月刊メディカルサロン「診断」
メイタガレイの思い出月刊メディカルサロン1998年11月号
「先生はいかにもお坊っちゃん育ちという感じですね」と話されることがしばしばあります。そんなときはニコニコと微笑して黙っていますが、心の奥底ではお坊っちゃん育ちに見えることに不思議な思いを抱いてます。実は私の少年時代は決して順風なものではありませんでした。
私が中学1年生のとき、両親はある事情からそれまで営んでいた事業をたたみ、新規に日本料理店を出店することになったのです。開店当初は人を雇う資金もままなりません。私は当然職場にかり出されることになりました。学校を終えたら家で鞄をおいて、服を着替え、すぐに店に直行するのです。
店に着いたら、鳥肉を串に刺したり、大根をおろしたり、いわゆる仕込みを行います。開店時間になれば、ひたすら食器を洗います。私の目の届く範囲に3~4人の板前さん、1~2人のフロアで働くおばさんの姿がありました。お店は深夜3時まで営業していましたが、私は11時に家に帰ることを許されていました。そんな毎日を送りながら、働く人の姿というものに向かい合っていました。
メイタガレイの唐揚げというメニューがありました。手のひらより少し大きいカレイを包丁で巧みにさばき、身を開いて骨を取り出します。身と骨をともに唐揚げにすると程良い厚さの身は八文字に開き、骨はぱりっと揚がります。ポン酢で食べるとそれはそれは美味しい料理です。私は特に骨が好きでした。さくさくと軽い歯ごたえとさわやかなアブラの香りを残して舌の上で溶けくずれていきます。
ある日、私は父に尋ねました。「メイタガレイのさばき方を教えて」その瞬間、父の顔が激怒の色を呈し始めました。
「毎日、ここで板前が料理しているだろう。おまえはそれを見ていないのか。手は仕込みや食器洗いで忙しくても目は他にも向けろ。職場では誰も教えてくれたりはしない。男は教えてくれなどというものではない。人がやっている姿を見て、こっそりと盗み出すものだ」
その日以来、私は人の行動している姿を見てみずから学ぶということを知りました。「知りません。聞いてません。教わってません」という一言がいかに恥ずかしい一言であるかを自覚するようになりました。教わる前にすべて先手をとって自分から学び、身につけていこうと決心したのです。
学校の授業で教わることさえも気がひけるようになりました。授業よりも先に知らねばならない。事前に参考書などで知り尽くしておくようにしました。自分の知らないことが授業で出てこようものなら、大恥だという気分にまでエスカレートしたものです。
社会人になって周囲を見渡すと「えっ、そんなの聞いてませんが・・・」「そんなの知りません」「そんなの言われてません」という声によく触れます。みずから学び、みずから調べ、人の気がつかないうちに成長しておくという意識が未熟であることを露呈し、自分の能力の限界をばらしているようなものです。
ちなみに、中学生の頃、実家の料理店で食器洗いに長く従事し、働く人の姿を目の当たりに観察したことで私は大きな影響を受けました。板前さんは立ちっ放しで仕事をしています。私自身は将来そういう仕事をするのはつらいなと思いました。このままだと、本当に板前にされてしまうという予感もしました。その予感から脱出するためには、勉強するしかないと思いました。勉強して学業の成績を上げ、学力で戦えるようにしなければと思いました。そう思って以後は店を手伝う一方で学校の休み時間などに猛勉強に励みました。みずからの判断で学業の道を選択したのです。
中学時代、学校を終えたら平和に塾に行かせてもらえる友達を見てうらやましいと思ったことがはるか遠い昔のように思えます。居酒屋でメイタガレイの唐揚げをメニューに見かけるごとに、このメイタガレイがなければ私は今頃どんな人間になっていたのかなあと感傷にふけっています。