月刊メディカルサロン「診断」
高齢化社会の到来とアラ・サルーテの役割月刊メディカルサロン1997年11月号
高齢化社会の到来にどう対応するかが日本政府の主要課題になっているようです。税制や年金制度、医療保険制度の改革が必要になるのも、高齢化社会の到来に対応するためと言っていいでしょう。
ところで、皆さん、高齢者中心の社会ってどんな社会になると想像しますか。明るい社会ですか。暗い社会ですか。
「将来の病気になる不安要素をすべて改善するために、身体改良計画に取り組み、長生き確率を高める」をテーマとする健康管理指導を実践していると、よく次のような質問を受けます。
「そんなに長生きしたところで楽しいものなのでしょうか」
それに応えて、メディカルサロンの健康管理指導は「90才を超えても頭脳明晰で体力充実」を目標に掲げることになったのですが、実はこのような質問がでる裏には、重大な問題が潜んでいます。皆さんが高齢者の社会生活について夢を持っていないという問題です。
半身不随で寝たきりになっている姿、介護なしでは生活できない姿、誰もかまってくれなくなり孤独に過ごしている姿、そんな姿をイメージしてしまうようなのです。高齢者の生活についてなぜそのような悪いイメージが湧いてくるのでしょうか。それを突き詰めていくと政府の失敗という結論へ導かれてしまいます。
私は政府の過去の施策を論じるのはあまり好みませんが、なぜ政府の失敗であるかを解説いたしましょう。
暗いイメージの高齢者社会をマスコミを通じてアピールしてきたのが他でもない厚生省なのです。なぜそうしたかというと、高齢者を収容するための施設(特別養護老人ホームなど)の重要性を叫び、建設のための予算を確保するためです。予算確保の名分として高齢者社会に対する不安をあおり立てる必要があったのです。大げさにアピールされてきたのは、厚生省の天下り先や利権先を確保していくための施設づくりが関係していました。その辺の事情は先日の厚生省岡光前事務次官の不祥事などからも納得されるでしょう。現実にはそのような収容施設も必要なのですが、その施設の建設などはひっそりと行えばいいのです。まとめると政府の都合のために、本来なら素晴らしい高齢者社会を築くために全日本国民に宿さなければならない「思想づくり」に政府は大きな失敗を犯してしまったのです。
政府のこの一連のミスは厳しく反省されなければなりません。日本の行く末を真摯に考えるなら、明るい楽しい高齢者社会を築くためにどうしたらいいのかを検討していかなければならないのです。それを政府に任せるわけにいかないから、本誌アラサルーテの存在意義が生まれてきます。以下、それについてメッセージをお送りいたしましょう。
ロンドンのハイドパークに行ったことがありますか。80才を超えているようなおじいちゃんとおばあちゃんがタキシードや真っ赤なドレスや着こなして腕を組んで散歩している姿が見られるのですよ。
オーストラリアのシドニー湾をクルージングしてご覧なさい。90才ぐらいのおばあちゃんの誕生日を祝って、息子、娘に孫、ひ孫まで集まっているグループが一組ぐらいは見られるのですよ。
ところが日本に戻ってみると、総ての高齢者が無個性な身なりをしています。「おばあちゃんはあばあちゃんらしく、おじいちゃんはおじいちゃんらしく」が合い言葉になっているかのようです。明るい楽しい高齢者社会を築いていくためにはそのような風習を打ち破ることが第一に必要でしょう。恥ずかしがらないで、思い切って、大胆にお洒落をして出かけていただきたいと思います。
そして第二に3世代以上の交わりの場を定期的に持つことが大切です。核家族化が進行する中で、世代間のコミュニケーションが乏しくなってきたように思います。世代を隔てての共通の話題が乏しくなってしまったことも原因でしょう。これを打開するためには交わりの場の設定が重要になります。つまりそれぞれが単独でも楽しむことができ、それでいて同じ場にいるという状況を知恵を絞って作り出すのです。3世代以上が同時に集いやすい仕組みのツアーやパーティを企画するのもいいでしょう。また、隔てた世代で麻雀などのゲームやゴルフなどのスポーツを楽しむ場を提供することも大切でしょう。
「年をとってもお洒落を楽しみ、恋を楽しみ、グルメを楽しみ、男女仲良く手をつないで公園を散歩する。高齢をものともせずに時には海外へ出かける」
この合い言葉は以上のように考える中から生まれてきたのです。かけ声だけではいけません。そんな社会を実現できるように思想的な面を支えるだけでなく、日本での先駆けとなって実際に活動していくこともアラサルーテの役割になるのです。
※「Alla Salute」は2000年10月号より「月刊メディカルサロン」に誌名変更しました。