月刊メディカルサロン「診断」
日本社会の絶対矛盾掲載日2024年6月28日
月刊メディカルサロン7月号
従業員として働いている人は、容易に退職することができます。しかし、経営者は、従業員を容易に解雇することができません。この現象は一つの矛盾です。経営者の皆さんはそれを感じていると思いますが、法改正のアピールを諦めています。矛盾が定着したのです。制度疲労あるいは、制度のひずみというのでしょうか、この世の中には時間の経過とともにどう見ても矛盾しているという社会現象が誕生します。その社会現象は自然発生的に生まれ、経過とともに大義名分を得て定着します。今回は、そこにスポットを当ててみたいと思います。
貧しい若者から裕福な高齢者への資金循環が存在する
「富める者が貧しい者に施していく」が、自然の社会常識だと思います。「なぜ富める者になれたのか」を深堀すると話が長くなりますが、とりあえず結果的に、社会のどの時点でも「富める者」と「貧しい者」の両者が存在しています。極端に貧しい者を放置すると、その貧しい者は餓死するか破れかぶれの行動に出るかのどちらかです。「破れかぶれの行動」は富める者にとって困りますので、何かの手を打とうとします。富める者が武装するという手もありますが、それだけだと革命につながりかねませんので、極端に貧しい者を虐殺するか、救うための手を打つことが多いようです。今の時代は、貧しい者を救う手を打つしかありません。
現代日本社会では、極端に貧しい者を救うために生活保護法を設けています。
退職者を「貧しい者」と定義しているわけではないのですが、退職者への生活資金の供与として、現役世代の若者から資金を徴収しています。「家もなく貯金もない」という者から資金を徴収して、「家を持ち貯金がある。つまり立派に資金を持っている」という人に分配しているのです。「子供を産んで子育てしたい」という世代からも徴収しています。徴収した上で子育て支援を論じています。
「家もなく貯金もない若者」と述べましたが、今の若者は学生支援機構のローンを抱えていますので、「家もなく貯金もなく、それでいて借金はある若者」なのです。親が子供の大学時の学費、生活費の手当をやめてしまったのは、「退職時にかなりの貯金が必要だ」という政府スローガンの責任です。親は、自分が子供のときには親に大学生活の資金をもらっていましたが、今は子供にローンを組ませているのです。しかも、そのローンは55歳まで返済が続くというケーズもしばしばです。「ローンを組んでまで大学に行く必要があるかどうか」を論じ合うのが先決ですが、政府はそれを国民的議論にするのを避けています。文科省行政の規模が縮小してしまうからです。省庁は自己の事業規模を縮小させる方向には動こうとしませんので、そのような展開になってしまっています。「縮小を嫌う」という省庁本能の積み重ねが巡り巡って、「貧しい者から徴収して、裕福なものに分配する」という社会矛盾を作り出しました。解決するのは、「ベーシックインカムの制定」や「年金廃止、生活保護法拡大」など政治の力だけですが、その政治がこれまた「金くれ議員」に占められています。
政治に金がかかる
団体は人の集合体です。団体をばらしていけば、一人ひとりの人に行き着きます。その人は、基本的な生活を営むのに、それほどのお金はかかりません。贅沢生活を望んだ時に、お金がかかるのです。その贅沢をしたいために、人は努力します。「政治に金がかかる」という一言が、社会矛盾用語であることに気づかなければいけません。
「政治に金がかかる」というのは、「どこかに金を配るために金が必要だ」という意味で、配られる先は最終的にはひとりの人です。「選挙で金がかかる」というのなら、それは「選挙で金を配る」ということで、配られるお金を受け取っているのはもちろん「人」です。だから、何らかの形式で贈賄が関与します。本当に選挙でお金を使っていたのなら、分配先は贈賄の時効期限を過ぎるまでは公表できません。
「求心力を発揮するために金がかかる」というのも、問題です。「求心力の発揮に金がかかる」というのは「ここに金があるよ。分配を求める人は集まっておいで」の意味に他なりません。その主張をすれば、当該党は思想集団とは言えず、自ら「金くれ議員」と宣言しているようなものです。政治の世界は「きれいごとではすまされない」と言ってしまえば、「金くれ議員の巣窟である」と宣言しているようなものです。
ふと私が大学生の頃のことを思い起こします。私の知人が、国会議員の河本敏夫氏の事務所でお茶くみバイトをしていました。週に1回の例会では、大勢の議員が集まっていたそうです。河本敏夫氏のバックには三光汽船がついていました。ある日新聞の一面に、「三光汽船、倒産」のような記事が出ました。その次の河本敏夫氏の例会には、数人しか集まっていなかったそうです。数人のうちの一人が、海部俊樹氏でした。数人しかいない中、姿勢を崩さず張りのある声で皆にいろいろ語り掛けていたそうです。河本敏夫氏は三木武夫氏の後継で、クリーンなイメージがありました。しかし、その派閥の実態は「金くれ議員」の集合体だったのでしょうか。もちろん、偶然的にその日の会合に出席できなかったという可能性は残っています。
アメリカで長く生活していたあるプライベートドクターシステムの会員が教えてくれました。
「私は若い頃から一生懸命に仕事して、財を成し一棟のビルを購入した。もはや家族を食わせていくのに心配はなくなった。だから、今後の人生は議員になって人々のために尽くしたいと思う。アメリカではそんな人が議員になるのだよ。日本とは全然違うでしょ」
自己の贅沢を求める気持ち、生涯を食いはぐれないでやり遂げられるかどうかへの不安な気持ちを卒業して、「座って半畳、寝て一畳」を悟り、国民のために尽くしたいという者が国会議員になれば理想的かもしれません。そんなことを考えれば考えるほど、「政治に金がかかる」と言っている(開き直っている)のは、常軌を逸した社会矛盾に思えるのです。
サプリメントの扱い
小さな話になりますが、それぞれの業界内部にも絶対矛盾ということが存在しています。私は、「健康管理の学問化とその学問に基づく実践指導」を生涯テーマの1つとしていますが、その分野にも絶対矛盾が存在します。他でもないサプリメントの法規制です。
医療法一条により、「医師は自己の診療に関して、患者に丁寧に説明をして同意を得なければいけない」とされています。
世間には、サプリメントが普及しました。サプリメントは栄養素を商品化したものですから、栄養素品と言い換えることもできます。栄養素には、人体への効果効能があって当たり前です。その栄養素品(サプリメント)は、国民に深く浸透して今や生活に切り離せないものになりました。診療でも食事指導の一環として、サプリメントを用いることが普及してきました。
しかし、過去の裁判判例や行政通達では、「効果効能を語れば、それは医薬品とみなす」とされています。つまり、医師はサプリメントの成分の効果効能の真実を患者への説明で語れば、当該サプリメントは医薬品であるとみなされることになり、そのサプリメントが一般流通していたなら、薬機法違反を冒していることになります。
だから、医師はサプリメント成分に効果効能があると語れません。しかし、医療法一条により、「医師は自己の診療に関して患者に丁寧に説明し同意を得なければいけない」になっています。
これは明らかな医療社会内の矛盾です。
大きなところから小さなところまで、社会矛盾があちこちに潜んでいます。小さな社会矛盾は法律改正や判例変更で解決することができますが、大きな社会矛盾の解決は意識改革を前提としますので、よほどの英雄が現れない限り解決困難な気がします。