月刊メディカルサロン「診断」
思想誘導月刊メディカルサロン2015年4月号
川内原発をめぐる報道
平成27年2月9日、放送倫理検証委員会は、テレビ朝日の「報道ステーション」において放送倫理違反があったと結論づけました。九州電力川内原発の報道に関する内容です。
関係者の名前や役職を掲載するとややこしくなりますので、それらを省いてわかりやすく説明します。
誰かがAという質問をする。それに対して、委員長がBという回答をする。これを映像に収める。次に、誰かがCという質問をする。それに対して、委員長がDという回答をする。それを映像に収める。
この一連をテレビで報道するときは、当然、A→B→C→Dの順序でなければいけません。それが当たり前です。しかし、報道ステーションの編集部は、BとCを省き、Aの質問に対してDという回答をしたものとして編集し、報道しました。
その結果、委員長がとんでもなく悪質な人間であり、川内原発の審査がいい加減なものであるかのような印象を与えました。そして、悪質な者を委員長として選んだ政府に対する非難、反原発キャンペーンへと誘導する入り口としました。
放送倫理検証委員会は、そのような編集をしたことが「恣意的であったかどうかは不明であった」としたものの、「いかに忙しくても、チェックは可能であった」と指摘。ゆえに放送倫理違反に相当するという結論へと導いていました。忙しかったからやむを得ないが、違反には相当するという論調です。
止まない偏向報道
日ごろ、朝日系の報道の行状を知っている人は、「恣意的であったかどうかは不明であった」などと誰も思っていません。「恣意的に決まっている」と思っています。朝日系列にとってはいつものこと、と鼻で笑ってその話を聞いていたことでしょう。
なぜ、故意に操作した報道をするのか?私の身も、朝日系列によるこのタイプの被害にあっていますので明言させていただきますが、要するに、朝日系列は事実を曲げてでも、ネガティブキャンペーンを張ることによって、視聴者の関心を引きたいのです。
視聴者の関心を引くためには、事実を曲げてもかまわない、あるいは、事実を巧みに錯覚させてもかまわないという組織の方針の底辺に潜んでいるのは、思想誘導の思惑です。社会に対して、ある方向に思想を誘導しようという思惑です。
オウム真理教、そしてイスラム国も
この思想誘導は奥の深い話につながっていきます。オウム真理教に入信して、あのような行いをした人たちは、間違いなく思想誘導を受けた人たちです。リーダーはどのようにして思想誘導のマジックを施したのでしょうか?想像を超えるテクニックが潜んでいるのは間違いないように思います。
また、世界各国でネガティブな発信がされているにもかかわらず、イスラム国に身を委ねようとする人が次から次へと出てきます。これなどは、思想誘導のレベルを超えて、1000人いれば1人や2人は想像を絶する思想、価値観を持っているものなのだと悟らされます。
考えてみると朝日系列の構成員は、皆が「視聴者の関心を引くためには、事実を曲げてもかまわない、あるいは、事実を巧みに錯覚させてもかまわない」というあるまじき思想誘導を朝日系列のリーダーから受けていたとも言えるのです。「騙すならまず身内から」の方針があるということであり、騙されている朝日系列の構成員があわれに思えてきます。
思想誘導の功罪
戦後70年の談話をめぐって議論が盛り上がってきています。帝国主義、侵略戦争に関して、軍の暴走というイメージが国民に定着していますが、今回は、当時のマスコミにも視点を当ててほしいと思います。
全国民を侵略戦争に駆り立てようとする報道が、マスコミにより一致団結してなされていたのは間違いないでしょう。マスコミによる思想誘導が日本国民を第二次世界大戦へと駆り立てたという見方もできるに違いありません。いや、当時の戦争に対するネガティブキャンペーンを張った報道機関がどれくらい存在したのかを調べたほうがいいかもしれません。
思想誘導は、悪意の者が行うと問題を生じますが、事実の捻じ曲げがなく社会正義を伴えば、社会で重要な役割を果たします。
小林多喜二氏の『蟹工船』が、労働者に権利意識を目覚めさせる端緒となったのは周知のことです。この作品が目論んだ思想誘導は、今の時代においても諸所に活きています。もしかすると、共産党の漸次的勢力拡大と連動しているのかもしれません。
吉田松陰の思想が、長州藩内で影響を与え、明治維新をもたらしたのも間違いありません。士農工商の明確な身分制の中で、「男の生き様は、生まれながらの身分や国が定めた御法度で決まるのではなく、志で決まる。志に殉じることが男の生き方である。我々が持つべき志は・・・」と話したのかどうかは知りませんが、吉田松陰の思想誘導の影響を受けた人たちが、討幕運動を起こし、江戸幕府を滅ぼして明治の新時代を築いたのは間違いなさそうです。
おわりに
さて、私は医療社会の思想誘導を目論んでいます。
「医師は特別な知識と技量を有する者で、一般民衆とは隔絶された差異があるという医師が抱く観念を一蹴し、各医療行為単価制の健康保険制度の中で身についてしまった医師の歪んだ価値観から医師を開放させ、診療を通じて健康、医療、人体の教育を進めることによる患者との一体化を図ることが医師の本義であることを悟らせる。国民は、健康、人体、医療をよく学び、その行きつく先としての死に際を悟り、自分の価値観の中で人生を大いに楽しんだうえで、悟り開いた死に際を迎えていく」
という思想へと導いていきたいと思っているのです。