悪いんだ」と怒ってイライラすることがなくなり、「本人が悪いわけではない。遺伝子のせいで本人も苦しんでいるんだ」と同情的に考えることができるようになるのです。

日常生活や教育問題において重大であるにもかかわらず、脳のことをよく知っている人はほとんど見かけません。しかも、脳のことをよく知っているかどうかは、親がわが子の頭脳を良くしてあげられるかという子育ての問題にも影響します。私はこの分野に関する啓蒙・指導の書を早くまとめなければいけないと思っています。

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