風本流医療構造改革・論議編
その15「臓器移植医療の未来像に見る風本流医療構造改革の真髄」
臓器移植法の改正
臓器移植法が改正されました。これにより、「心臓が動いていても、脳が死んだらその人は死んだものとみなす」ということが確定しました。「心臓が動いているのに、その人はすでに死んでいるんだよ」という話がまかり通るようになることは、一種の気色悪さを感じます。しかし、やがてこの事象にも全国民は慣れていくことでしょう。「脳死=首をちょん切った人体の姿」と思い直し、首をちょん切られた人がその後に生き延びられるかを想像すれば、慣れやすくなるかもしれません。
当然、この移植法が改正された裏には、医療事情のプッシュアップだけでなく、社会事情のプッシュアップが存在します。移植医学を進歩させることは、医学会における世界的な潮流であると同時に、発展途上国における臓器売買の進行を食い止めることにもつながります。世界的な臓器売買の進行を止めるには、少なくとも、日本人が海外渡航して臓器を移植するという状況からできる限り早く脱却しなければいけません。
臓器移植ネットワークの充実化
臓器移植後には、免疫抑制剤を飲み続けなければいけません。免疫抑制剤にも長期投与のうちにはいろいろな副作用がありますので、臓器移植により、その後の長い人生がまっとうされるということは現時点ではありえません。しかし、少しでも長く生きたいという単純な思い、自分の命が継続することが小さくは家族のため、大きくは社会のためになるという思いが臓器移植へと駆り立てます。その思いが満たされる社会を作ることに異論もあるかと思いますが、医学者側としてはその社会を作りたいと願うのは当然のことです。
家族の同意、承諾があれば臓器提供者となることができるようになりましたが、臓器提供を受ける予定の患者や医師側は、その提供者が広範に現れることを期待し、臓器移植のネットワークが充実することを願っています。全国民側の立場としても、自分が万が一の病気にかかった日に備えて、このネットワークが充実することを期待しておくべきかもしれません。つまり、臓器移植に否定的な所論があるとは思いますが、この臓器移植ネットワークが日本国内で充実していくことには、感謝の念を表していくべきなのです。
医療機関三分割の原点
さて、ここで、私が主張する医療構造改革の原点に立ち返ってみたいと思います。「医療機関を三分割し、その1つとして国家直営の医療機関群をつくり、健康保険の掛け金を払えない人たち、健康保険の自己負担分を支払えない人たちは、この国家直営の医療機関群に通うようにする。また、難病などで治療計画に研究的要素が入るために治療費を本人に負担させるべきでない患者も、この医療機関群に通うようにする。さらにこの医療機関群は最終救急体制を担う」というのが骨子です。この医療機関群の中枢人員は、国家公務員であるべきだとも述べました。
国家直営医療機関群の外来を担当する医師は、大学病院や一般の中核病院から派遣されてきたパート医師で構いません。この国家直営の医療機関群には、医療研究を推し進める対象となる患者が大勢通院していますので、大学病院からは医師パートの申し出が殺到するのは言うまでもありません。したがって、パート医師の報酬は少なく設定できますので、医療社会全体として医療費の抑制の一助になります。
また、この医療機関群は、決して不備、不足な医療を提供する場ではありません。通院している患者は会計不要ですが、必要な医療サービスは担当医の判断で、きちんと提供されます。ただし、医師への評価システムは、従来医療機関とはまったく逆で、1人あたりの医療費をどこまで少なくできるかになりますので、この国家直営の医療機関群においては、過剰診療はなくなります。
健康保険、その本来の姿
維持費は、国の税収でまかなわれることになります。患者からは1円も頂かないので、全維持費は国の支出ということになります。その原資は、国民から幅広く徴収された税収です。従来の国民皆保険下の医療においては、原資の大半が健康保険の掛け金でした。つまり、健康保険の掛け金を支払っている人たちから、お金を集めて、支払えない人へも配分していましたので、不公平的負担であったのは間違いありません。健康保険の過剰な掛け金が現役世代の生活を圧迫しているのは言うまでもない事実です。
健康保険というサービスの枠でなされる医療は、健康保険の掛け金を支払っている人に限って提供される、という前提ができるのです。高齢者であっても同様です。高齢者であっても掛け金を支払っている人は従来型の病院へ通い、掛け金を支払えない人は国家直営の医療機関に通院するということになります。考えてみると、保険というのは、掛け金を支払っている人どうしの互助システムですから、本来の姿に戻るというだけの話に他なりません。
臓器移植の未来展望
ここで、私が主張する医療社会三分割において臓器移植法を考え直してみると・・・医療社会の新しい未来の展望が見えてきます。倫理上、多くの反論が沸騰するのは目に見えていますが、あえて極論を述べてしまいます。
「国家直営の医療機関に通う患者は、脳死後には、担当医の判断で臓器提供者になれる」というシステムです。この議論は、全国民で深めていただきたいと思います。
医療費を負担できない人たちに対しては、全国民から徴収したお金で、その医療費を肩代わり負担していることになります。いわば、医療費を負担できない者は、過去の貢献はさておいて、国家の収支的には「厄介者」であるのは間違いありません。しかし、「自分達の臓器は、脳死後にもれなく提供する」と宣言してしまえたら、その日から「全国民から感謝される者」へと変身するのです。
鉄砲伝来以来、あるいはその以前から、あるいは明治維新以来、世界の最先端技術が日本に導入された後、30~50年を経て、その分野で日本は世界一になるという歴史を持っています。臓器移植という医学に関しても、気がついたら世界一になっていたという日が来そうな気がしてなりません。