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月刊メディカルサロン「診断」

高齢化社会とゴール月刊メディカルサロン2011年6月号

一部のスポーツ界で若者の活躍が目立ちます。その活躍に触発されて、スポーツ界が盛り上がります。日本人の多くがその活躍を見て熱狂することができ、日常生活が楽しいものになります。また、その活躍に勇気を与えてもらえます。敗戦後の日本人に勇気を与えたのは力道山の活躍であったと聞いていますが、私のような世代にも理解できるような気がします。

さて、このスポーツ、実はゴールがあるから楽しめるのです。野球なら9回まで。ゴルフなら18ホールまで。サッカーなら前半後半で90分、ボクシングなら1ラウンド3分。マラソンなら42.195km、100m走ならもちろん100m。バレーボールなら25点取るまで。あらゆる競技には必ず、ゴールがあります。
もし、このゴールがなかったら・・・せっかくの楽しいスポーツも苦痛にしかなりません。

高齢化社会に抜本的な対策が必要といわれている今、そして、少子高齢化対策のモデルとして世界が注目しているこの日本において、私はこのゴール作りが急所であろうと思っています。

60歳、あるいは65歳で定年退職年齢を迎えたとき、人は4つのパターンに分かれます。

  1. やっと引退できた。今までの蓄積と退職金と年金で今後は死ぬまで安心して趣味に興じながら生きていくことが出来る。もう仕事はしたくないが、人との接点がなくなるかもしれないのがちょっとさびしい。
  2. 引退して仕事がなくなった。多少の蓄積はできているが、年金があっても死ぬまで食っていけるかどうかが心配だ。
  3. まったく資金がない。あるいは、全然足りない。仕事を探さなければ・・・。
  4. まだ、借金がある。引退どころではない。

1)の人が引退後生活を送るにあたっては、何の社会問題にもなりません。3)の人は仕事を探すか、あるいは、寄生先を見つけなければいけません。両方なければ、生活保護法が待っているのみです。4)の多くは経営者です。経営者としての喜び、面白みを若いころに十分に味わった結果ですので、経営者としての責任を全うしていただかなければいけません。この人たちはかなりの知恵を持っていますので社会問題にはなりません。

つまり、社会問題になるのは2)、3)ですが、その背景には、人生のゴールが事前に定まっていないという問題が潜んでいるのです。たとえば、「人生は80歳で終わり」などのゴールが定まっていれば、全資金を80歳までに使いきる、あるいは、何とか80歳までもたせるという計画が明確になり、引退後生活の不安は消滅します。ゴールが定まっていないから苦痛なのです。といっても、もちろん、80歳になったら死んでもらいますという話にはなりません。

私は最近ゴルフに興じています。しかしその姿は、世を忍ぶ仮の姿に過ぎません。私は医師であることを秘匿してメンバーであるゴルフコースの月例杯競技に参加し、参加者たちから「人生どうあるべきか」「医療社会、どうあるべきか」に関する意見を聞きだしているのです。
最近のゴルフクラブのメンバーで競技に参加しているのは、ほとんどが60歳以上の人たちです。その人たちの体力には、まさに頭が下がります。60歳代は、まだまだ体力充実しています。気力の衰えは散見されますが、少なくとも体力的な衰えは極小に思えます。ゴルフ競技に参加するくらいですから、余生不安はない人たちです。しかし、質素倹約でなければ、万が一(?)長生きしたときが不安だという思いはあるようです。引退世代の消費活動が進まない原因の一つがここにも潜んでいます。まさにゴールがないことの弊害でしょう。

高齢化社会の対策として国費を投入するのなら、不安を取り除く路線に徹底するべきです。まず、国策として、まだまだ体力が充実している60歳代の人たちを活用するべきです。現存する高齢者収容施設で現役世代の若者を働かせるというのは、実は社会構造的には大きな無理が潜んでいます。それを強要していることは国策として正しくありません。そして、ゴールを定める必要があります。国家はこの重要ポイントに気づいていないのです。

これらを熟慮すると一計を案じることが出来ます。

「80歳になったら衣食住が無償で提供され、その心配が一切なくなる高齢者専用施設をつくる。悲惨な施設ではなく、明るい桃源郷的な施設にする。そして、入所できるのは60歳代に5年間、その施設でまじめにボランティア勤務した人に限る」

つまり、希望者が参加できる一種の変則的徴兵制度のようなもので、「60歳代に5年間その施設で勤務すれば、対価として80歳になったら入所できる権利を与える。管理スタッフは現役世代の若者を採用し、最前線労働力は60歳代の男女になる」という基本構想になります。
その5年間は「1ヶ月勤務して1ヶ月休み」など労務システムを工夫し、報酬も若干ながら提供します。権利を得た人は、80歳まで人生を思う存分楽しむことが出来ます。そして、80歳以後の不安は消滅します。
さらに、その施設は医療サービスを兼ね備えた施設で、管理者として医師も現場にいるというものにして高齢者の不安を完全消滅させます。

これらの構想は、私の医療構造改革の一環として醸成させたものですので、また別の機会に詳細をお話させていただくかもしれません。
人生のゴールを定め、60歳代の労働力を活かして社会問題を解決することがまさに国策として重要なのです。

既得権益者たちに育てられて、その人たちに頭が上がらない政治家たちの姿があまりにみっともなくて、私から提言させていただきました。

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