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月刊メディカルサロン「診断」

平成と令和の医療改革掲載日2023年7月31日
月刊メディカルサロン8月号

平成の医療改革

平成バブル崩壊後の平成2~3年。健康、医療への国民の知的欲求が高まり、医療への不満が爆発していました。説明不足、3時間待ちの3分診療、薬漬け、検査漬け、医療過誤などは定番的な不満でした。それらはすべて患者と医師の間の問題で、患者と接する医師の心得の向上が必要でした。患者の不満は高まりますが、その部分の向上の動きは見られませんでした。
「動かない相手を動かすには、動かざるを得ないように仕向ければいい」
革命家的思考を好む私はそのように考えて、内科領域の自由診療を起こすという無謀に取り組んだものです。それを成功させて日本中にアピールできれば、医療社会全体も動かざるを得なくなるだろうという思いです。
私の活動が影響したかどうかはともかくとして、医師と患者間の在り方に関しては、2004年から実行された医師の新研修制度の制定以来、大いに改良され、患者にやさしい医療へと進歩したように思います。国民の健康を守るネットワークを築く責務を負っている厚労省の立場では、「納得の成功」を収めたと言ってもよさそうです。
さて、医師と患者の接点に関する改良を成功させたのが平成の医療改革なら、令和においては、二つの課題を解決しなければいけません。「過剰診療問題」と「医療機関の医師人事の問題」です。

過剰診療問題1「重複」

過剰診療には、二つの観点があります。「重複」と「治療選択」です。
「重複」というのは、複数の病院に通っている患者の場合、各病院でどのような治療が施されているかに関して、相互に把握されきっておらず、そこに重複による過剰が存在してしまうのです。その対策として、診療情報提供書を中心とする医療連携が進められてきましたが、それはあくまで平行層での「見える化」あるいは「情報交換」にすぎません。改革のためには、上層からの「見える化」が必要です。
私はかつてセールスフォース社の顧客管理ソフトを導入し、クラウド型の来院者管理システムを築きました。つまり、あるクリニックの担当医が目の前の患者に行っている治療行為をクリニック内の手元のパソコン上に入力したら、その情報が別場所に設けられたサーバーに保管され、その情報を私がどこにいてもリアルタイムで引き出せるというシステムです。
これは、患者に対する医療行為を現場の担当医師だけでなく、その場にいない私の手元でも治療現場で行われている患者への医療行為を把握できるシステムになります。このシステムを駆使して、私は日本中にクリニックを設立することができました。私が東京にいても、大阪、名古屋、広島、福岡、沖縄などの傘下のクリニックで実行されている医療行為がリアルタイムで把握できました。これを「最上層からの見える化」と言います。
厚労省が、「マイナ保険証」を利用して、最上層からの「見える化」システムに取り組んでくれれば、改良の道に乗ると思います。

過剰診療問題2「治療選択」

もう一つの「治療選択」というのは、「不要と思われる医療に対してどうするか」や「念には念を、に対してどこまで割り切れるか」などの問題になります。
「不要と思われる医療」というのは、具体的には「転んで頭を打った高齢者が硬膜外血腫を発症した。血腫は広がる気配はなく無症状だったので、自然に治るのを待つことにした。しかし、大学病院からパートに来てくれる脳外科医のある日の手術予定が患者の都合でキャンセルになり、パート医の仕事がなくなりそうになった。その転んだ高齢者の治療方針を急遽手術することに変更しよう」というようなものです。手術の結果、ベッド上から動けなくなることもしばしばです。
「念には念を」が過剰になると、検査を積み重ねることになります。医師の能力が高ければ高いほど、完全診断までの検査は少なくなり、能力が低いほど検査が増えます。同じ患者への同じ診断でも、検査数が多いほど当然医療費は増えることになります。また、放射線が関与する検査なら、放射線被ばくが増えることになります。
過剰診療は、医療費の増大をもたらすだけでなく、患者の健康への実害を伴うこともありますので、早く解決しなければいけない課題になります。マイナ保険証の導入が解決の一助になることを期待しましょう。

医療機関の医師人事問題

医療機関の医師人事は根が深い問題になります。最寄りの大病院をご覧ください。たくさんの医師が働いていますが、その医師は、どのような経緯でその病院で働くことになっているのでしょうか?
一般の大企業なら、新卒で入社した社員が徐々に成長し、やがて中堅職、要職を占めていきます。大企業の支配下にあるような企業(子会社)なら、親会社から役員が任命されてきます。一般の従業員は新卒者や既卒者が募集に応じて入社しています。中小企業や新興企業なら、新卒社員の募集、転職者の受け入れで会社を構成する人材が成り立ちます。
企業の場合は、上記のどれであっても人事部が存在し、その人事部が働く人材を選抜して育成しています。
では、大病院の場合は、その病院の人事部が医師を募集して面接を行い、採用を決めているのでしょうか?
そうではありません。実はここに医療社会の問題が潜むのです。その問題は医局支配と言われます。
医師になるためには大学の医学部を卒業しなければいけません。その医学部には教鞭をとる医師がいます。教授、准教授、講師、助手の肩書を持つ面々です。内科、外科、産婦人科、整形外科、小児科、精神神経科など、それぞれの科ごとにその教鞭をとる人が存在します。その肩書を持つ人たちを中心として、形成されるのが医局です。内科、外科などの範囲の広い科は、一つの大学の中で複数にわかれていることが多いです。一つの医局には当然、その大学の卒業生が多く所属する傾向があります。教授は、その大学の付属病院の自己の科の「診療部長」に就いているのがほとんどです。
一つの大病院で働いている医師は、どこかの医局から送り込まれた医師です。医局の立場では、「当医局所属の○○医師は、○○会○○病院に出張中」という表現をします。医師は、「医局に所属していて、他の病院に出張している、出向している、派遣されている」という形態をとっているのです。ある病院に出向中の医師は、所属医局から突然、「他の病院に異動せよ」「大学医局に引き上げてこい」と命じられたりします。その病院の人事部の意向など関係なく、その病院の医師人事が決まってしまうのです。病院の人事部は面目丸つぶれです。医師の異動をめぐって闇が存在するのは言うまでもありません。この人事権を源として、教授の絶対権力が成り立っているのです。

脱医局支配人事へ

この医局支配の背景には重要な現実がありました。ある一人の医師の技能を把握しているのは医局のみだったです。医局の外から見ると医師に対しては「医学博士を取得したか、取得していないか」しかわかりませんでした。つまり、医局の外から見る限り、その医師がどんな技量を持っている医師であるかがわからなかったのです。だから、大病院のあるポストに対して、送り込む技量を持つ医師であるかどうかを判定できる医局が主導権を握ったのです。
平成時代の末頃から、この医局支配人事を改良し、病院の人事部に主導権が移るようにするための作戦展開がなされました。医師に対して、技量判定指標として、認定医、専門医、指導医などの肩書を設けることになったのです。
医局支配人事切り崩しの一歩目です。この一歩目がどのように展開されていくかが、令和の医療改革になることでしょう。

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