月刊メディカルサロン「診断」
雇用形態の変化と結果責任月刊メディカルサロン2002年10月号
時代にともなう勤務形態の変化
「派遣」という勤務スタイルが増えました。人材派遣を行う会社が、独自の媒体を有している関係上、民心操作をおこないやすく、「派遣で働く」ということに1つのファッション感覚を与えた時期がありました。その流行にのせられて、20歳代半ばの女性が強い派遣志向を抱くようになりました。その世代の人たちは今、30歳を超えています。幸せに生活しているのでしょうか。「保証がない」「安定がない」と今さら騒ぎ出している人も多いようですが、深く言及するのはやめておきます。「適当な時期に結婚するのだから」と考えていたのが、大誤算になった人が目立つような気がします。
ここ10年、勤務形態が多様化しました。「労働市場の流動化」などという用語を使う人もいます。しかし、多様化の流れに反比例するように、一時流行した派遣社員や契約社員の影はやや薄くなり、正社員志向が強まっている気配です。やはり、社会情勢が不安になると、急に保証が欲しくなるのでしょうか。
若い世代の人たちに、「正社員と派遣社員は何が違うのか」と尋ねてみると、たいていの人は「正社員には社会保険や退職金などの保証があるが、派遣社員にはない」と回答します。ときには「忠誠心の違い」「仕事に対する姿勢は正社員でも派遣でも同じ」などと答える人もいますが、職務に向かう心構えや責任の問題にあまり深く言及せず、単純に勤務システムの話に限局し、正社員の立場を羨ましがる傾向があるのが悲しい現状です。
組織内で就業している人を分類するとします。小さい組織なら「社長とその他」でしょうか。少し大きくなると「社長とその側近、および、その他」でしょうか。徐々にステップアップしていくと、どこかで「役員と正社員とその他」という分け方が生まれます。この場合、「その他」の中に派遣社員、契約社員、パート、アルバイトが入ります。
雇う立場としては、どのような人を正社員にするのでしょうか。「その組織で生涯働きつづける覚悟を持つ人から正社員を選ぶ」という社長がいました。自分も過去に独立したのですから、やや手前味噌でしょうか。
努力だけでは報われない現状社会
最近、結果責任という語が流行してきました。大企業トップでさえ、結果責任を追求されています。政治家も、「結果責任が重要である」と語るようになってきました。この結果責任に対する認識の深さこそ、最近は人を分類する基準になってきたような気がします。
いつのまにか、「努力はしました」「頑張ったんだからいいじゃないですか」という言い訳が完全に通用しない時代になっています。「結果を出さなければ意味がない」という時代です。経済全体が自然な右肩上がりのときは、組織内の一人一人が努力していれば、組織全体としてそれなりの成果を得ることができました。しかし、今は、右肩上がりではなく過飽和状態における一定単位の奪い合いの時代です。単に努力するだけでは成果を得ることができない時代になっています。
「努力する」と「結果を出す」の間には格段の差があります。高度経済成長期やバブル期に働いてきた人、またその後の若い世代でも、「私は努力しているじゃないか。なぜいけないのだ」と心底に思っている人が少なくありません。また、結果を数字で示されることに拒否反応を示そうとする人も目立ちます。そのような人たちには、今の時代においては「努力するだけで意味がある」というポジションが与えられることになります。そのポジションが派遣社員、パート、アルバイトとなるのでしょうか。
となると、「努力はしました」という逃げる言い訳をせず、「結果に責任をもつ」という境地、執念の人から正社員を選ぶことになります。一方では、結果に対する歩合しか存在しない独立的勤務スタイルのポジションを定める傾向も目立っています。変貌する労働市場のことはどうもよくわかりません。