月刊メディカルサロン「診断」
科学者の世界月刊メディカルサロン2014年7月号
知っていますか?科学者の世界
小保方晴子さんのおかげで研究者の世界が脚光を浴びています。私自身は研修医を終えた後に大学院生になったくらいですので、研究者を志していた時期があったのは間違いありません。小保方さんの件は、懐かしいような、ついにこうなったかと思うような、妙な気分になります。
○○学会や△△学会というのがあります。これは、あるひとつの区分けされたテーマに関連する事項を研究する人たち、あるいはその研究に関心を持っている人たちの集団です。たとえば、医学界における世界消化器病学会、日本眼科学会、世界微小循環学会などです。
学会員になるのは簡単で、申請書に記入して申し込むだけですぐになることができます。どの学会も年に1~2回の総会を開催し、多くの学会員を集め研究成果の発表をします。「次の総会では、私は○○を発表します」という内容の短い文章を、半年くらい前に学会あてに提出しておきます。大勢の学会員から寄せられたその短い文章は、「抄録(しょうろく)」として、一つの冊子にまとめられます。学会員はその抄録を見て、「ああ、こんな発表があるのか。見に行ってみるか」という気分になります。
論文は研究者の生命線
どこの学会も学会誌を発行しています。この学会誌に掲載されているのが論文です。論文には、自分が新たに発見した事象とその関連事項に関して、自分が一生懸命に勉強した内容が盛り込まれています。論文を書く人は、「自分はこんな発見をしたのだよ」ということと、「自分はこんなに勉強したのだよ」ということを、論文の中身でアピールします。
提出された論文は、学会誌の編集委員が審査し、「価値あり」と認められたものだけが掲載されます。学会員は、その論文を読んで勉強すると同時に、場合によっては、その論文を寄稿した研究者の名前を覚えます。
一風変わっているのは、研究者の世界では論文の著作権が学会誌に移行するという点です。論文を寄稿する際、著作権の移行について、断り書きに署名しなければいけません。世間的に著作権は作者のものですが、学会誌においては、掲載された瞬間に著作権は作者のものではなくなり、名前だけが残るのです。
特異な世界が生む「容易に想像できる現象」
若い研究者は学会発表と論文提出を繰り返し、その学会における自分の認知度を高めていきます。言ってみれば「有名になりたい」という一心で研究を繰り返し、論文を書き、学会で発表するのです。この世界は、論文と認知度で地位が与えられます。大学なら教授や准教授など、研究施設なら研究所長や主任研究員などです。誰が審査して、誰がその地位を与えるのでしょうか?
そこにどのような現象が生まれるか、社会を見る達人の皆さんには容易に想像できると思います。
日本において、学会は社交界的な要素も持ちます。学会の場では、人間関係作りが行われます。○○教授と△△研究所長は仲がいい、というものです。当然、派閥が生まれます。「彼の意見には同意するけど、アイツの意見には決して同意しない」と平気で吹聴する人もいます。「俺はアイツは嫌いだ。アイツは敵だ。だから、アイツの業績は一切認めない」という、何が主で何が従かわからないような話まで誕生します。「仲の悪い奴が失態を演じた。今こそ、徹底的に責めあげて完全に潰してやる」など、大人気ない対応は日常茶飯事です。何かにつけて声の野太さも関係します。政治の世界で言うところの、かつての浜田幸一や鈴木宗男でしょうか。
そこにどのような現象が生まれるか、社会を見る達人の皆さんには容易に想像できると思います。
論文には、寄稿者の名前が複数記載されています。一番目の名前は、直接の研究者、つまりその論文を書いた人です。二番目の名前はその研究者を指導した人。三番目も深く関わった人ですが、四番目以後が不思議です。論文内容には直接関係ないのに、その学会の重鎮や、編集委員と仲のいい人の名前が入っていたりします。編集委員と仲のいい人の名前を入れると、なぜか論文は審査を通り抜け、学会誌に掲載されやすくなるのです。
そこにどのような現象が生まれるか、社会を見る達人の皆さんには容易に想像できると思います。
研究者というのは肩書きがすべてのような要素があります。株式会社の株を所有して、ひとつの組織の支配権を持つというタイプのものではありませんから、自分の肩書きしかないのです。そして、肩書きから生まれる人事系の任命権がすべてです。人事権を持つ人の意向に逆らうことはできません。
さらに、研究活動は目先の対価をもたらしません。金銭的にはひたすら消費活動です。となると、研究費を得られるかどうかが重要課題になります。ありもしない絵空事のような研究予定を申請しないはずがありません。
そこにどのような現象が生まれるか、社会を見る達人の皆さんには容易に想像できると思います。
“わが道”を振り返り思うこと
皆さんが容易に想像できるもの、それが小保方晴子さんの問題に結集しています。大学院生だった27~28歳の頃、私は必死に勉強と実験を繰り返す日々を送りました。将来は教授、という地位を夢見ていたのです。しかし、一方で「墓場まで持ち込まなければいけないもの」にもたくさん触れてしまいました。研究者の世界の正義に疑問を感じることも日常になり、当然ながら、心の中に不平、不満が生まれてきたのです。
不平不満を述べながら居座ろうという選択をする私ではありません。潔く立ち去って、わが道を作る。私は学会には発表しない、論文も寄稿しない。しかし、世間には広く発表する。研究して得たことは、健康・医療に関する書籍にして世間一般に発表する。予算をもらうための活動はしない。自分自身の活動で資金を得る。自分を引き上げてくれる有名な研究者に取り入ったりはしない。世間が広く私を認めてくれるかどうかだけを焦点とする。この路線を貫くことにしたのが、平成4年。あれからもう20年以上も経った今、小保方さんの騒動に触れることに感慨深い何かを感じます。