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月刊メディカルサロン「診断」

健康教育活動を阻むもの掲載日2026年10月23日
月刊メディカルサロン11月号

国民皆保険の医療体制維持のためには、健康教育活動が必須です。つまり、政府側の立場としては、全国民に健康、医療に関する教育、啓蒙を行わなければいけないのです。しかし、国民は学ぶことを望みません。厳密には、自分の利益になること以外を学ぼうとする意欲を持ちません。では、どうしたらいいのでしょうか?
国民医療費が48兆円に至っています。高齢化社会に伴い確実に増えています。48兆円のうち社会保険方式で徴収できているのは、24兆円にすぎません。自己負担が6兆円ですが、残りの18兆円は国や自治体の公費負担、つまり、税金から補填している状態です。国民は、その実情を知りません。
実情を知らないのに、政府がいきなり「高額医療費の補助を減らす」などを発表しても国民が納得するはずはなく、当然、自己負担率を上げる、と言っても納得するはずがありません。国民は日々、医療と接しているのに、その実情を知らないというのは恐ろしいことなのです。
医療社会には、財源を中心とする様々な問題が勃発しています。問題解決なしで、日本の国民皆保険は維持できるのでしょうか?
医療社会が抱える諸問題を解決するためには、全国民的な議論が必要です。つまり、全国民が、医療の実情に関心を持ち、国民的議論を勃発させ、その延長上に、財源問題の解決を据えなければいけないのです。
そのためには前段階として、教育のきっかけ、イントロとして、皆が関心を持つ身近なテーマから始めなければいけないのです。
皆が関心を持つテーマは、健康医療の分野にはきっちり存在しています。体調良好、不老長寿です。そして、「病気にならない」です。すべての国民が望んでいることです。この分野をきっかけとして、国民の健康、医療に関する知識の習得欲を高め、医療に関する国民的議論ができるように持ち込まなければいけないのです。行政側が、「自分たちが取り仕切る。国民は黙って、言われたとおりにしろ」などと言っている場合ではないのです。
官民挙げて、国民の健康、医療の知識向上に努めなければいけません。

「活動を阻むもの」の正体

しかしながら、その活動を阻むものがあります。健康教育を遂行する障壁を取り除き、全国民の健康、医療に関する知識を高め、医療体制を健全に維持しなければいけないのです。
それは、医薬品該当性の概念です。
口から摂取するものはすべて食品(医薬品を除く)である、と法律上は定義されています。つまり、口から摂取するものは、医薬品か食品かのどちらかということになります。日常の中で国民は、「これは医薬品である」「これは食品である」は当たり前のように識別しています。医薬品には、医薬品と書いてあるからです。食品には、わざわざ食品と書いていないことが多いです。国民は、医薬品であるか、食品であるかを一目で見分けています。また、医薬品には副作用の心配があると思っていますので、慎重に見極めようとする一面も持っています。しかし、この一目で見分けられているはずの医薬品、食品の識別に関して、政府は妙なルールを設けています。それが、医薬品該当性の概念です。
法律では、「医薬品は、疾病の診断、治療、予防を目的とするもの」(薬機法第2条の略)とされています。当然の定義です。
その逆、つまり、「疾病の診断、治療、予防を目的とすれば、それは医薬品である」ではありません。実際に、疾病の予防にできる食品はあります。また、食事療法という語があり、医師の指導下で管理栄養士が食品の指導を行います。その指導の際に、疾病の予防や治療を目的としているからと言って、すべてが医薬品になるわけではありません。

医薬品該当性の定義

しかし、政府はここに「医薬品該当性」という概念を導入しました。簡単に述べると、「人体の機能に影響して診断、治療、予防に効果があるような旨を表示すれば、それは医薬品とみなす」という概念です。厳密には、次のように定められています。

「その物の成分、形状、名称、その物に明示された使用目的・効能効果・用法用量、販売方法、その際の記述・宣伝などを総合して、その物が通常人の理解において、『人または動物の疾病の診断、治療または予防に使用されることが目的とされている』、あるいは『人又は動物の身体の構造又は機能に影響を及ぼすことが目的とされている』と認められているものをいい、これが客観的に薬理作用を有するものであるか否かを問わない」

