月刊メディカルサロン「診断」
孫子の兵法と健康管理掲載日2024年9月30日
月刊メディカルサロン10月号
「戦わずして勝つ」健康管理学
2500年前に書かれ現代でも多くの人を魅了する書物に、「孫子の兵法」があります。兵法とは「戦争においての兵の用い方、戦術などを扱う軍学書」と一般的に説明されていますが、私はそんな説明に納得していません。
孫子の兵法において注目するのは、
「百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」
の一節です。「善の善なるもの」という奇妙な言い回しをしていますが、これは単に「最善の方法」という意味です。柔道やレスリングで、不戦勝があったときに、「戦わずして勝った!!」と叫ぶ人がいますが、この一節はそんな安っぽいものではありません。
その趣旨は、「武力戦によって必ず勝つというのは、用兵の極意ではない。戦いを交えずして敵を屈服させることが極意である」です。
豊臣秀吉の全国統一の後半は、これに徹していました。初戦のみ戦いを交えることはありましたが、それ以外は武力戦を起こさず、どんどん屈服させていきました。徳川家康でさえ、秀吉の前に屈服しています。伊達政宗も同様です。
この一節を健康管理学に応用すると、
「健康管理に拘って日常生活においてあれもこれもダメを繰り返し節制に徹しても、それは最善の健康管理ではない。自由気ままに不摂生しながらも健康で長生きすることが最善の健康管理の方法である」
ということになります。私は30年前の創業期にその思いを抱いて、「健康管理を学問化する。『戦わずして勝つ』の健康管理学を築くのだ」と意を決したものです。
上兵はその謀を伐つ
「孫子の兵法」は戦争をテーマとしていながら、武器のことを一切述べていません。2500年前にも盾、矛、矢などの武器はあったのでしょうが、その武器の使い方などまったく述べられていないのです。だからその後の時代に、鉄砲、ダイナマイト、原子爆弾、ミサイルなど最新の兵器が次々と開発されても、現代に通じる深奥を持っています。
では、何が述べられているかというと、「どんな時に人はどう思いどうするのか。その人を集団化させた時に、どうすればその集団を意のままに統御できるのか」「どうすればどのように展開し、どんな結果を迎えるのか。その結果が望ましくないなら、どうするべきなのか」「どんな時に相手はどんな心理状態になっているのか。その心理状態を利用して突き崩すにはどうしたらよいのか」「どんな時に味方はどんな心理状態になっているのか。その心理状態を活かすにはどうしたらいいか」などが述べられ、勝利を収めるための手法論を述べながらも、「上兵は、その謀を伐つ」つまり「戦争において最善の方法は、敵の企図、戦略を無力化させて、戦う意欲を奪い取ってしまうことである」と諭して、最終的には「自国を全うするために、戦争は一つの手段に過ぎない」と説いているのです。
孫子以後2500年の技術革新の中で、戦争で使うための新兵器が次々と開発されても、集団を形成する人の心の真理、原理、法則は不変であり、現代でも多くの愛読者がいる所以であろうと思います。
よく戦う者の勝つや、智名なく、勇功なしや
30年あまり前、私は人の一生における健康問題の中で、その真理、原理、法則を追求したいと願いました。「新兵器は不要とした方が真理、原理の追及をしやすいはず」と考え、最小限の医療設備のみでやり抜く未来を描きました。MRI、CT、内視鏡その他の検査機器の高度化はますます進むであろうが、それらは武器に過ぎない。孫子は武器の使い方を説いていない。高度な検査機器を揃えて、人々を錯覚させることは本望ではない。そう思うと同時に、「健康保険を捨てる」と決断しました。医師に莫大な恩恵を与えてくれる健康保険制度ですが、「病気でない人への医療」を追求する私の立場では、健康保険制度を併用すると「悪用」という誘惑に誘われるかもしれない。それも本意ではない。未練を持たず見事に健康保険を断ち切りました。それらの決断をしたのが、30年以上前ですが、昨日のことのように感じています。
その当時から孫子の一節から取り出して、私の心得としているものがあります。
「よく戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし」
戦いの奥義を極めたものは、勝ちやすい体制を作って容易に勝利を収めるから、知者としての名声も目立たず、勇者としての栄誉を受けることもない、という趣旨です。華々しい戦いの現場をつくりだすことなく、勝利を収めているのです。医療で言えば、生きるか死ぬかの病気になってから、治療現場で活躍する医師を目指すのではなく、何事も起こらない身体づくりへと指導していく医師であるべきだ、という心得になります。
将たるものの心得
孫子の一節に次のようなものがあります。
「敵の来たらざるを恃むことなく、吾の待つあるをもって恃むなり」
これは、「敵が攻めてこないことを期待するのではなく、いつどんな敵が攻めてきてもびくともしない自己の体制を築いておくことが大切である」という趣旨です。集団を率いるリーダーが、管理者の心得として持っておくのは当然ですが、日常の身の回りにもこの応用がたくさんあります。「びくともしない自己の体制づくり」においては、無知や油断は敵としては小さく、「面倒くさい」「しんどい」という心理が最大の敵なのです。「面倒くさがる人」「しんどがる人」は管理者として適しません。健康管理学にも直結する一節です。
「面白い一節」があります。
「先に暴にして、後にその衆を畏れる者は、不精の至りなり」
これは、相手に怒鳴りつけるなど暴力的に取り扱いながら、後になって離反を恐れて急に気遣いだすのは低レベルな仕種である、と説いています。上司が部下に怒鳴りつけて、「では退職します」と応じられて焦りまくっている上司の姿を連想します。人間関係の達人は、相手が目下でも最初は腰を低くして接するものなのです。
その一節に連動して、次のような一説もあります。
「卒、未だ親附(しんぷ)せず、而してこれを罰すれば、則ち服せず。服せざれば用い難し。卒、己に親附し、而して罰行わざれば、則ち、用うべからざるなり」
忠誠心がまだ固まっておらず上司に心服していない部下に罰を与えると、服従しなくなる。服従しなければ、その部隊は意のままに動かなくなる。部下の忠誠心が固まり、上司に心服しているのにミスがあったときに罰を与えることができなければわがまま息子を育てているようなもので、これまた、その部隊は意のままに動かなくなる、と説いています。
リーダーを目指す人の心得としては極めて大切に思います。
おわりに
ところで、冒頭で兵法とは、
「戦争においての兵の用い方、戦術などを扱う軍学書」
と説明されていますが、私はそんな説明に納得していませんと述べました。私流には兵法とは「自国を全うするための戦争の位置づけとその戦争において勝利を必然化させる方法」となります。健康管理に応用すれば、「楽しい人生を全うするための健康管理学の位置づけと、自由を堪能しながらも健康で長生きする方法」という説明になります。
さて、私はその孫子を熟読した結果、生涯独身計画を打ち立てることになりました。「孫子の兵法」と独身計画がなぜつながるのでしょうか。話した瞬間に「まさにその通り」と仰ってくれる人がだんだんと増えているように思います。しかし私は今、人生においては、
「いたわり合うことが一つの喜び」に気づいています。
人生学には、軍学を超える部分があるということでしょうか。