月刊メディカルサロン「診断」
歩みを振り返ってみると月刊メディカルサロン2014年3月号
創業に至った強い思い
私がメディカルサロンを創業した平成4年の頃は、「診療現場での説明不足」が社会的な問題になり、マスコミが「医師不信つのる」と叫んでいた時代でした。医師が悪いわけではなく、患者の知的欲求が高まってきたのです。そんな最中に、私は大学病院の内科外来を担当することになりました。
私はその外来現場で、漠然と「この診察室の窓口では、マスコミが要求しているようなことは実現できない」と思ったものです。大勢の患者が待合室で待っているプレッシャーの中で、時間がないことも確かでした。しかし、説明しても理解するための基礎知識が患者の中になかったことも確かです。優れた診療現場を築くには、人体に関する患者側の基礎知識の向上が必要不可欠であると、後に生涯テーマとして「全国民の健康、医療に関する知識の向上」を挙げるようになったのは、この辺の思いがスタートでした。
そして、ほぼ同時期に「健康保険制度が足かせになっている」と漠然と感じるようになりました。特に、世間は強い予防医学を望んでいるのに、医師の中では予防医学分野が軽く見られ、その分野の専門家と言えるような医師がいなかったことに対して、「健康保険制度の足かせ」を感じたものです。予防医学の遂行には、何が大切であるかを考える風潮さえ高まらなかったのは、健康保険制度の中で仕事するのが楽だったからに他なりません。
当時、人間ドックで診療している医師は、簡単な見かけだけの診察を行った上で、検査結果を判定するだけの存在に過ぎませんでした。検査の結果は一枚から数枚の紙で手渡されます。病気でない人を目の前にして、その人に直接的に指導する内容のレベルを高めていくことに誠心誠意の取り組みをする医師はいなかったのです。
このようなことから、「健康保険制度の矛盾を感じ、予防医学と健康教育に取り組まなければダメだ、という思いを抱いて四谷メディカルサロンを創業しました」と、私は著書に当時のことをそう記しています。
健康保険制度下における不満の本質
そのように高貴な話はいくらでも語れるのですが、「健康保険を利用しない内科診療」に向かうことになった一番の本質は、健康保険制度下の診察室の中身への反抗にあったように思います。当時、私が診察室に持っていた不満は何であったかが、今の年齢になってようやく見えてきたのです。それを一言でまとめますと、
「健康保険制度下において、診察室内の医師は、作業要員であることを期待されている。あるいは作業要員としての役割で十分である。知的要素を備えた、頭のいい作業要員に過ぎない」
ということになります。
なぜ、急にこんなことが見えてきたのかと言いますと、TPPに関与して「健康保険制度は輸出産業になる」という観点から考えたときでした。外国に向かって、健康保険制度を推奨していく場合、その制度の中での医師の役割をどのように説明し、医師をどのように育成するべきかを考えたときに、初めて思いついた答えでした。この制度を作った大先輩の医師、官僚の皆様には「そんなこと、あたりまえじゃないか」と馬鹿にされるかもしれません。私の半生を振り返ると、私は作業要員として生きていくことに反抗していたのです。
名医は人を治す
人は健康の面から分類すると、「病気の人」と「病気でない人」のどちらかに分けられます。
私は高校生の時に何かの書物で、「普通の医師は病気を治す。名医は人を治す。真の名医は国の病を治す」という一節を見ました。何の書物であったのかはよく覚えていません。私はその一節に強く影響されて、「真の名医」のことはともかく、「せめて名医になりたい」と望んで、医師の道を選んだという側面があります。
「病気の人が持つ病気」を治療するために、健康保険制度が存在します。ということは、制度の発生原点ですでに、「病気をみること」が宿命であって、その病気を治療するための作業要員になりきることが医師の使命であって、「その人をみること」=「名医の道」は使命から除外されているのです。
私は「名医は人を治す」の言葉に感銘を受けて医師の道を選んでいます。しかし、これを語ってしまうと、傲慢に聞こえ、誤解されるかもしれませんので、今まで黙っていました。過去に一度だけ、それとなく、この月刊メディカルサロンの診断で触れたことがあるくらいです。
さらなる予防医学の充実に向けて
一方で日本の医療は健康保険制度一色です。その健康保険制度は、「人を治す」ためのものではなく、「病気を治すための制度」なのです。「人を治したい」という夢をもった私が、健康保険制度を捨てて自由診療の道を選択したのも、今思えば当然の成り行きだったのかもしれません。
「人を治す」
というのは決して傲慢なものではなく、中身は謙虚なもので、
「人が持つ心の中の不安を解消してあげ、日常生活に満足を与え、体調絶好調で、意欲の高い生活を送ってもらえるように取り組んでいく」
というものに過ぎません。医療、医学というのは、最終的には、その目的のために存在しているのです。「病気を治す」というのは、一過程に過ぎないのです。
「心の中の不安」というのは、「老、病、死」です。その不安を解消するために、「予防医学の充実」を語ってきました。さらに、急病の際の携帯電話の連絡先を提供してきました。充実に向かう集大成の途中経過として、予想医学の概念と容姿、体力、意欲の回復の医学を生み出しました。
「日常生活に満足を与え、体調絶好調で、意欲の高い生活を送ってもらう」ために、健康管理の学問化に取り組み、「健康管理に三態あり」を語るようになり、今はその内容を全国民の知的共有物として定着させていくことに取り組んでいます。
過去の道は長かったように思えますが、これからの道も長いのだろうなと思います。