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月刊メディカルサロン「診断」

生涯の業は、「予想医学の普及」になった掲載日2017年7月27日
月刊メディカルサロン9月号

目の当たりにした「知識の乏しさ」

全国民が一丸となって、がむしゃらに働いた高度経済成長の時代を過ぎ、平成の時代になってからは、「健康をすり減らしてでも働く」という時代ではなくなり、「健康でなければ豊かな社会生活を楽しめない」という時代に様変わりしました。

そんな時(平成4年)に、慶応義塾大学病院の内科外来を担当することになった私は、外来診療を行いながら、一種の虚無感にとらわれていました。
「我々が行っている医療は、病気になった人を迎えて実施している。その医療はどんどん進歩している。医療が進歩しても、それ以上のペースで病気になる人が出現する。だから、とりあえず健康な人が病気にならず、活力あふれて、若々しいまま人生を楽しんでいけるようにする医療も必要だ」
こんな思いを抱きながら、外来で患者と接していると、患者の「人体に関する知識」の乏しさに驚くことが続きました。
「どの患者も、健康、人体、医療に関する知識がほとんどない。病気になる人が次々と現れるのは、そこに原因がある」
そして、途方もない思いにとらわれます。

「健康教育」が置き去りにされている

「健康教育が置き去りにされている。全国民の健康、人体、医療に関する知識を高めることに取り組む計画が日本に存在しない。私の人生は、その分野で活かさなければいけないのではないか」

予防医学が大切だ、というのは十分に叫ばれています。その声に応じて、人間ドックや健康診断の施設づくりは盛んにおこなわれています。
しかし、原点は健康教育であり、誰もそれに取り組もうとしていません。
「まさか、とは思うけど・・・。病気になる人を減らすことは、医療社会にとっては利益相反になる。また、患者の知識が高まると、診察室で物言う患者が増えることになる。それは医師にとっては面倒だ。その辺を深慮して、健康、人体、医療に関しては、国民を無知識の状態にしておこうとしているのではなかろうか」
という「下衆の勘繰り」のような思いも湧いてきます。そんな余計なことを考えながら、外来診察を続けていたものです。
外来では「すい臓病で長年通院している患者が、すい臓がどこにあるか知らない」「過敏性腸症候群と診断されて長年薬を飲み続けている人が、大腸がどこから始まるか知らない」という、あっけにとられる現象が続いています。

私にしかできないことをやる!

ある時、何かが私の中に舞い降りてきました。
「大学病院の外来担当なんて、優秀な先輩、同輩、後輩の医師が大勢いるのだから、その人たちに任せておけばよい。その人たちにできることを私がわざわざやらなくてもよい。私は、皆とは違うことをしたい。異なる道を歩みたい」
胸の奥底に、あるいは、自分の人間性の中のどこかに潜んでいる何かが炸裂したのです。当時、大学院生にまでなって、医療社会の中で普通に「教授の地位」を目指して生きていくつもりであった私に生じた天変地異でした。
「異なる道を歩んで失敗しても、いざとなったら、当直やパートだけでも、収入を得て生きていける。教授への道にしがみつく必要なんてない、そう、ないんだ」
最後は、自分に強く言い聞かせていたようにも思います。

「まずは、身近な人たちへの健康教育だ。隗より始めよ、というではないか。未来がどうなるかなんて、まったく想像できないけれど、とにかく、無理矢理でも一歩目を踏み出してやる」

「健康管理学」という新しい学問の構築

思えば、無謀なことをしたものです。慶応病院の近くのマンションの一室を借りて、拠点としました。
当時の私は消化器内科、特に肝臓病学を研究する立場でしたが、研究対象を変え、新しい学問としての「健康管理学」をイメージして、その学問を築き上げる、という思いは持っていました。
そして、「その学問を土台として、健康管理を指導する、という医療を実践するのだ。そこからスタートだ」と不安満々ながら、歩み出しました。「プライベートドクターシステム」と名付けたのは、その創業時でした。
そこから先は、出会う人に支えられて、創業期の3年間をどうにかやりくりできたとしか言いようがありません。しかし、「私の足跡を残す」という目的で、当時からこの会報誌を発行していましたので、志だけは大きかったように思います。
運がよかったのは、セミナーの人気でした。私が語るセミナーはかなり面白いらしく、セミナー講師の依頼だけはひっきりなしにありました。創業からの5年は、セミナーなど「公衆の前で健康管理を語る」ことで、少しずつ盛り上げを得ていたように思います。

そして「予想医学」へ

健康管理を指導しながら、「健康、人体、医療を教えるノウハウ」が蓄積していきました。昨日よりも今日、去年よりも今年、と以後20年以上にわたっての蓄積が続きました。
その蓄積の中で、健康管理を学問化しました。健康管理学は、医師の中で学会を作って育てるものではありません。民間で多くの人たちと触れ合いながら、そして、生身の生活をしている人の声を聴きながら、さらに、実際に個別に指導し、その指導で理解したはずの人のその後の方向性を確認しながら育成していくものです。医師の自画自賛、自己満足などは論外です。

健康管理学を築くうちに、予想医学の概念が私の脳内で沸き起こりました。
「健康管理は、予想医学を土台とする」
です。徐々に年齢を重ねていくうちに、私の心の中では鮮明に焦点が絞られてきました。

「予想医学を集大成して、後世に残していくことが、私の生涯の業である」

そして、「予想医学」をテーマとして、大量のミニセミナーを開催し、参加者の反応を見ながら、予想医学検定の教科書へと集大成させたのです。
この予想医学の教科書を世に普及させることが、私の生涯の業となりそうです。

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