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月刊メディカルサロン「診断」

産業としての日本の医療と未熟な分野と私の課題月刊メディカルサロン2014年2月号

国民皆保険制度の下で

日本の医療は、国民皆保険制度の下でとんでもなく成長してきました。患者が望みさえすれば、大抵の医療を提供することができます。世界的には、患者が望んでも金銭問題や技量問題のために、望む医療を受けられないのがむしろ普通です。日本では望みさえすれば、受けることができるのです。

国民皆保険制度の下では、医療サービスの原資の多くが現役世代からの強制徴収で成り立っています。高齢化社会を迎えて、そこから生まれる現役世代の負担の大きさは容易に想像されます。しかし、現役世代はその負担に慣れています。
国民皆保険制度の下では、過剰医療が存在しがちです。本当の必要性を超える医療サービスが多々存在し、医療費膨張の一因になっています。しかし、そのおかげで、莫大な設備投資を成し遂げることができました。検査機器、治療機器などの医療機器の普及度は、先進諸国と比較しても、日本はずば抜けています。おかげで医療周辺産業が大進歩しました。
そして、国民皆保険制度の下で多くの医師が育ちました。患者が望む「理想の医師」像に対して、70%の期待を満たす医師を大量に輩出することができます。たくさんの患者を見ることができるので、医師=「知的要素を要求される作業員」の大量育成システムが、この国民皆保険制度の中で育ちました。その進歩は、近年ますます著しいものがあります。

産業としての医療のこれから

以上をまとめると、50年を超える国民皆保険制度の運用の中で、多くのノウハウが蓄積されたということです。そして、このノウハウは世界の先進国が想像するレベルを凌駕しています。「制度にどんなことを盛り込めば、どんなメリット、デメリットを得られるか」「どんな問題が生じがち」「こんな解決方法がある」などの経験が大量に蓄積されています。
これらのすべてを産業としてとらえたなら、その産業を成長させるための手法論も蓄積されています。そして、産業内での長所短所が熟知され、医療周辺の分野においては、ビジネスとしての「美味しいところ」「苦いところ」も熟知されています。これは凄いことです。
となると、この制度とその制度下の医療サービスそのものを輸出産業として利用することができます。どこかの国がこの制度を採用したときに、日本はアドバイザーとして主導権を握ることができ、周辺分野のビジネスを栄えさせることが可能です。もちろん、輸出産業としての繁栄です。医療機器だけでなく、建設分野、医師の育成システムまで含めての輸出産業になります。
一国民としての立場では、TPP云々の流れの中で、この分野が大きな成長産業として飛躍してくれることを願っています。

進歩なき「死に際の対処」

さて、その日本の医療社会の中身ですが、ある一分野に決定的な未熟部分を残しています。それは、患者の死に際の対処です。

人はいつか必ず死にます。死ぬことから逃れることはありえません。だから、必ず「死に際」を迎えます。医師の立場では、治療に全力を尽くしたけれどもうまくいかなかったという、表現は悪いのですが「敗戦処理」に陥った状態です。その状態からの医師と患者の間のコミュニケーション体制が未熟なのです。
親族の死に際の医療に納得がいかず、「訴えたい」という人を大勢見てきました。弁護士を通して意見を求められたことも多々あります。そのすべてのケースで、医療側には問題はなく、「死に向かうのはそういうものだ」という納得がないことが原因でした。患者の死に際を迎えたときに医師がコミュニケーションを避けようとするのが原因かもしれません。親族にその部分を教え、なだめることによりすべてのケースは解決されました。

人は、老、病、死への恐怖を本能的に持っています。特に死への恐怖は大変なものです。その死への恐怖をやわらげてくれるのは宗教です。「死後の世界」をイメージさせて、死に向かう心を安んじてくれるのです。この分野で宗教は大きな役割を果たしてくれています(もちろん、教育上の役割もたくさん果たしています)。
しかし、死の直前に関しては、宗教の役割ではなく医師の役割です。この場合、死に行く患者本人は、もはや意識を失っていることが大半です。ですから、大切なのは患者の親族に対する配慮です。この配慮の中には、現代科学と宗教との境界線上の何かが含まれなければいけません。
全力を尽くして患者を治療してきて、その結果として迎えた最終段階では、家族の心を安んじることが最も重要です。そのために医師は親族とどのようなコミュニケーションであるべきかという分野に関しては、奥深く進歩していません。

成熟した分野へ~私の課題~

患者の死を迎えて、親族の心は複雑です。治療経過に対する不信が宿っていることもしばしばです。「次は自分の順番だ」という思いもないことはありません。ここでの医師の振る舞いは、「次の順番だ」と思っている人の心に大きく影響します。不信がある場合は、それを払拭してあげないと、医療社会全体の損失へとつながります。
家族には「理解」と「納得」を与えて、家族自身の心を安らかにし、死に行く人を送り出させてあげなければいけないのです。

今年は、この分野を深く研究し、プライベートドクターシステムの中に盛り込んで、生涯の担当医の立場から、会員のご家族の臨終に向かって医学と宗教の境界線上の何かを進歩させ、提供できるようにしたいものだと思っています。

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