月刊メディカルサロン「診断」
30年前と今、どう違う?掲載日2024年11月29日
月刊メディカルサロン12月号
闇バイトの募集から始まり、応募者を手先として強盗などを行わせる「トクリュウ事件」。そんな事件は、30年前は考えることもできませんでした。
カップルの間で、男から声かけした「1年後に別れよう」。そんな声かけは、30年前には考えることもできませんでした。
「長時間働いてはいけない」という禁止は、30年前の「24時間戦えますか」のコマーシャルが流行した時代には想像もできませんでした。「同性同士の婚姻」も同様です。
社会の土台、奥底、底辺で何かが変化し、それによる表層的事象の代表例が上記3つです。30年前と今、何が変化したのでしょうか?私が感じている変化した部分を、述べてみたいと思います。
ここ30年で「日本は衰えた」「失われた30年」と言われていますが、その大元原因の何かが見つかるかもしれません。
1.官官接待、官民接待がなくなった
30年ほど前、慶応病院の近くに15人くらいが座れるカラオケスナックのような店がありました。ママさん一人と2~3人の女性がアルバイトしていました。テーブル席が3席ありましたが、スタッフの女性が隣に座ることはありませんでした。
私は研修医時代にゴルフ部の先輩医師にその店に連れてもらって以来、ときどき仲間同士で訪ねていました。飲み代が安かったので、当時の私でも行きやすかったのです。テーブル席はたいてい埋まっていました。ほとんどが男同士の客で何やら上品そうに話している顧客ばかりで賑わっていました。大騒ぎする客はおらず、私には絶妙の店だったのです。しかし、1年ほどご無沙汰して久しぶりに訪ねたところ、閑古鳥が鳴いていたのです。アルバイトの女性もいません。私の問いにママさんはポツリと寂しげに答えました。
「私のお店、官官接待、官民接待で賑わっていた店だったのよ」
半年後、その店は閉店しました。
平成8~9年頃、私は地方にもメディカルサロンを作っていました。ある縁故で、「当地に先生のメディカルサロンを作ってほしい。知人をたくさん入会させたい」という依頼を受けてのことでした。その時の入会者で、駅近くの飲食店のオーナー兼板長がいました。ある日その人の店に行くと、座敷の部屋に30人くらいの団体が入って賑わっていました。聞き耳を立てると、どうやら中央から派遣されたお役人(官僚)の送別会のようでした。大盛り上がりといいうか盛んな意見交換がなされていて、皆仲良さそうでした。
前記二つは銀座のクラブやキャバクラではなく、飲食費のお高い店ではありません。ごく普通のカラオケスナック、居酒屋です。
銀行関係者が大蔵官僚を接待したという「ノーパンしゃぶしゃぶ」をマスコミが取り上げたことをきっかけに、30年前にはあれだけ賑わっていた官官接待、官民接待が、今は消滅しました。ちなみに、製薬会社が医局、医師を接待する医薬接待も消失しました。
「経済繁栄は資金の循環である」と割り切るのなら、政府は大失態を冒したことになります。政府資金による建設会社から建設現場職人への資金循環は重んじているのに、小さな飲食店への資金循環は禁じるべきだったのでしょうか?
私は診療現場で毎日、フェイストゥーフェイスで来院者と話し合っています。だから、それで疲れてここ10年ほど夜の飲食会を遠慮するようになっていました。しかし、最近、ひょんな理由で再開しました。多くの人の価値観に接して改めて議論することになり、やはり飲食の場での話し合いは大きな価値を生み出すものである、と再認識しました。
30年前には盛んだった雑多な会話の中に潜む貴重な意見交換の場、それが今は消滅しています。その話し合いの場づくりを推奨していくのは、日本国を再興するための政府の務めであると思います。政府が底をおろそかにしたから、SNSの過激横行の元になったのかもしれません。
ちょうど地方創生を旗にあげていることですし、一定の節度の範囲での官官接待、官民接待を再興させていただきたいと思います。
2.平均寿命が延びたために、若者が貧しくなった
1955年の平均寿命は男性63.60歳、女性67.75歳、1980年の平均寿命は男73.35歳、女78.76歳でした。およそ30年前の1995年は、男性76.83歳、女性83.36歳でした。では、直近の2023年はどうでしょうか?
