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月刊メディカルサロン「診断」

人と人との立場は一度逆転する。そして、二度目の逆転は起こらない。掲載日2016年6月29日
月刊メディカルサロン8月号

舛添氏の辞任劇に思う

舛添都知事の辞任劇を見ていると、私はなぜか、子供の頃に読んだ「空手バカ一代」の1シーンを思い出します。「空手バカ一代」は、世界150か国以上にまたがる極真空手を創設した大山倍達氏の生涯を描いた梶原一騎氏の名作の一つです。思い出すシーンとは以下のものです。

子供の頃から喧嘩好きの芦原英幸という男がいた。「牛殺し」で有名な大山倍達氏の極真空手の門下生となって空手を学ぶ。ただ強いだけではなく、正義というものを学び、空手の強者へと成長し、やがて、本部道場の指導員となっていく。厳しい稽古をする鬼の指導員であるが、皆から慕われていた。その芦原英幸に、大山倍達は命令を下した。
「四国へ行け。そして、道場を開いてこい。極真空手を四国の地で広めるのだ」
芦原英幸は単身四国に乗り込み、まだ、「極真空手」が無名のこの地で、自己の空手の強さをアピールし、大変な苦労をしながら、「極真空手」の名前、そして空手の達人「芦原英幸」の名前を四国の地に周知させてゆく。ある支援者を得て、ようやく道場を持つことができた。芦原氏の空手の強さは、すでに鳴り響いており、道場開きの初日には大勢の道場生が集まっていた。
芦原氏は、初日の稽古で、「お前たちに天下無敵の極真空手を伝授してやる」と威丈高に叫び、最初が肝心とばかりに、初日の稽古では、体力のないものに、「なんだ、そのへっぴり腰は」と罵声を浴びせながらしごき抜く。そして、腕っぷしに自信のある道場生に対して自ら組手を行い、片っ端から打ちのめしていく。そして、最後に語る。「これが極真空手だ。お前たちをこの無敵の強さにしてやるのだ。ありがたく思って、毎日通って来い」
翌日、一人の生徒も道場に来なかった。その翌日も来なかった。すべての道場生が、芦原英幸に学ぶことを拒否し、去っていった。芦原英幸は悩み苦しんだ。「東京の本部道場で、鬼の指導員となって、そのように道場生をしごいても、ほとんどはついてきてくれた。なぜ、ここではそうはいかないのだ」
悩みぬいた芦原英幸は、自分が厳しい鬼の指導員を演じても皆に慕われたのは、極真空手の知名度とその組織の中で、お膳立てされた世界に限っていたことを悟った。そして、今の自分はそのお膳を作る立場であることに気づいた。
そこで、「鬼の師範」であることをやめ、腰の低い柔和で優しい師範へと大変身することにした。苦労して、再度、ようやく集めた生徒には、自ら辞を低くして挨拶するようにした。そして、懇切丁寧に教え、さらに、組手の稽古の際には、わざと隙を見せて、相手の拳を自分の腹に命中させ、「おお~、今の一撃は、効いた。君の正拳は強いよ。見込み満点だよ」と声までかけるようにした。
やがて、道場の良いうわさが広まるようになった。続々と生徒が集まるようになり、道場に進歩的な賑やかさが生まれ、「強くなりたい」という意思を持つ者に対して、「鬼の師範」に戻っても去る道場生はなくなり、この道場からは次々と強い弟子が生まれ育った。

名作が示す人間関係の極意

梶原一騎氏がどのような思いで、このシーンを描いたのかは不明です。単に、自分への与党であった芦原英幸氏の名声を高めてあげたるためのフィクションかもしれません。
しかし、このシーンには多くの人への含蓄が秘められているように思います。一言で言えば、「実力があるなら、腰を低くすれば成功する」「実力があれば、下手のふりをしても、かえって、名声は高まっていく」「実力を持つ者が、その威を振りかざせば、人は去っていく」「組織の認知度が高い地域では鬼になっても人はついてくるが、認知度の低い地域では人はついてこない」「認知度が高まり、盛名、賑やかさを得てから鬼になれば、強い弟子が育っていく」というところです。今的には、大企業と中小企業の人材育成システムの違いまで示唆しているように思います。

舛添都知事のことでこのシーンを思い出す理由は、もうお分かりだと思います。舛添氏には、知事としての実力は十分にあったのだと思います。しかし、実績を上げ、盛名を得る前に、公用車の利用、高額出張費の件を問いただされた時に、威丈高な回答をしました。その結果、民心が離反しました。芦原英幸氏が道場開きを行ってからの前半そのものです。
そして、後半のシーンからは、次の展開を推測することもできます。舛添都知事が、公用車の利用をせず、出張を質素倹約に行って、その上で実績を積み重ね、盛名を得れば、都民のほうから「都知事は24時間の不眠不休の仕事体制だし、周囲には危険が伴うのですから、できる限り公用車を利用してください」「東京都の威信にかけて、出張は現地の最高の部屋に泊まるようにしてください」という声があがっていたことでしょう。
芦原英幸氏のシーンから得られる含蓄の一つである「認知度が高まり、盛名、にぎやかさを得てから鬼になれば、強い弟子が育っていく」というのが、その展開を示唆しています。

さらに深く、私の解釈

芦原英幸氏のこのシーンは、近所の書店での立ち読みしました。小学校の高学年の頃のことだったと思います。道場の挫折を経てから成功していくシーンは、まだ幼い私に、強い興奮を与えてくれたのを覚えています。あのシーンに興奮する自分でしたから、後の私の人生を暗示しているように思います。
大学生になり、近所の喫茶店を尋ねると、「空手バカ一代」が1巻から最終巻まですべて揃っていました。それを読みふけった私は、芦原英幸氏のそのシーンから、別の含蓄が浮かんできました。
「腰を低くして人と接するのは、ある意味で屈辱的なことである。若気の至りではできることではない。しかし、実力ある者が腰を低くして相手に接すれば、その相手は一時的に優勢な気分になっても、すぐに相手の実力に気づき、平伏して、従順に従っていこうという本能が生まれる。それを逆にして、実力のある方が威丈高に上からの目線で接すると、相手は心の奥深くに恨みの一物を抱き、復讐の本能を宿すことになる」と。
そして、医師になる頃には、その一連を「人と人との立場は一度逆転する。そして二度目の逆転は起こらない。だから、実力がある者で人間関係の達人は、わざと腰を低くして人と接して、一度目の逆転を待つ。一度逆転させたら、二度目の逆転は起こらないから、そのまま優位の立場を終生続けることができる。最初に偉そうに接すると、一度目の逆転を迎えた時に立つ瀬がなくなり、人間関係の継続が困難となり、二度目の逆転はないので離別するしかなくなる」とまとめました。

私はその人間関係法則を悟っていたので、大学病院において医師が患者に向かう姿勢にはひどい幼稚さを感じ、プライベートドクターシステムの創設へとつながっていったように思います。

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