月刊メディカルサロン「診断」
日本国への鉄槌月刊メディカルサロン2011年4月号
日本には「罰(ばち)が当たる」や「祟る」という風習があります。「悪い行いをすると罰が当たるよ」などと表現され、幼児教育にも利用されています。
日本は、雨が程よく降る気候、国土に過不足なく川は流れ、水が豊富で緑豊かな土壌です。温暖で四季の変化があり、人にとって実に住みよい環境です。農作物の実りもよく海産物も豊富にとれる、つまり、原始国家における「豊かな国」なのです。
この豊かな風土において、日本の風習は生まれました。もともと豊かな自然が存在するから、それを失うことに対する不安心が強く、災害を恐れ、自然を差配する神々が祟らないように気を使う民心が育ったのです。それらを背景に国家神道が生まれ、その教えが日本国民の心の奥深くに宿っています。「縁起が悪い」「祟られそうで怖い」と思うこと自体、神道精神が宿っている証拠です。
豊かな水、豊かな緑、豊かな産物が自然に備わっていることは、日本独特の国民性を醸成しました。そして、行き着くところとして、豊かな自然を独り占めする可能性のある者=独裁者の出現を極端に警戒する国民性になったのです。天皇のみを別格として、それ以外の強力なリーダーの出現を拒み、本能的に排除しようとします。
これはキリスト教やイスラム教とは正反対です。殺伐とした砂漠地帯から生まれたキリスト教、イスラム教においては、何もない荒涼とした大地から何かを生み出していくために、人々に恵を与えてくれる強力なリーダーの出現を待ち望む民性になります。
ねたみ、ひがみなど「日本の島国根性」が話題になることがありますが、その辺もこの日本と諸外国との原点的な差異が根源になっています。日本は強力なリーダーの出現を望まず、諸外国は強力なリーダーの出現を待ち望むのです。
日本は、強力なリーダーシップをとろうとする者が現れては排除されてきたという歴史を持ちます。天皇家の外に新秩序を作った源頼朝は不慮の死を遂げ、天皇家にとって代わろうとした足利義満も不可解な死を遂げ、天皇家を蚊帳の外にする新秩序を企んだ織田信長も非業の死を遂げました。歴史的リーダーの末路です。
幕末のオピニオンリーダーであった坂本竜馬は暗殺され、西郷隆盛も陰湿な抹殺計画に乗せられて戦場で自害し、大久保利通も暗殺されました。リーダーとして日本を牽引した者、あるいは、しようとした者にはなぜか非業の末路が待っています。
思い起こせば、「和を以って貴しとなす」という聖徳太子の十七条憲法は、独裁的リーダーの存在を否定したものであり、まさにそんな日本の国民性を象徴します。
さて、近年の日本を顧みると、リーダーやリーダー候補の行動・言動に対するマスコミの大衆迎合性が異常に高まり、その者たちを次々と抹殺するようになっています。その異常性の背後には、インターネット情報の高まりにより新聞やテレビの存在意義がなくなるではないかという恐怖心が関係しています。
リーダーに対して、その一つ一つを否定し文句を述べ、詰問論調を展開し排除しようとするのですが、もともと「文句を言う、不平を述べる、詰問する」というのは、一昔前に女性が男性に対し自分の立ち位置(一種のポジション)を確保するために行った手法です。それがいつの間にか政界・マスコミに普及し、マスコミは自己の存在をアピールするため、大衆扇動的にリーダーになろうとする者を抹殺する方向に動いています。マスコミがどのように振舞ってきたかを整理していくと一目瞭然です。
個人のオピニオンが発端となった幕末と違って、マスコミが国家のあり方に対して強いオピニオンリーダーとなり、そのオピニオンを実現するカリスマ的才能を持つ者をバックアップして日本を率いていくリーダーを生み出し、世界の未来像を見越して日本という国がどうあるべきかを描き実現してなければいけないこの時代に、ちょっと活躍し始めた者に対して、文句を言って足を引っ張っていくアクションを繰り返していることは実に嘆かわしい現状です。
世界は激動しています。まだ、世界の影響を受け難いうちは、「和を以って貴しとなす」と言っていても国の態は維持されますが、今のように世界の変化の影響をまともに受けるようになった時代には、強力なリーダーが必要です。日本の特質として、おそらくそのリーダーは最後には抹殺されてしまいますが、西郷隆盛、大久保利通らと同様に、そのリーダーには抹殺されるまで活躍してもらわざるをえないのです。
それなのにマスコミも政治家もまったく目が覚めていません。マスコミの姿勢に相乗りして、政治家は陰謀めいた政争に明け暮れ、国を守り発展させるために政治を行なっているのだという意識は希薄です。そんな日本に対し、その日本固有の思想の源流が「自然豊かな日本」であったのだから、その自然の恐ろしさを思い知らせてやろうという天の采配が、まさに「罰が当たる」として今回の大地震という鉄槌を下したと後世では物語化されているかもしれません。
今回の大地震で被害を受けた方々には、一刻も早い回復を願うばかりです。我々が不甲斐ないためにどうしようもない世の中にしてしまい、一部地域の人にのみ天の怒りを受けさせてしまい、誠に申し訳なく思う次第です。もちろん、回復に向かって私も支援を惜しまないつもりです。
お亡くなりになられた方々には、心の底からお悔やみ申し上げます。
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地震勃発直後が原稿締め切りでしたので、本原稿を急遽作成し差し替えました。表現などに至らないところがあるかもしれませんが、ご容赦願いたく思います。