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月刊メディカルサロン「診断」

子供を育てることは一大事業である。だからこうしてみては?月刊メディカルサロン2011年12月号

死亡が間近い年齢層が増えてきた上に、出産可能年齢の女性が子供を産まなくなり、日本の人口は減少に転じました。人口減少の良否はさておいて、子育てが一大事業であり、容易に着手できることではなくなってきたことを意味しています。

一方では保育園が足りないという叫びも聞かれます。夫婦共働きが当たり前になってきたからですが、共働きが必要な理由は女性が仕事を持ち続けようとする、いわゆる社会進出という一面も確かにありますが、やはり、生活資金の不足が大きな理由でしょう。夫の収入だけでは、子育てを含む十分な生活ができないのです。
そのことは逆にいえば、資金的蓄積がなく、そして、将来の収入的な見込みに関しても不安なのに、子育てという一大消費事業に取り掛かってしまった結果でもあるのです。うかつに子育てに取り掛かってしまった結果として、保育所不足が叫ばれているのです。

女性は本能的に子供を望みます。それは間違いありません。愛し合っていれば、たいていの場合、2人に子供ができます。それも間違いありません。そして、日本社会は全体として飽和経済となって右肩上がりを失い、分野的には消滅の危機に陥るものもある上に、将来の収入的見込みを立たせる終身雇用制が崩壊しているのも間違いありません。ということは、将来の収入的見込みがないのに、つまり、将来が未知数の2人なのに、その2人の間に子供ができて、一か八かの子育て事業に取り組まざるを得なくなるのが実情です。
「一か八かに取り組むよりも、今の人生を楽しもう」
それは極めて常識的な選択です。その選択の結果、子供が減り、人口が減少しはじめたのです。この現状を打開するための政府の取り組みは、目先的には、保育所作り、子供手当の創設、高校授業料の減免に向かっています。当然、長期的には経済の繁栄を企図し、家計収入の増加を目論んでいることでしょう。しかし、それらが根本的な解決になるかどうかに関しては、多くの人が疑問に思っていることでしょう。

さて、そこで本題です。

一時期、「年の差」婚が騒がれました。68歳の男性と23歳の女性の婚姻です。45歳の年齢差に関して、さまざまなコメントが流れました。批判的なもの、同調的なもの、妬ましげなもの、応援的なもの、などいろいろありました。全体的には、この「年の差」婚に対して、怪訝な目が向けられたように思います。
しかし、このケースにおいて、私が最も重視したいのは、その23歳の女性は、安心して子供を産んで育てることができるであろうという点です。子育て資金上の不安はないでしょう。68歳の男性も人生経験を積んでいますので、子供の教育には好影響を与えることは間違いありません。「子供が成人するまで父が生きていられるのか」という非難の声もありますが、その非難は間違えています。子供に、死に別れることの意味を早いうちに学ばせてあげることができ、自立を促す教育が自然に盛り込まれます。男には、自己の死を利用して、わが子を教育するという人生最後の仕事があるのです。

子供がなぜ減ってしまったのか?政治や経済が悪いのではなく、「結婚は、同世代どうしでなければいけない」「年の差婚に関して、批判的になる」などの社会風潮がいけなかったのです。40歳代の男性と、適齢期女性が結婚するというのが当たり前という風潮ができれば、子育て不安は解消されるのです。
男が独身のまま親元や独身寮で過ごして、住居費を極小とし、一生懸命に真面目に仕事すれば、たいていは、40歳ごろには驚くほどの資金的蓄積を成し遂げることができます。20歳代で結婚すると、家族を支えるための資金が継続的に必要になるから、いつまでたっても蓄積ができないのです。
消費活動母体となる家族を形成しないで真面目に仕事すると、40歳代で想像を超える資産を形成することができますので、その資産を背景とした安心感の中で、結婚し、子育てに取り組むのなら、不安は極めて小さいものになってきます。
となると、男は社会人になった日から一生懸命に仕事して、40歳代までに十分な資金の蓄積をなさないと、結婚さえできないということになってきます。思わぬところに、競争を作りだすかもしれません。

40歳代の男性と適齢期女性が婚姻の主流になる、という社会へと変貌すれば人口減少の問題は解決できるのです。それを実現するためには、政府からの予算投入などは一切必要なく、マスコミが中心となって、既成概念、既成価値観を変化させる思想変革的取り組みを行えばいいだけなのです。
「平凡な家庭とは、将来に向かって十分な蓄積をなした40歳代の男と出産能力がある女との婚姻から生まれるものである」と定義し、その社会風潮作りに邁進すれば、一定の期間を経て、「保育所が不足している」や「教育の資金が云々」というような社会問題は自然消滅し、人口は再増加に向かうことでしょう。もっとも、「背水の陣」ともいえる競争が前提になるかもしれないのは承知の上です。

私は、将来が未知数のまだ若い2人が結婚し、お互いの努力、苦労、切磋琢磨の中で男性が出世した場合に、その妻の女性に対して、強い美徳意識を持っています。だから、そうした人生を推奨したいのですが、社会の現実、喫緊の課題を考えれば、前述のように思わざるを得ないのです。

この件は、さまざまな角度から議論可能ですので、私は軽く提言する程度にとどめておこうと思います。あとは読者の皆様で、話し合ってください。

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