患者と医療機関従事者(医師、看護師、事務員、その他)とが接する現場の改革
医療構造改革実現のオピニオン・・・一助、あるいは救世主として
平成4年頃の思い・・・医療制度は順調に成長するか、破綻するか
もともとの私は医学部内科の大学院生として研究活動に没頭する毎日でした。目指すは医学部教授の道でした。しかし、平成4年頃、「説明不足」や「3時間待ちの3分診療」などと言われた医療への社会非難、医療現場の実情を見ているうちに、医療構造を改善しなければいけない、というどうしようもない思いにとらわれるようになりました。
医師と患者との接点が診察室における「その場限りの繰り返し」であり、診察室を離れると医師と患者の接点がなくなってしまう現実。医師側も「診察室以外で接点を作ろうとしない」という現状では、来るべき高齢化社会に対応できないことに気付きました。また、患者に対して、医師、看護師、事務員が一体となったコミュニケーション体制がない、という実情も高齢化社会に対応できないであろうと思いました。
なぜ、そのような構造になってしまったのかを分析した結果、私が得た結論は「健康保険の制度が足かせになっている」というものでした。以上のことは、すでに多くの著作で語ってきました。
国民皆保険の医療制度は、毎回ごとの医師・患者間の接点に対する点数(売上)設定が土台であり、コミュニケーションの深さ、患者にいい気分を与える、患者に安心を与える、患者に優れた教育を施すなどが点数化できないシステムです。価値観多様化の時代が深まり、ハードではなく、ソフト上の「居心地のよさ」も基本題材としなければいけない医療界において、医源性の居心地良化ソフトを与えることに対する努力が育たない制度になっています。
そしてなによりも、患者側が持つ「医療現場ではいろいろしてほしい」という本能、医師側が持つ「いろいろすれば点数獲得になる」「いろいろしなければ万一の時にクレームになる」という本能、行政側がもつ「公費としての医療関連費が拡充すれば天下り先となる公的機関を多く設立できる」という本能、の3つの本能が重なりあっています。その3つの巨大な本能の側面には、行政側の「医師の権限を高めたくない」という本能も働いています。
その行政側の側面的本能は、「社会のために高齢化社会対策を急がなければいけない」という社会的必要性への思いを上回っています。昨今の介護保険制度において、意図的に医師主導下の仕組み作りを外していることなどは、その側面的本能の現れです。その本能ゆえに国策は迷走を繰り返します。
人間社会とは面白いもので、この分野に関する医師側の本能、行政側の本能は前術したものに疑う余地はないのに、口先では医師は「医療は非営利であり、売上追求ではない」と語り、行政側は「公費としての医療費削減が重要だ」と語ります。本能とは逆を向いているから、そのような非実状的合理用語を声高に叫ぶ必要性が生まれるのです。
この患者側、医師側、行政側が持つ3つの本能が重なり合っている限り、医療費は高騰を招き現役世代の負担増を招くだけでなく、医療制度を時代の変化に対応させて進歩させることは決してできません。
苦渋しながら、しかし、覚悟を定めた決断
そこで、私は苦渋の選択を迫られました。医学部教授の道を目指す平穏で名誉高い人生へと進むべきか、医療構造改革の先駆者として命がけの戦いの現場に乗り出すべきかの選択です。私の本能は後者を選択しました。決定打となった思いは、「医学部内には私の代わりになる人がいる。優秀な先輩、後輩、同輩がたくさんいる。しかし、医療構造改革のような労力が多いだけでなく、医師にとっての不利な状況を自ら作ることを目指す人はめったにいない」というものでした。自己の栄誉のために同僚たちと戦うか、天下国家のために自己を犠牲にして戦うかを考えたときに、私は天下国家のためを第一選択としたのです。
健康保険をやめて自由診療に立脚した
そこで私は、「労少なくして益多し」を医師に与えてくれる健康保険の医療に取り組むのをやめて、内科領域の自由診療となる四谷メディカルサロンを作りました。「健康保険制度の中で築かれた医療は他の医師でも十分に執り行うことができる。私が取り組むのは他の医師にできなかった医療だ」と自分に言い聞かせ、自ら退路を断って、「医師と患者との生涯の人間関係」を土台とする医療体制作りに没頭することになったのです。
当時すでに、「健康保健制度はやがて破綻する。破綻しても、破綻の実情は見えにくいが、間違いなく社会の諸方面にしわ寄せが来る。改革に手を挙げる人は誰もいないであろう。その時に私は救世主として君臨する」という強い思い、自己の将来像を描いていました。その将来像の実現に向かって志を貫き通すことに自己の人生の意義を見出していました。その自己の将来像に向かって、一死をいとわず、その志を貫き通す、と深く覚悟を決めて、メディカルサロン作りに乗り出したのです。
「医師と患者(会員)の生涯の人間関係」から派生し、誕生した新しい医療体系
当初は家庭教師的に、「受療した医の内容を解説する」というものからのスタートでした。この「解説」は、やがて健康教育体系へと進化しました。
「医師の立場から、会員の生涯を見ていく」というスタイルの中でプライベートドクターシステムを構築し、予防医学の徹底した充実に励みました。目先の問題としての体重管理指導から始まり、容姿、体力、意欲の回復医療を内包し、寿命管理、体調管理、容姿管理の観点からの健康管理学の創設にいたりました。さらに体調管理を「疲労回復の医学」「身体能力向上の医学」「知的能力向上の医学」「意欲向上の医学」に4分類し、今もますますの進化を遂げています。
予防医学の実態は「予想医学と先回り予防」であると定義し、そこから生まれた健康管理の学問化だけでなく、「1人の人を生涯にわたって見守っていく」という信条のもとで、数々の新しい医療体系も生まれ出たのです。
