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月刊メディカルサロン「診断」

情報提供と広告掲載日2022年3月2日
月刊メディカルサロン3月号

厳しく規制される医療広告

コロナ禍において、テレビは様々な情報を発信しています。
「今日の感染者は〇〇人でした」
「ワクチン接種が決まりました」
「〇〇県ではこうなっています」
「外国では〇〇薬を使ったら〇〇な効果があったようです」
などはルーチン情報ですが、それに付属して様々なコメントが発されます。このコメントを聞いている私たちは、一喜一憂したり、恐怖を感じたり、ほっとしたり、「そうするべきだ」と思ったり、「ひどい国もあるのだなあ」と思ったり、つまり、気持ちが変化したり何かの感想を持ったりします。その「気持ちの変化や感想」がその情報による単なる結果なのか、あるいは、「その気持ちの変化と感想」を与えるためにテレビ局やコメンテーターが故意にその情報を発信したのかは、定かではありません。

いや、厳密には、発信者のテレビ局は、「このように世間の心を誘導してやるぞ」という明確な意志を持っていますが、証明するのが容易ではない状態に置かれています。

テレビ局はコロナワクチン認可前に、広範囲な観点からワクチンの紹介をしていました。明らかに「未承認医薬品の広告」であり、それを禁止する薬機法第68条違反です。テレビ局側は「公共の利益に供するため(であり、だから広告に該当しない)」という言い訳をするでしょうが、その言い訳自体、発信内容そのものが違反行為であると認めていることになります。
そういえば、「アビガンを早く認可してほしい」と懸命に語るコメンテーターがいましたが、どう見ても「未承認医薬品」の広告であり、薬機法違反です。
「広告」には様々な規制が伴いますので、一つの情報提供が広告に該当するかどうかは重要問題です。

どこからが広告なのか

さて、我々は日々多くの情報に触れていますが、あらゆる情報にはその発信者がいます。発信者が何らかの形で発信する情報を、我々は入手していろいろ考え事を進めているのです。
人に情報を伝える情報配信の手法を列挙してみます。

  • 個別の会話で伝える
  • パンフレットや資料を作成して対象者に手渡す
  • メディア(雑誌、新聞、テレビなど)の広告枠で発信する
  • チラシを作成して新聞折込やポスティングを行う
  • 授業、セミナー、レクチャー、講演、街角で演者が聴衆に伝える
  • メディア(新聞、雑誌など)の取材を受けて当該メディアに掲載される
  • テレビ、ラジオに出演して語る
  • 書籍を執筆して書店で販売する
  • インターネット上のページで発信する

この中で「広告」に該当するのはどれでしょうか?「メディアの広告枠での発信」「折込チラシやポスティングで発信」は、費用もかかるし明らかに広告活動と言えそうです。「個別の会話」は広告とは言えないように思います。そもそも個別の会話には、「広告」の「広」という文字が当てはまりません。

広告に明確な定義はあるのでしょうか?「広告」には各業界で何らかの規制を設けていますので、その定義は極めて重要です。
某捜査関係者に尋ねると、「閲覧可能な状態になっているものはすべて広告だ」と言っていました。となると、前記のうち「個別の会話で伝える」以外のすべては広告に該当することになります。情報を伝える対象者がはっきりしている授業、セミナー、レクチャー、講演でも録画して後に誰でも閲覧できてしまいますし、インターネット上のページでもIDとパスワードを設定した秘密状態でも、そのIDとパスワードが出回れば誰でも閲覧可能になってしまいます。その捜査関係者は、「だから発信された閲覧可能情報はすべて広告なのだ」と話していました。しかし、「閲覧可能であるならすべて広告に該当する」は暴論であると私は思います。言論封鎖につながるからです。

これはどっち?

ある大学が、授業日程に関して下記のような情報をインターネット上に掲載したとします。そのページのURLは学校の生徒しか知りません。
「授業日程に変更、追加がありました。新しい日程は下記のとおりです。新しい授業の〇〇には可能な限り出席するようにしてください」
と表現されていたとします。学校の立場では、その日程を一般の人たちに秘匿する必要はありません。一般の人たちに見てほしいとは思っていませんが、見られたら見られたで、「素晴らしい授業をやっているな」と思ってもらえればラッキーだくらいの気持ちは持ちます。
一方、大学が配信する情報には、一般の人たちに秘匿しなければいけない情報もあったりします。
「3年生のA君は、学校の規則第〇条に違反したので放校とします」
「下記の6名は留年です」
などです。学内の関係者や生徒のみに与える必要がある情報で、他人に知られてはいけない情報の場合は、IDとパスワードが必要なページにします。

ここに一つの疑義が生じます。当該大学の学生のみにURLを伝えてあるページに掲載された
「授業日程に変更、追加がありました。新しい日程は下記のとおりです。新しい授業の〇〇には可能な限り出席するようにしてください」
のネット上のページは、広告に該当するのでしょうか?ただの情報提供なのでしょうか?
IDとパスワードは不要なので、その気になれば誰でもが閲覧できる状態です。そして、「新しい授業に参加してください」と要求しているのですから、明らかに誘因性があります。法曹関係者は、「誰もが閲覧可能で誘因性があれば広告に該当する」と言います。では、この情報は「広告」に該当し、規制範囲の内容しか掲載できないのでしょうか?皆さん、よく考えてみてください。
私は広告に該当せず、単なる情報提供であると思います。

求められるガイドライン再考

医療社会は強い規制下に存在します。
医師が究極の個人情報を受け取り、診察し、処方し、指導し、経過を観察している自分の患者には、「伝えなければいけない情報」「伝えるべき情報」「伝えたい情報」がたくさんあります。それを口頭でのみ伝えるか、手渡しの資料にするか、インターネット上のページに掲載してそのURLを伝えるかなど選択肢は多いですが、最も便利なのは、情報更新が容易でいつでも新情報を与えることができるインターネット上のページです。患者(対象者)には、そのページのURLを伝えればいいのです。

医師にとって、自分の患者というのは特別な存在であるのは言うまでもありません。医療サービスを提供して感謝してくれる相手でもありますが、重要な研究対象の相手でもあります。一方では、何かの訴訟で訴えてくる相手でもあり、また、先日の事件でもありましたが、突然自分を殺しにくる相手にもなりえます。
医師はその特別な存在への情報提供には、非常に気を使っています(まったく気を使わない医師がいるのも確かで、それはそれで嘆かわしいことです)。その特別な相手に配信する情報が「広告に相当する」などと指摘されたら、たまったものではありません。
医療社会は広告規制が厳しく、文言のひとつひとつに制約があります。しかし、自分の患者に情報提供する際、広告規制を考慮することはまずありません。率直に医学的真実を伝えます。

情報発信の手法が多様化し、また技術的にも進歩した時代です。その進歩や変化に応じて、実情を考慮し、「広告とは何か」を考え直さなければいけません。
「誰でも閲覧可能な状態」「誘因性がある」のならばそれは広告に該当するというのは、もはや暴論に過ぎないことをよく認識し、日本社会が次の時代へと成長することを願ってやみません。

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