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月刊メディカルサロン「診断」

サプリメントは必要か、不要か月刊メディカルサロン2002年11月号

合理性から始まった、サプリメントの歴史

私たち日本人は、日ごろの食事内容には十分気遣っているはずです。それなのに、なぜ、サプリメントの必要性が語られたりするのでしょうか。医師としての立場から、それについて語ってみようと思います。

サプリメントの誕生は、1977年にさかのぼります。アメリカ連邦議会上院議員のマクガバン氏が、「アメリカ人に多い心筋梗塞や大腸ガンは、日ごろの食事が原因になっている食源病である」というレポートを発表しました。そのレポートを見たアメリカ人は驚きました。日本では「医食同源」という言葉があり、食事と疾患のかかわりについては幼い頃から学んでいましたが、アメリカ人にはその概念はなかったのです。

「幼い頃から、あたりまえのように食べているステーキやハンバーガーが重大な病気の原因だったのか」というショックはさぞ大きかったことでしょう。だからといって、アメリカ人に急に「これからは肉の摂取をやめて、青魚や野菜を中心に食べなさい」と言ったところで通用する筈がありません。合理的なアメリカ人は、次のように考えます。

「肉は食べつづける。しかし、それに何かをプラスして、重大な病気の発症を抑えられないだろうか」

この発想の元で、サプリメントが誕生しました。そこで生まれた元祖的サプリメントは、繊維成分のサプリメントでした。日ごろの食事では極端に不足する繊維成分を錠剤でしっかりと補うという考えかたです。そして、ほぼ同時に魚油成分のEPAを含むサプリメントが生まれました。エスキモーに心筋梗塞が少ないことからEPA成分の重要性が認められ、肉食による脂質成分の偏りをEPAで補正し、血栓性疾患の予防にしようというものでした。もともと「supple(サプル)」は英語で、「補給する」の意味です。食事成分の偏りから生まれる問題を錠剤やカプセルで補給することにより解決するという意味が含まれています。

「補給」と「作用発揮」の2大目的

医師の立場で考えてみてもこれは合理的です。医師であれば、処方下で医薬品を利用することができます。しかし、医薬品にはどうしても「病気の治療」が意図されています。食事成分の不足に対する補給を目的とするものはありません。「帯に短し、たすきに長し」がどうしてもつきまとうのです。私の日ごろの健康管理指導でも、「ああ、このような成分を含有するものがあればなあ」と思うことが何度もありました。それらをサプリメントで補うことはやはり有意義なことだと思います。

サプリメントは大別すると2つの系統に分けられます。「食事成分の補給」を目的とするものと「ある作用を発揮すること」を目的とするものです。

前者の代表格が、まさに魚油成分のEPAと野菜類の繊維成分です。肉食が増え、食生活の欧米化が進行する日本でも補給するものとして必須性が高まっています。

後者の代表格が、グルコサミン、イチョウ葉、ベータグルカン、クロムです。グルコサミンは加齢とともに低下する関節軟骨のグルコサミノグリカンの合成を刺激し、関節軟骨の磨り減りを予防するだけでなく、修復しさえします。イチョウ葉はその成分のフラボノイドやギンコライドが脳に働きかけて、脳血流や脳代謝の改善作用を持ち集中力や記憶力を高めます。ベータグルカンは胸腺に働きかけ、リンパ球の成熟を促します。クロムは褐色脂肪細胞や副腎髄質のクロム親和性細胞に働きかけエネルギー消費効率を高め、善玉コレステロールの上昇やダイエットに効果を発揮します。これらの成分はいずれも、日常の食材に密接に関係している関係上、医薬品にはなりません。

サプリメントを冷静に分析していくと、その有意義さは奥深いものだなあと感心させられることもしばしばです。

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