バリエーション豊富な体重管理指導(朝だけダイエット、クロムダイエット、マジンドールダイエットなど)、やがて老化していく身体の生涯のことを気遣うからこその容姿、体力、意欲の回復医療(プラセンタの利用や成長ホルモンの利用)、1人の生涯を考えると子供の身体づくりが気になるからこその背を伸ばす医療などは、「医師と患者間の生涯の連続する人間関係」に意識を向けているからこそ、本来の予防医学から派生し、誕生したものです。
会員(患者)管理システムの構築と多院展開
「医師と会員の間で人間関係を構築し、それを土台として健康管理指導を実施する」というのは、「365日、24時間体制で会員の健康を見守る」も意味します。急場に備えて24時間オンコールの携帯電話を持つのは当たり前でした。その当たり前以上に会員の健康に関連する多くのことを把握しなければいけません。患者の情報を医師の立場だけでなく、いろんな観点から集めたい、という思いは募る一方でした。会員との会話(コミュニケーション)の内容をすべて記載するカルテの体裁はできあがりましたが、看護師の観点からどのような会話があったか、事務スタッフの立場からどのような会話があったかも知らなければ、本当にすぐれた「生涯を見ていく医療」は実施できません。その情報収集には特に尽力しました。メディカルサロンのカルテにはいろんな立場からの書き込みが見られます。
平成12年の頃、メディカルサロンを創業して8年ぐらいたった頃からIT技術の著しい進歩が見られ、CRM型顧客管理が可能になりました。私はすぐさま、その管理システム(セールスフォース社のクラウド)を患者管理のためにメディカルサロンに導入しました。医師、看護師、事務員と、患者との間で何かの会話(コミュニケーション)があれば、その内容をすべてインターネット上の管理システムに入力します。医療行為を実施すればすぐに入力します。入力された内容は、パソコンがあれば専用のID、パスワードを用いて、どこからでも引き出すことができます。(「情報の共有化」といわれます)
このシステムの導入により、私は東京に居ながらにして、日本中の患者(会員)の身体情報を入手することが可能になりました。診察によって得た情報、実施した医療行為だけでなく、看護師との会話、事務スタッフとの会話も入手することができました。当然、私が東京にいても、「今、○○さんが心斎橋メディカルサロンにきて、医師の指示どおりにプラセンタ注射を行った。その際に看護師とこんな会話があった」「新規の○○という人が、メディカルサロンの医療に関して名古屋メディカルサロンに、こんな内容の問い合わせしてきた」などを直後に把握するのは朝飯前のことになりました。「社会保険庁」のみっともない管理力の比ではありません。
この素晴らしい患者管理のシステムは、メディカルサロンの多院展開を可能にしました。2~3年の歳月をかけて全スタッフがこの管理システムを使いこなせるようになった後、メディカルサロンの組織は急成長したのです。各院に管理医師、パート医が設置されますが、それに加えて、情報が私のもとに一元化されますので、多院展開による管理力の低下が起こりません。「管理力の低下が起こる、起こらない」という次元の問題ではなく、けた外れに優れた管理体制が自然と多院展開を後押ししたのです。
多院展開は私のもともとの本意ではなかったのですが、「当地にも来てほしい」という現実上の要請があったことと、生涯テーマの一つである「健康教育」を進める上で、「キリスト教布教における教会」に相当するものも必要であると判断し、やがて健康教育の拠点施設へと変貌させていくことを目的として、各地にメディカルサロンを開設したのです。
一助として、あるいは救世主として
「医師と患者間の生涯の連続する人間関係を基本として医療を再編成する」という基本構想は、将来の医療現場を再編成するための礎を築きました。
やがて来るべき医療制度崩壊の日には、私が豊富に経験した「医師と患者間の生涯の連続する人間関係を基本とした医療」は、医療構造改革の大きな一助となることでしょう。菅原道真、源義経、足利義満、織田信長、田沼意次、吉田松陰、坂本竜馬、田中角栄、小泉純一郎の末路が示すように、「とび抜けた貢献者(実力者)は抹殺される、あるいは黙殺される」という日本の特質がありますが、時が来れば、それを覚悟して、救世主として立ち上がらねば、と思っています(小泉元首相が先手を取って自ら身を引いたのは見事だと思います。見習うつもりです。小泉元首相の場合は「末路」という表現は不適切です)。
外野との戦い
「下衆の勘繰り(げすのかんぐり)」という言葉があります。「卑しい者、考えの浅はかな者は、不必要に気をまわして、見当違いの邪推をすること」という意味です。
「1人の生涯を連続してとらえる予防医学から派生して生まれた新しい医療体系(ダイエット医療、容姿、体力、意欲の回復医療など)」に対し、近畿厚生局は「医薬品の乱用をすすめるもの」と誤解しました。
「医師・患者間の人間関係を基本とした上で、進化したIT技術を使いこなしているから日本中にメディカルサロンと患者が存在し、それを見事に管理していける」という状態に対し、大阪地検は「日本中に開設して、大きくなりすぎたから管理ができていないに違いない。いい加減な医療が存在するはずだ」と思い込みました。
健康教育の必要性を思いやり、学ぶ人に喜びを与えようと思って築いた健康管理指導士の資格をいくつかの新聞社は「医療行為の実施を認める資格を与えた」と曲解しました。「多彩な情報収集が可能になるカルテ」に対して、NHKは「医師でないものが診療した」と煽動しました。
私の志操に対しても、国家やマスコミが、「下衆の勘繰り」状態になっていることには、「国家の行く末」というものに対する深い憂いを感じざるを得なくなります。しかし、私は自己の描いた将来像に向かって志を貫徹していく人生以外を考えたことはありません。