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月刊メディカルサロン「診断」

コロナ蔓延生活の今後掲載日2020年8月1日
月刊メディカルサロン9月号

診断」において、新型コロナウイルス感染にまつわる話を前号まで5回にわたって掲載してきました。半年前とはかなり事情も変わり、新型コロナ肺炎の病態もほぼ解明され、完全自粛による時間稼ぎもでき、その時間稼ぎのおかげで、コロナ感染を治療する医療体制もある程度は形が見えてきました。
政府は外国のどこかの製薬会社と話を進め、「ワクチンが完成したら、何千万本の入手を約束した」などと発表していますが、そんなことで喜んでいるのは滑稽です。なぜ滑稽なのかを、説明しましょう。

ワクチンの「副反応」問題

今、学術的には、コロナ感染の後遺症が問題視されています。コロナ治癒後2ヶ月以上たっても残っている後遺症としては、倦怠感、呼吸困難、関節痛、胸痛、嗅覚異常、味覚異常、ドライマウス、ドライアイ、鼻炎、目の充血、頭痛、喀痰、食欲不振、咽頭通、めまい、筋肉痛、下痢などがあり、それらを感じる人は、感染者の8割以上になっています。呼吸困難、胸痛、喀痰などは、ダメージを受けた肺の後遺症問題といえますが、関節痛、ドライアイ、ドライマウスなどは肺の問題ではありません。コロナウイルスを撃退するために体内で作られた「抗体」が、ウイルス撃退後に人体に悪さをしている後遺症なのです。
このことは、ワクチン開発に暗い影を落とします。ワクチンは言うまでもなく、人体内にコロナウイルスに対する抗体をつくることを目的とします。後遺症問題は、その抗体がその人体に悪さをするであろうことを示唆しているのです。いわゆるワクチンの副反応問題です。

この問題がありますので、ワクチンが開発されても、私自身はちょっとやそっとではそのワクチンを投与してもらおうという気分にはなりません。世界中の開発者は、同じことを考えています。そして、開発者は、どこかで大勢に投与して、副反応問題の決着をつけておきたい、と思っています。
そんな矢先に「日本政府は、「どこかの製薬会社と話し合って、ワクチンが完成したら、真っ先に○千万本を入手させてもらうことを約束した」などと語っているから滑稽なのです。
開発している製薬会社は、「日本人の身体を利用して副反応問題を調査できる」と睨んでほくそ笑んでいることでしょう。
ふと、昔の非加熱製剤でのエイズ感染問題を思い起こします。アメリカに頼まれ、エイズ感染することがわかっている非加熱製剤を大量に輸入し、日本人に投与したという苦い過去のことです。
ワクチンが安心できる状態で普及するのは、かなり未来のことなのです。

休業補償に思う

政府は、飲食店に対する休業要請を本気で考えています。そして、それらは休業補償とセットであると述べています。これも滑稽な話です。その処置を何年続けられると思っているのでしょうか。
補償するのに必要な金銭は、国民から集めた税金です。一般的に、個人が営業しているような小さな飲食店群は、「脱税のるつぼ」の傾向を持っています(もちろん、全員がそうであると言っているのではありません)。税金を払わないための悪巧みを繰り返している人たちに、まじめに税金を納めている人たちから集めたお金を提供していこうなど、正義の観点から論外と言わざるを得ません。休業要請、休業補償は望ましい政策ではないように思います。ではどうしたらいいのでしょうか?