男性81.09歳、女性87.14歳です。山口百恵さんが引退した1980年より10年近く長生きするようになり、30年前に比べても約5年長生きしています。リタイア時には30年前でもある程度の貯蓄が必要でしたのに、今はさらに5年分の生活費を余分に貯蓄しておかなければいけません。
なぜ長生きできるようになったかの議論はさておき、長生きしているために老後資金の問題が生じます。その老後資金を確保するために、子供の大学の学費を親が出さないという路線が選択されています。子供は奨学金を申請しますが、その受療した奨学金を借金として背負って社会人生活が始まっています。その借金額たるや200~800万円になり、若者を生活苦や将来がプレッシャーのどん底に落とし込んでいます。その若者に「子供を産んで育てよ」など無理な注文です。
学費を無償化する、奨学金をチャラにするなどが議論されていますが、「親が子供のために支払った学費は、未来に老後手当として80歳を超えた親に政府が月額固定で支給する」というシステムを考えていただいた方が、親子の絆を守りやすいと思います。
当然、長生きにより直結的に再考しなければいけないのは年金問題です。この分野に関して、過去の約束を放棄するのはやむを得ません。様々に議論されていますが、「年金はあくまで年金、それで生活できないのなら生活保護法」と割り切って、年金支給の先送りや減額に取り組んで、若者、現役世代への直接負担を減らすことが肝心なように思えます。
3.女性の社会進出に伴い、若者の間では女性優位になった
30年前は、「寿(ことぶき)退職」が当たり前でした。結婚と同時に家庭に入り専業主婦の道を歩み、内助の功を美学とする、というのが社会モデルでした。男は24時間仕事してでも家庭を支えるという気概に満ちていました。今は男女の収入格差がなくなり、共働きが社会モデルとなり、役割分担が明確だった家庭内の生活スタイルがぼやけてきました。
男と女、本業では五分と五分なのに、若い女の方が若い男より高給バイトや効率のいい収入源が存在するので、若者の間では女の収入が男の収入を上回るのが当たり前になっています。それに応じて、女の部屋に寄生しようとする男が増えました。30年前は、「男のプライドに賭けても女の部屋にあがりこんではいけない」と男同士で語り合っていたものです。
しかも、働き方改革で長時間仕事することもできなくなりました。それは「できる男」が本業以外のバイトに乗り出すことを意味し、それは「できない男」のバイトを奪うという現実をもたらし、「できない男」の収入源が断たれました。外国人労働者の参入も「できない男」の収入に影響しています。その結果は、ご存知の通り「闇バイト」「社会擾乱」の出現です。
また、30歳手前で貯金ができた女を狙っての男の「騙し作戦」が横行しています。手口は二系統で、ロマンス詐欺的なもの、投資詐欺的なものに大別されます。巷には、「男に騙された」といって全貯金を失って借金まで背負わされた女が増えています。出会い系アプリで知り合った「イケメン男」のほとんどは、女を騙す目的を持っていると思っていいかもしれません。
ここ30年の男女関係の変化の根源は、「女性の高収入化」と「貞操の美徳の消失」「『女を守る』という男のプライドの喪失」に言い表せるかもしれません。
男女関係をめぐっては、30年前とは格段の違いを感じます。ただし、それらの結果は、中高年の成功男性にとっての「男性天国化」をもたらしているのが現実かもしれません。
4.政治資金が透明化した
2024年の衆院選は「裏金」をキーワードとして自民党に逆風が吹き荒れました。裏金のことを「不記載」という表現でごまかそうとしましたが、「うかつなミス」ではなく、「故意に記載せず資金を手元におさめた」のですから、その心底に潜む汚さを国民はしっかりと見破り、自民党に厳しい選挙結果を作り出しました。
30年前は、裏金などという単語は不要でした。なぜなら、政治そのものが裏金まみれだったからです。田中金権政治の名残があり、裏金が当たり前の時代でした。
ここ30年の間に政治資金規正法が整備されたから、裏金がクローズアップされたのです。それを考えると、日本の政治は金権からの脱却の道を歩みつづけ、完全浄化の数歩手前まで来た、と評価できそうです。裏金まみれの政治であった30年前からちょっとした裏金でも政権を失う今の時代へ。政治の世界は確実に浄化したようです。
「富める者が手弁当で選挙を行って為政者となり、貧しい人に施していく慈愛の政治を執り行う」などは夢物語ですが、少しは近づいているのかもしれません。
5.多様性の肯定と否定がなされた
「同性婚を禁じるのは憲法違反」の判決が次々と出ています。自衛隊の違憲判決とは異なり、法制化を急がなければいけないことでしょう。それらは多様性の肯定と言われています。LGBTという語は、30年前には言及されることさえありませんでした。
新しい価値観を受け入れていくのは、明治維新以来の日本の特徴です。当時は、新しい価値の導入を「文明開化」と名づけられました。この頃、一方では欧米から「野蛮」と評価された部分(混浴など)を排除しました。当然、日本人の心理的な抵抗は大きかったのでしょうが、なぜか日本はそれを乗り越えます。新価値の受け入れと旧価値の排除が絶え間なく繰り返されるのは、まさに日本の文化になっています。大元は多神教国家だったでしょう。
太平洋戦争の戦前戦中の価値観と戦後の価値観への激変は、奇跡的ともいえるものです。LGBTを受け入れることくらい、日本社会では容易なことかもしれません。
しかし一方では、「たくさん働くことが私の美学だ」「若いうちにたくさん仕事してお金をためて人生の後半を楽にしたい」という価値観を持つ人の思いは、踏みにじられました。「働き方改革」です。
この働き方改革の一連は、江戸時代前の日本の戦国時代が終焉してもまだくすぶり続けた「人を殺すことを何とも思わない風潮」を変革するために出された「生類憐みの令」に匹敵する法律である、と私は睨んでいます。「長時間働き続けることに対して違和感を持たない風潮」「長時間働かせても構わないのだと思う風潮」を変革するために、「働き方改革」は必要です。「生類憐みの令」が必要だったのと同じです。
30年前には存在しなかった「長時間労働の禁止」がこの先どうなっていくのでしょうか?「生類憐みの令」と同じになるかどうかが見ものです。
6.インターネットが普及して、隔世の感を生み出した
インターネットが普及したことを土台として、30年前には存在しなかったものが次々と誕生しています。この分野は述べればきりがないのですが、初期の段階では、人材募集の容易化、顧客管理の高度化、通販事業の拡大、情報発信の簡素化をもたらし、次の段階ではSNSの普及を作り出しました。
人材募集の容易化は人材流動性の拡大をもたらし、顧客管理の容易化は顧客の囲い込みと個人情報の扱いの諸問題をもたらし、通販事業の拡大は物流の巨大化と小売店の消滅=シャッター街の出現をもたらし、情報発信の簡素化は具体的には「ふるさと納税」などを生み出しました。
SNSの普及により、非対面や無声の会話が主流化し、それは男女の出会い、フェイクニュースの拡散、闇バイトの募集、インフルエンサーによる推薦商法などをもたらしています。まだまだ進化していきそうな分野ですが、30年前はまったく考えられなかった現象です。
ウィンドウズ95が発売されたのが29年前。30年前と今ではまさに隔世の感があります。