月刊メディカルサロン「診断」
人間関係と契約関係とコミュニケーション掲載日2018年7月3日
月刊メディカルサロン8月号
米朝会談報道に思う
トランプ米大統領と金正恩氏との直接の会談がありました。その内容に関して、日本では否定的な意見も目立ちます。「検証可能な非核化が明文化されていない」というのが否定的見解の焦点のようです。私は会談があったという事実と、マスコミの論調のその一連を観察しながら、心に浮かぶものがありました。
日本は、狭い島国であるためか、同じ地域に長く生活している者同士の関係がもともと存在し、当たり前のように人間関係が存在します。近所の知っているところに住んでいるのだから悪いことはできないであろう、の調子です。だから、人間関係がなければ、物事は順調に進まないと思っているのかもしれません。接待、交際をやたらと重視します。
アメリカは契約社会と言われています。もともと移民が集まって人間社会をなしているのですから、流動する人たちの中で、隣人を信用していいのかわからない、というのが基本的な心得なのかもしれません。だから、契約書がないと信用することができない、と思っているのかもしれません。
しかし、今回の会談とそれに引き続く一連のマスコミ論調は、実は、我々のその認識がまったく逆であることを物語っているように思えるのです。
「人間関係があれば、コミュニケーションをとることができ、物事は前進させることができる」という信念に基づいて、トランプ氏は行動しているのでしょう(ここでは、中間選挙云々という下衆な話はしないでおきます)。それに対する日本の評論家の批判は、契約書面がないのだから信用できない、という内容です。
米朝会談・私はこう見る
米朝は会談を繰り返すといっています。会談を繰り返すというのは、会うごとに「おい、あれはちゃんとやっているのか」という会話が出るという意味ですから、約束を実行していかないわけにはいきません。
かつての虚構事件(偽の非核化で経済援助を得た)は、1回限りの契約でよし、としたもので、先進国側が他人事に構えて人間関係の構築、深化を無視して、契約書1枚を頼りにした結果に生じた事件です。
今後、トランプ氏と金正恩氏が会談を重ねて、人間関係を深めていけば、もともとアメリカと北朝鮮では圧倒的な国力の差があるのだから、非核化、拉致問題などは自然に解決していく問題になります。
もし今、トランプ氏と金正恩氏が人間関係を作らず、他人ごとに構えていけば、中国の国力充実がますます進み、その傘下で北朝鮮の脅威はますます高まる一方になります。その芽さえも摘み取る展開に持ち込める可能性を高めたのが、今回の会談の側面であり、今後の人間関係の深化予定です。
「契約書など不要だ」
あるプライベートドクターシステムの会員が、昔に語ってくれたことをふと思い出しました。
「アメリカは契約社会だと思っていた。でも実際は全然違っていたよ。アメリカで人気のある機材(プリクラのようなもの)を日本に導入するために、その会社との契約書を一生懸命考えて作った。一方では、その会社の社長とは、ゴルフ、会食で強い人間関係は作っておいた。さあ、最後の契約というときのことだ。その社長は、契約書を読みもしないで、『俺とお前の間に契約書など不要だ。お互いの言葉を信じ合って、進めていこう』と言った。日本と全く逆だったよ。」
日本は、人間関係があって当たり前。人間関係がある中で、裏切りも日常茶飯事。だから、契約書にこだわるようになり、アメリカは、人間関係がなくて当たり前。だから、人間関係ができたら契約書など必要ない、という本能があるのかもしれません。
トランプ氏はビジネスの成功者の一人です。日本では「ビジネスの成功者は悪い奴である」という不文律がまかり通ります。「社会的成功者は、人を騙してきた悪い人」、と思う風潮があり、その裏側には、「人を騙すなど、悪いことをしなければ成功できない」という逼塞した思いが潜んでいるのかもしれません。
しかし、トランプ氏のその辺の手腕を見る限り、やはり常人を超越する観点を持っているから成功者になったのだということがよくわかります。
人を騙して成功した悪い輩は、社会の奥に潜みます。ビジネス過程の戦いで人を苦しめることがあっても騙してはいない成功者は、社会の表舞台に堂々と出てきます。日本も、社会の表舞台で、堂々と事業を成功させた者を政治家にしていけば、かなり違う国家へと変貌するのかな、と思ったりします。
おわりに
ちょうどこの時期に、レスリングのパワハラ問題での元監督の会見がありました。言い訳として主張しているのは、「コミュニケーション不足」です。コミュニケーション不足が諸問題の端緒であることは言うまでもありません。
今回の米朝会談は、そのコミュニケーションを豊富にしようという窓口が開かれたことに価値があり、否定する理由などありません。マスコミというのは面白いもので、一方では、コミュニケーション不足を非難しますが、同時に、一方ではコミュニケーションをとる展開になったことを非難します。すべて非難して論調を展開するのが仕事ですから、それで構いませんが、国家の意志の方向性は誤らないようにしたいものです。