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月刊メディカルサロン「診断」

士気、意欲、モチベーション掲載日2024年1月31日
月刊メディカルサロン2月号

大国ロシアが小国ウクライナに攻め込んで苦戦しています。理由は簡単です。ウクライナ国民の士気が高いからです。
「国を守り、自由を守る。ロシアの奴隷化は嫌だ。そのために命を失っても悔いはない」
その強い意志が強力な戦意となり、士気高く戦う意欲を持っているから欧米諸国の応援を引き寄せられています。
士気が低ければ、欧米諸国は応援する気にもならず、ロシアに簡単にひねりつぶされていたことでしょう。「士気、意欲、モチベーション」が今回のテーマです。

士気と大阪万博

大阪万博の開催に関して、侃々諤々の議論がなされています。
「事前の予算よりも建設費がかかり過ぎている。事前予測が甘いのはいつものことだけど」
「国民の負担は一人当たり平均いくらで大阪府民の負担は平均いくらになる」
「収支的に入場料をいくらにしないと採算が取れない」
「赤字になったらだれが負担するのか」
番組上で議論することができるので、マスコミはそれだけで大きなメリットを受けています。大いに議論してメリットを受けていただきたいと思います。
しかし、それらを議論してネガティブな方向に導くのは間違えています。国家事業はもともと消費活動です。民間事業を盛り上げていくための起爆材として、国家事業が存在するのです。民間事業を盛り上げて堂々と税収を増やすことを狙うのです。
ずさんで油断だらけの垂れ流し費用を発生させないための慎重さは必要ですが、目的が民間事業の起爆なのだから、収支計算に執着するのは間違えています。マスコミが、「慎重さを意識させるために、赤字になったらだれが負担するのだと叫んでいるのだ」と警鐘を鳴らしているつもりなら、それも一を知って二を知らないというものです。国民に不安と嫌気を与え、意欲を低下させてしまい、本来目的の「国民の士気を高め、民間事業の起爆剤とする」に影を落としてしまいます。
大阪万博には、大阪のIR事業の起爆にするという大目的があります。そのために国家は消費活動として大阪万博を開催しているのです。マスコミも一体化して、大阪万博を盛り上げていこうという気概を持たなければいけません。
平成バブル崩壊以後、日本は「国民の士気を高めるための国家事業」という観点を忘れています。東京の世界都市博覧会を中止したことを発端としています。
実は、日本は驚くほどの大金持ち国家です。民間に資産は山のように蓄積され、世界各国に投資した莫大な資産を持っています。円が安くなったと言われますが、金利を上昇させざるをえない欧米諸国に対して、マイナス金利のままなのに多寡の知れた円安にしかなっていません。円の凄まじい強さが際立っています。世界が喜ぶ国家事業を次々と計画して、国民の士気を高め、誇りを醸成させ、その士気と誇りの元で民間事業は自信をもって成長するのです。

士気と消費税

日本は、国民の士気を高める発想をもつのが苦手です。その典型例は消費税に現れています。「国民に納税者意識を持たせるため」という思惑で、最初は外税設定をしました。つまり、エンドユーザー向けにも商品の単独価格を掲載させ、それに消費税を加算するというやり方でスタートしたのです。200円の商品に対して200円と示し、会計時に20円を加えるやり方です。そして、後に変更して、消費税を盛り込んだ商品金額を示してその内訳として消費税を明記させる方式にしました。商品価格を220円と掲載し、値札や明細書に「うち消費税20円」と明記させるのです。これらは国民の意欲をそぎ取るやり方です。
黙って220円と記して、その価格で販売すればいいのです。消費税額を仕分けるのはお店の内部の仕事です。つまり、消費税が上乗せされた価格のみを顧客に見せる価格として、内訳としての消費税がいくらであるかを隠してしまうのです。自分がいくらの消費税を支払っているかをわからなくして負担気分を抹消するのは、ガソリン税と同じ扱いに過ぎません。
店によっては、220円の数字は中途半端だから250円にしてしまえ、という店もあるかもしれません。それを「便乗値上げ」と言って、政府は過敏になりました。250円の商品価格をどう思うかは、顧客側の問題です。高くて割があわないと思えば買わない、割があうと思うなら買う。その結果の責任は店が負うことになるのですから、政府の知ったことではありません。
「消費税の見せかた」に関しては、相当に議論したのだと思いますが、政府の最終決定は、国民の意欲をそぐ方向であったのは間違いありません。

士気と子育て

「国民の士気を考慮しない」ことは、今の少子化問題対策にもよく現れています。「子供を産んで育てるぞ」と意欲満々になってもらうための工夫を考えていません。「負担を軽くする」ための議論に終始しています。「負担を軽くするためにああしよう、こうしよう」などと議論していたら、国民はますます負担の気分が大きくなります。負担額は減っても負担の気分が大きくなるのです。国民の意欲をそぎ取るというのは、こういうことをいうのです。
国民の子育て意欲を高めるのは簡単です。産んで育てた子供が自分の将来の裕福度を高める素因となる、ことを明確にするのです。具体的に述べてみます。
現役世代は皆、年金の掛け金を負担して高齢者に分配しています。厚生年金なら、自分が支払った額の同等金額を会社が追加で支払ってくれています。集まった総額を高齢者に分配しています。そこを変更するのです。自分が支払った分は自分の親のために年金として配分されるようにするのです。会社負担分を従来の高齢者向けの分配原資とするのです。もちろん親が死亡すれば、自分の支払い分も従来の厚生年金原資になります。
親の立場では、子供を産めば産むほど将来の年金受給額が増えます。子供の立場では、自分が支払った年金掛け金を親が受け取ってくれています。親は未来を夢見て今の負担気分は吹っ飛びます。子供は親のために払っているのだという孝行気分が伴い、年金の負担気分がなくなります。親子セットで負担気分がなくなります。自動的に子育て意欲は高まります。
そのような将来に夢を感じる設定を行い、それを喧伝した上で、今の負担を減らす話を進めるのです。そうすると国民の士気は高まり、少子化対策も自然に全うされていくのです。

英雄の消滅と士気の低下

日本は経済の各分野において、英雄が出現することを嫌います。厳密には、その業界をマウントしたい官僚がそのような英雄が現れることを妬み、怖れ、警戒し、排除するための作戦を展開してきたのです。だから、日本では産業各界にリーダーシップを発揮する英雄的人材が消滅してしまいました。
国民は、子供の頃に英雄の伝記や伝説を読んで、「あんなふうになりたい」というワクワクしたときの気持ちを失い、将来に夢を感じることがなくなり、「目立ったら刺される」の思いばかりが募り、高い志を持つことにネガティブ気分を持つようになったのです。だから、優秀な人材や高い志を持った人材はそっぽを向き、意欲低下人間が目立ち、その者達を納得させる働き方改革を余儀なくされたのです。国民の士気を低下させた結果です。

自民党の裏金問題は、国民の士気を低下させる象徴的事象です。与党議員(公明党除く)が自己の満足とちょっとした喜びや得した気分のために、国民の士気を低下させることを平気で行っていたのです。
何が根源であるかを早く悟って目を覚ましてほしいものです。

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