月刊メディカルサロン「診断」
研究活動、教育活動はクローズドサークルをつくって熟成させるもの(前編)掲載日2023年11月30日
月刊メディカルサロン12月号
慶応病院で内科外来を担当していた平成4年、ある論文を先輩医師に教えられたことで、私に新しい人生の幕開けが訪れます。その論文の内容とは「病気でない2万人を1万人ずつに分け、片方にはアスピリンを投与した。他方には偽薬を投与した。そして5年間の追跡調査をしたところ、アスピリンを投与された群の心筋梗塞発症率は、偽薬投与群に比べて40%少なかった」というものです。
「病気になった人を治療する」というのが、医師の仕事です。私が担当する外来にも病気にかかっている人がたくさん来院しています。その一人ひとりの治療を進めるのが医師の役割です。しかし、その論文が意味する重要ポイントは、「病気でない人を対象として調査研究した」というところです。病気でない人にある医療行為を行ったところ、その結果、その医療行為を受けている人の重大な病気の発症率が低下したのです。病気の治療をするのが医師の仕事である、と思い込まされてきた者にとっては、まさに驚きでした。
積極的予防医療
その論文に触れたことを私は「アスピリンの衝撃」とシンボル的に名づけました。この衝撃と同時に、私の脳内は一気に活性化しました。当時は、予防医学と言えば「早期発見、早期治療」のことで、人間ドックの受診を推奨することでした。しかし、この衝撃はそんなレベルを超越しています。「病気にならないように仕向けていく」という積極性があります。そして、アスピリンを投与するという実行為を行っています。研究者の中に存在する医学というより、患者と接して実行する医療そのものです。
そこで、従来の「予防医学」という単語に対して、「積極的予防医療」という単語を思いつきました。早期発見、早期治療は、早期発見にやや積極性があるとはいえ、病気になるのを待ち構えるという意味でまだまだ消極的だ、と思ったものです。
同時に医師の口癖に思いが至りました。「何かあったらお越しなさい」の口癖です。日常会話的には、「ああ、お医者さんですか。何かあったらお願いしますよ」に対する回答です。この口癖は、「何も起こらないように指導してあげましょう」に変えなければいけません。
健康管理学
次に、病気になる確率をとことん下げる指導をするためには、ベースになる医学が必要だ、と思いました。積極的予防医学の名称がいいだろうか、いや、それこそがまさに健康管理の学問だから、健康管理学か・・・。何気なく思いつきましたが、当時は「健康管理学」という学問がなかったのです。それから数年後に、どこかの大学医学部が「健康管理科学」という学問名を設けましたが、医学常識的には、内科学や外科学と同じように「健康管理科学」になるのです。今は、誰も感じませんが、当時は「健康管理学」という名称には違和感があったのです。
「とにかく、健康管理の指導を行うためには、その指導の土台となる学問が必要だ。しかし、現状において健康管理は学問化されていない。おお!!新しい学問づくりに取り組めるのか」と私の心の中は巨大な夢と希望にあふれ始めました。しかし、どうやればそんな学問を作れるのだろうか。途方もない話で、まったく手の付け方がわかりません。当時、大学院生として大学医学部で研究活動に励んでいましたが、研究の対象となるものはすでにお膳立てされています。具体的には、研究の対象となる患者群は、すでにその病院に通ってくれているのです。この健康管理学研究は、病気でない人が対象ですので、日本国民のほぼすべてということになり、あちこちに存在はしているのですが、目の前の研究対象になってくれるところには存在していないのです。
クローズドサークルの必要性
そんな時にふと心に浮かんだのが、何かの兵法書で読んだ「林戦」の一節「敵味方の軍勢が、ジャングルの中で遭遇するかもしれない」という時の戦い方です。
「兵士たちは、いつ、どこから敵が現れるかわからない恐怖にとらわれる。その恐怖心、不安こそが軍勢の敵であり、その軍勢は、心理がある限り統率が取れなくなる恐れがある状態になる。その対策として、まず兵を一箇所に集め、集まった周囲の木を切り倒してしまう。そして、若干でも見通しが利くようにすると兵士の心は冷静になる。その状態を作った上で、作戦を考える移行する」
という内容で、高校生の頃に読んだのですが、何の兵法書であったかは思い出せません。
目の前にあるものを整理し片付けて見通しをよくする。予防医療の分野で思い浮かんだのは、アスピリン、ピロリ除菌、ビタミンC、ビタミンEだけでした。
それらを以て、今現在は病気でない人に応用して行ける状態を作ろうと考えた時に思いついたのが、「やはり、アスピリンの投与を希望する、あるいはピロリ菌の除菌を希望する、という目的に同調してくれる一つの閉ざされた人間集団を作って、それを切り口として人間集団を作り、その集団の中で進めていくしかない」というものでした。
プライベートドクターシステム誕生
閉ざされた人間集団を作り、その集団を対象として試行錯誤を繰り返すのが臨床研究です。その人間集団と私との間では、信用を土台としての人間関係がなければいけません。しかし、相手との間で「信用関係」という単語を直接用いるのは難しいものでした。そこで置き換えたのが「友誼(ゆうぎ)関係」という単語でした。「友としての誼(よしみ)」を閃いたのです。
最大の困難は、「私を中心として、そんな人間集団を作れるのだろうか?」という点でした。その頃私は診療現場では、難しい医療の内容をわかりやすく面白いストーリーに仕上げて患者に説明するのが好きでしたし、得意でした。その面白い説明、わかりやすい説明を巡って、人々が集まってくれていました。医療に対する知的欲求が高まっており、医療に関して豊富なコミュニケーションをとることができた私は、医療の講釈師を務めることができ、「人々に求められているなあ」という実感はあったのです。しかし、安定的に継続できる人間集団を作れるかどうかというと、それは別次元のことです。
「悩んでいる場合ではない、とにかく進もう。ダメならダメで医師免許があるのだから、パート人生、当直人生でもなんとかなる。食いはぐれることもないだろう」と、まったく勝算がないままに、その人間集団作りを決意し、その名称を考慮するようになりました。
「まず戦いて、然る後に勝ちを求む」という道を進んだのですから、今、思えば危うい道でした。無謀なことをしたものですが、その無謀こそ創業というものかもしれません。
名称は、「プライベートドクターシステム」にしました。当時、「プライベートバンク」という語が出現しており、この「プライベート」という語を用いるべきかと思ったのです。
直面した厳しい現実
人間集団の名称は、プライベートドクターシステム。私との友誼関係を土台とする人間集団。その集団の中で、健康、医療に関して豊富にコミュニケーションをとり、積極的予防医療の世界に興味を引き寄せてゆき、その活動の中で健康管理を学問化する。さて、その拠点場所は?ここで、初めて、想像以上の費用がかかることに気がつきました。費用が掛からないわけがないとは思っていたのですが、組織作り、組織維持のためには、事前にイメージした予想の3倍は超える費用がかかることが見えてきました。「そんなことで躊躇してはいけない。いざとなれば、他の病院での当直を繰り返して稼げばよい」と開き直ったものです。
私はよく、操業を夢見る若者に、「出費は予想の3倍、収入は予想の半分。それを覚悟しておけば、心理的に苦しむことはない」とアドバイスしますが、このときの経験によるものです。
(後編に続く)