結局は個人の価値観

私が本誌の「診断」で真っ先に述べたのは、「感染したら自分の命が危ない。絶対に感染したくない」と思っている人は自らの意思で生活内容を自粛する、「感染しても構わない」と思っている人は自由に生活する、というものでした。考えてみると当たり前の話です。喫煙が身体に悪い、とわかっていても喫煙を続ける人がいるのですから、各人の価値観に合わせるしかないのです。それと同じように考えればいいだけです。
医療サイドが、新型コロナ肺炎の患者に対してどのような体制をとっていいのかわからない間は、感染拡大をとにかく防ぐために完全自粛を全国民に要求するのは、正しい選択だったと思います。そして、休業要請、休業補償を行うのも妥当であったと思います。しかし、今は、医療サービス提供側は、この病気に対して、どのように対応するべきかがわかっています。
だから、今の考え方は、「感染しても構わない、と思っている人には一切の生活制限を行わない。感染したくない、と思っている人には自らの意思で生活を制限してもらう」というだけのことになります。飲食店が営業している営業していない、とは異なる次元の問題になっているのです。
「お店が営業しているのなら、そのお店に行きたくなる」という気持ちと、「感染したくない」の気持ちとの個人の戦いです。そして、「お店に行って飲食した結果、感染したなら後悔しない」という覚悟を持つだけのことになります。まさに、喫煙と同じ話になっています。「タバコをやめるくらいなら、肺ガンで死んでも構わない」とという人など大勢いるのです。
喫煙問題に対して、JT(日本たばこ産業)をかばって無策を続けてきた日本政府ですから、国家は国民の健康に対する無策状態には、慣れています。国民も、政府の無策には心の奥底の本能部分で慣れていると思われます。

政府の最重要課題

そのような中でも、政府が取り組まなければいけないことが、三点あります。一つは、「感染したくない」と思っている人に、必需の日常生活行為での感染を起こす機会がなくなるような社会制度づくり、一つは、新型コロナ肺炎の治療システムの充実、もう一つは、感染者発見システムの増強です。
必需の日常生活行為で他人と接する機会といえば、家と職場の往復で利用する交通機関内と生活必需品の買い物エリアです。それらの場所でのマスク着用義務や他人に聞こえる声での会話禁止などの措置、空気循環システムの改良(下から上への空気の流れづくり)などになります。つまり、「とばっちり感染」を防止する施策であり、「喫煙者からの副流煙被害を避けるために」の考え方と似ています。
新型コロナ肺炎の治療システムの充実といえば、病床、人、設備の充実のことになります。
「Go Toキャンペーン」などで何兆円も使っているようですが、大学病院級の病院は数百億円で作れます。トラベルキャンペーンや休業補償で何兆円も使う費用があれば、大病院を100院は作れてしまいます。しかも新規の建設は不要で、統廃合を視野に入れている既存病院を感染症専門病院に改造すればいいだけです。国家規模でみると、たかが知れたお金でコロナ専門病院などたくさん作れてしまうのです。感染した人を効率よく治療できる医療体制は国家主導でなければ作れません。
そして、日本中のあちこちで抗原検査、あるいはPCR検査をできるようにすることです。神社にお参りするくらいの気分で、気軽に出掛けて検査を受けられるようにしなければいけません。熱などの症状が出たから検査するのではなく、日常のルーチンのお出掛け気分で検査できるようにするのです。すると「隠れ感染者」は減り、「とばっちり感染」は激減します。その施設を日本に5000施設くらい作ればいいです。

おわりに

政府が取り組むべきことは、今や上記の三点に集約されていますが、どうも国会議員たちは「見返り」がないことには関心がないようです。アベノマスク、Go Toキャンペーンなど、何か見返りのありそうなことにばかり執心しているようで、国民はその姿への苛立ちを高めているように思います。
この日本で生きている限り、現国家体制の不満を述べても大して進歩しません。我々にとってさしあたり重要なことは、「私は感染しても構わない。コロナウイルス肺炎くらい自分の体力で吹っ飛ばしてやる。自由を満喫できるならコロナに感染して死んでも本望である」と割り切る決断をするか、「私は感染したくない。だから、徹底的に自粛生活を続け、安心できるワクチンの普及を待つ」と決断するかだけの問題になるのです。
結局は、喫煙の問題と同じような結論なのかもしれません。

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