とされています。そのような概念を採用し、実践適用されているのです。
しかしながら、世の中は進歩、成長し、今では「サプリメント」というシンボルワードが世に定着し、栄養素、サプリメントであるのにその形状が医薬品と類似しているなら、「サプリメント型食品」があちこちで販売され、そのサプリメントに人々が健康増進、すなわち疾病の予防を期待している今、その医薬品該当性の概念を更新あるいは廃止して改めなければいけません。
「大小」ではなく「ある、なし」を題材とし、「ある」の旨を表現すれば、それは医薬品とみなして薬機法違反として刑事罰を与えるという現状は、実態として言論封鎖に値するのではないでしょうか。
「機能性表示食品」の届け出があれば「ある程度まで効果効能を語ってよい」という通告は、言論封鎖していることを実証しています。ある経口摂取物は開発製造段階で、医薬品であるか、食品であるかが決まっているべきものです。食品であるのに、その形状が医薬品と類似しているからと言って、効果効能を目的としているからと言って、すべてが医薬品になるわけではありません。そのサプリメント型食品に、薬機法を持ち出して未承認医薬品扱いとする「現代に即さない実情」を、政府には改めてもらわなければいけません。

サプリメント型食品

ある経口摂取物は人体に対して、大なり小なりの健康上の影響を有します。ある経口摂取物の健康への影響は、大きい、小さいで語るべきものです。なお、良い影響は「効果」といわれ、悪い影響は「弊害」といわれます。
これを改めると、「食品」の前提であるのに、その形状が医薬品と類似しているなら、「サプリメント型食品」と名付けて、そのラベルなどに「本品はサプリメント型食品です。医薬品ではありません」と明示し、添え書きに「疾病の治療、予防に役立つかどうかは不明です」と記載すればいいのです。そして、説明表現が誇大や虚偽であれば、景品表示法の適用により適法性、違法性を検討するべきです。その前段階として「サプリメント型食品とは何か」を政府が定義して、国民に認知してもらえばもっと良いです。
国民は医薬品的形状をしたものに対して、医薬品かサプリメントであるかを考えることになり、「サプリメントです」と明示されていれば、「メカニズム的に健康への効果が期待できるが、実証されているわけではなく、厳密な効果は不明である」と認識し、その上で実際に摂取してみて、自己の実感や検査結果などで継続するべきかどうかを判定します。
そうすると、さまざまな健康メカニズムストーリーが語られ、お茶の間で身近な健康話題が盛り上がり、健康教育が振興し、自由闊達に健康、医療が議論され、医療社会の課題解決へとつながるのです。
サプリメントという用語が生まれた現状においては、従来の医薬品該当性の目的は、「刑事罰を与えやすくするため」のものにすぎず、医療問題を解決するための健康教育普及の妨げにしかなっていません。

例えば、「酢」は種々の医学的文献で、健康に具体的な効果があることが述べられています。酢を商品化したものがあり、それが「こんな効果がある」と謳った場合、酢はもともと食品ですから、景品表示法で適法、違法の判定を行わなければいけません。しかし、「そんな効果はない」と実証するのが大変です。そこで、「こんな効果がある」と語ったから、その商品は医薬品になる。しかも、未承認状態である。だから、その「酢の商品」は未承認医薬品となり、未承認医薬品の効果、効能を広告したから薬機法違反になる、とすげかえる論法を持ち出して刑事罰を与える。というのが現状です。その過程には、「効果効能を述べたから医薬品とみなす」という単純さがあるのに、あえて「総合的に判断した」という用語を用いますので、行政側も薬機法を適用することには、実は後ろめたさを感じていることを示唆しています。
「骨こつケア」という大手企業が販売している商品があります。テレビで盛んにCMが放映されています。その説明、表現を見ると、「この商品は骨粗鬆症の治療、予防を目的とするものである」の宣言を示唆しています。小手先テクニックでかわそうとした気配さえありません。製造した段階で、「これは医薬品ではない、食品である」というお墨付きを政府からもらっていない限り、危なくてコマーシャルにできない内容です。しかし、このコマーシャルで人々は、骨粗鬆症にさらなる関心を持ち、街角やお茶の間の議論となり、骨粗鬆症への認識が深まり、気になる人はいろいろなトライアルを行って認識が定着すると思います。
製造開発段階でそのお墨付きがある、というのは、まさに私が求めていることで、そのおかげで健康教育が進むという典型例になるかもしれません。この商品を政府がどのように扱うかが見ものです。
青魚の脂肪成分であるEPAや、キノコの子実体のβグルカン、甲殻類から抽出されたグルコサミンなども同様で、国民に有意義な健康ストーリーを語ることができ、そのようなサプリメント成分がたくさんあります。有意義な健康メカニズムストーリーを語り、国民の関心を引き、健康教育推進の源泉とできるのに、行政側が定めた医薬品該当性概念のために封じられています。
健康教育活動を阻む古い医薬品該当性の概念は、一刻も早く改めてほしいものです。

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