月刊メディカルサロン「診断」
「生活習慣病」の深遠なる意味月刊メディカルサロン1999年6月号
かつて成人病といわれていた一群の病気が、去年頃から生活習慣病と改名されました。改名の立役者は、言わずと知れた厚生省です。最初はこの用語もぎこちなく感じたのですが、最近は徐々に定着してきました。
「ふーん、生活習慣病か、うまく言ったもんだ」などと感心していてはいけません。これには深い思惑が内在しているかもしれないのです。
成人病と名づけている限り、それはやむを得ないもの、年齢とともに自然発生的に生まれるものというイメージが伴います。つまり、成人病にかかっても、誰が悪いわけではなく、やむを得ないものとあきらめることができます。
これを生活習慣病と改名したらどうでしょう。自然発生的でやむを得ないものというイメージは薄れて、「その病気にかかったあなたが悪い」という状況がつくられてしまいます。これは、厚生省がつくりあげた深遠なるわなだと思いませんか。
もともと病気というものは、その内容により2つに大別することができます。心筋梗塞や胃潰瘍、がん、ウイルス性肝炎、喘息、インフルエンザなど、症状が出て、実際に患者自身が、「痛い、しんどい、苦しい」などを感じている病気の一群と、高血圧、高脂血症、肥満などの症状の乏しい病気の一群です。後者は、実際にはそれ自体が病気とは考えにくいものです。高血圧や高脂血症は、それがあるために心筋梗塞や脳梗塞を起こしやすくなるから、一応、病気と扱われているのです。この「一応の病気」は定義により、患者数が勝手に増えたり減ったりします。
たとえば、10年前まではコレステロールは250以下なら異常なしと定められていました。10年前に誰が決めたか知りませんが、220以上を異常ということにしようと定められました。その瞬間、患者数が急増したのは言うまでもありません。この「一応の病気」にならないようにすることは1次予防、「一応の病気」を治療することは2次予防といわれています。
コレステロールや血圧の治療は保険医療でまかなわれています。
「一応の病気」の患者がどんどん増えることが保険医療財政を圧迫していることは言うまでもないことでしょう。成人病という名前を廃止し、生活習慣病に改名することは、「一応の病気」に罹患するのは、「あなたの生活態度がいけないからだ」と原因づけようとする意図がにじみ出ています。これは、その病気の一群を保険医療の適応からはずしていく下準備と受け取ることが可能です。
つまり、生活習慣病への改名は「保険医療は全国民から集めた大切なお金で運営されているのですよ。そのお金をあなたが悪いためにかかった一応の病気のために利用することはできません。その一応の病気にかかったのはあなたが悪いのだから、自分のお金で治療してくださいよ」というスタイルを築いていく土台づくりと考えることができるのです。
確かに私自身の経験でも、コレステロールや高血圧、糖尿病の治療では、薬を出さず生活習慣の変更で改善する人は多くいます。その人達が一般の病院に通院し、薬づけになっている姿は見るに耐えない何かを感じます。
「一応の病気」の治療を保険適応からはずすという方針は、賛否両論になることでしょう。製薬会社は猛反対するでしょう。医師会も反対するに決まっています。高血圧などの一応の病気で治療中の人も反対するでしょう。日ごろ多額の保険料を支払っている人は賛成するかもしれません。丁寧に健康管理に取り組んでいる人も賛成するでしょう。
私の私見では、保険料率の上昇を抑え、最終的に保険医療を守る上ではやむを得ないような気がいたします。心筋梗塞の治療や胃潰瘍からの吐血などの高度な技術を要する治療に特化して治療費を配分することが可能になるからです。そのほうが医療の未来のためのような気がします。
しかし、まあ、そこまで追い詰められた保険医療財政に同情し将来を憂える気持ちと、厚生省にもなかなかの策士がいるということに感心する気持ちが混在しながら、今回のお話は終えたいと思います。