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月刊メディカルサロン「診断」

主体性の確保月刊メディカルサロン2000年3月号

「私は、確かにやるように依頼しました。相手がやらなかったのがいけないのです。私は悪くありません」「ちゃんと伝えてくれるようにいったはずです。伝えてくれなかったからこんなことになったのです」

日常の職場ではきわめてよく耳にする言い訳です。

いくら言い訳しても、失敗が取り戻せるわけではありません。それでも、言い訳します。言い訳することが自分の身を守ることになると勘違いしているのです。身の守り方というのは言い訳から生まれるものではありません。

  • 「確かに、それをいつまでに仕上げるようにと指示は出した。しかし、あいつは最近どうも仕事に集中力を欠いている。仕上げられないかもしれない。そのときに備えてあらかじめ、こうしておこう」
  • 「確かによろしく頼むよ、と言ったところ、彼はわかったと返事した。しかし、どうも気のない返事だった。やってくれないものと仮定して、この先の仕事を進めていこう」
  • 「確かに、伝えてくれるように言った。しかし、うっかり忘れることもある。念のため、いついつにはこちらから連絡をいれて、確認しておこう」

その考え方が、身を守るのです。

他人のせいにしても何のプラスにもなりません。物事の道理をわきまえている人は、そのような言い訳する人を見て、「程度の低い人間だ。今後、信用していくのは止めよう」と判断します。その結果、立身出世の道を閉ざされてしまうのです。
他人のせいにすると言うのは、自己の主体的実行力の欠如を物語っています。また、仕事に生命を吹き込んでいないことを物語っています。他人事のように仕事を考えています。

また、あらかじめ他人のせいにできる形式を作っておこうとする人がいます。

「この仕事うまくいくのかな。そうとう気を入れてやればできないこともないけれど、うまくいかないかもしれない。うまくいかなければ俺の失点になる。そうだ。あいつにこれをやっといてと、一部分を任せてしまおう。そして、うまくいかなかったときは、そいつができなかったからだ、ということにしよう」という内容です。

それなどは、非常にレベルの低い話であり、責任感のない人間の手法です。このような人間を重職につけてはいけません。そのような人間は、他人のせいにできる形式で仕事を進めていることに、「自分の物事の進め方はうまい」と自己満足していることも多いのです。

人をあてにしてはいけません。また、人のせいにしてもいけません。人のせいにしないですむ方式で仕事を進展させていかねばならないのです。
「他人の善意に期待しすぎた」などという言い訳は聞きたくもないものです。自分に備えがあることだけを頼りにしましょう。失敗の結果、被害を受けるのは自分なのです。

この主体性について、中国の古典は鋭く言及しています。

左伝には「備えあれば患いなし」とあります。孫子には「故に兵を用いるの法は、その来たらざるを恃むことなく、吾の以って待つあるを恃むなり。その攻めざるを恃むことなく、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり」(敵がやってこないことをあてにするのではなく、自分に備えがあることをあてにしなければならない。敵の攻めてこないことを頼りとするよりも、敵に攻める隙を与えない我が守りを頼りとしなければならない)また、論語には「君子は何ごとも自分自身の問題としてとらえようとし、小人は何ごとも他人のせいにしようとする」と述べられています。

以上のような話は、若い世代への教訓になるだけでなく、バブル時代の銀行の過剰融資の問題にも当てはめられるので面白いでしょう。結局は被害を受けている経営者の主体性の問題に帰結します。

健康管理にも同じようにあてはめてください。重病にかからないことを盲目的にあてにするのではなく、病気にかかりようのないからだになっている自分の身体を頼りにしてください。
がんにかかってから、脳梗塞を起こしてから、言い訳しても何の役にも立ちません。主体性をもって、身を守ることが大切です。その指導のためにメディカルサロンが日夜がんばっているのです。

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