風本流医療構造改革・論議編
その3「処方用医薬品業界の特質・・・かわいいやっちゃなあ、と思ってもらうために」
医薬をめぐって
AとBという二つの医薬品があります。この二つは一定レベルの効果があることは証明されています。その上で、どちらの医薬品が優れているかを調べるとします。医学、薬学は科学ですから、多くの人は科学的に調べられるであろうと推測します。しかし、この業界を知っている人は、科学的な検証より優先するものがあることを知っています。
AとBの医薬としての優秀性を判定するのは、厚生労働省と選ばれた医学者です。この二者が、AとBの医薬品の各製造会社に対して、「かわいいやっちゃなあ」と思っているほうが、優秀な医薬品と判定されるのです。科学的要素はかなり希薄と思っていいでしょう。「医療の業界にまで、そのような癒着現象が蔓延しているのですか?」と素朴な疑問を持つ人もいるでしょうし、「そんなのあたりまえじゃないか」と思う人もいることでしょう。
医師が扱う処方用医薬品というのは、身体への作用を持っています。狙い定めた作用が主作用、狙い定めていない作用が副作用です。この二つは表裏一体のもので、たとえば、副作用として「便秘する」という薬は、状況によっては下痢患者に対する「下痢止めの薬」として利用できます。「血圧が上がる」という副作用を持つ薬が、状況によっては「低血圧の治療」に使えます。発疹や肝障害などは、どんな薬でも副作用として一応念頭におかれ、これらは必ず一定の割合で生じます。この「一定の割合」という一言が重要で、だからこそ「処方用医薬品」になり、その医薬品を利用している患者を管理している医師が存在する、という体制になるのです。
この「一定の割合」を大げさに表現するか、大したことなさそうに表現するかは、まさに判定する人のさじ加減になります。日本人は「科学」よりも「情緒」の影響を受けやすい民族ですので、この表現だけでその医薬品の運命が定まってしまいます。
インフルエンザの治療薬で「タミフル」という薬があります。治療薬として優秀な薬ですが、言うまでもなく身体に作用する薬ですから、一定の割合で副作用は生じます。この副作用の重大性は、テレビなどでも取り上げられましたのでよく知られています。ところで、このタミフルの製造会社に対して、医学会の重鎮や厚生労働省は「かわいいやっちゃなあ」という気持ちを持っています。だから、この薬に問題があっても、「大したことはない」という表現を押し通そうとします。
「プラセンタ注射」の名で知られている「ラエンネック」という薬があります。もともとは肝臓の治療薬ですが、疲労回復や熟睡感向上などの体調管理、アトピー性皮膚炎や乾燥肌の治療など容姿管理に転用されて優れた効果を発揮します。それらの効果のおかげで、このラエンネックは、日本中に普及しました。
ところで、医学会のお偉方や厚生労働省は、このラエンネックの製造会社に対して、「かわいいやっちゃなあ」という気持ちを持っていません。普及していく姿に対して「苦々しい気持ち」を持っています。言うまでもなくラエンネックも身体に作用する薬ですから、一定の割合で副作用は生じます。その際には、「日本人は科学よりも情緒で動く」という法則が思う存分に発揮されるため、この副作用が医学会や厚生労働省にお付きの報道陣を介してとてつもなく大げさに喧伝されてしまいます。
副腎皮質ステロイド剤である「ケナコルトA」という薬があります。もともとは、慢性関節リウマチや気管支喘息、関節炎の治療に用いられる薬ですが、花粉症の治療に強力な威力を発揮します。花粉症治療の目的で日本中に普及されつつあります。言うまでもなく身体に作用する薬ですから、一定の割合で副作用は生じます。この一定の割合で副作用が生じるというのは、他の花粉症治療薬と同じです。だから、医師の管理下投与になります。
ところで、ケナコルトAの製造会社に対して、医学会、厚生労働省はどのような思いを抱いているのでしょうか?「かわいいやっちゃなあ」とは思っていません。苦々しい気分で見ています。また、健康保険の適応になっていないので、一般の保険診療の病院では混合診療となり取り扱い難いという実体があります。当然、医師会には嫌われます。また、保険適応にすると抗アレルギー剤に莫大な研究費をかけてきた他の製薬会社が大打撃を受けることになります。
となると・・・。花粉症の季節に1回限りしか投与しないこの注射に対して、長期連用した場合の副作用を声高に喧伝するなどの手法で、なんとかこの治療の普及を阻止しようとします。しかし、普及の勢いが止まりません。このケナコルトAに対して、医学会、厚生労働省はどのような奇策を打ってくるでしょうか?「かわいいやっちゃなあ」と思われている他社が同様の薬品を製造することも可能なのですから、この辺は今後が見ものです。この号が皆さんの手元に届く頃には、何かの手が打たれているかもしれません。
製薬会社側は「かわいいやっちゃなあ」と思ってもらうために、あの手この手と日ごろから出費活動を繰り返します(贈収賄や準贈収賄接待などの違法行為のことを言っているのではありません)。
いわゆる「官・業」の護送船団方式が、医薬をめぐるこの分野ではいまだに健在です。厚生労働省と医師会はある意味で戦いを展開していますが、両者に可愛がられたい製薬会社が、不明朗な橋渡し役を演じます。その結果、医療社会の非効率性がここにも生まれてしまうのです。
「今日の治療薬」という本を開くと莫大な数の治療薬が掲載されています。医科向けの処方用薬だけで、おそるべき数です。同じ作用の薬が、各製薬会社から出されています。「ジェネリック医薬品」などという名称でマスコミに宣伝をさせ、国民の同意を得たつもりで同じ内容の薬が多種類的に認可されました。頻用される医薬品を「かわいいやっちゃなあ」と思っている製薬会社に製造させてあげたかった気持ちがこの現象をなさしめたのかもしれません。大義名分は、「医薬品価格を下げられる」です。しかし、医師に対して自己の医薬品を選んでもらうために、どのような現象が起こっているかは想像するまでもなく、このことが生み出す非効率性が、結局は医療社会の首を絞めることになっていきます。
以上のような話をすると、業界全体が悪に染まっているような誤解を与えてしまいます。実際には、忠実無比に医療社会のことを考えている大先輩や官僚がたくさんいます。しかし、その人たちたちは迎合的妥協を認めないことが多いので、既得権益が完成している今の医療業界からは敬遠されがちなのです。
この分野の改革は至難です。道義的要求を突きつけてもうまくいかないでしょう。ただし、同系統医薬品を大胆に減らして、1系統2薬剤までにとどめ、スリム化した上で、医薬品に関する教育活動を広く国民向けに興し、「医師からもらう薬を指名する」という風潮を起こすことが大きな解決策にはなろうかと思います。
この教育活動を行い、「医師からもらう薬を指名する」というのは、メディカルサロンが創業時から取り組んできたことで、その運動を起こせばどのように進展するかが私の胸の中には収められています。
また、医療社会の中枢に、軍隊と同様、国家や全国民に対して忠誠を誓う一軍を創出することも打開策になります。その一軍の動きが、テレビの一定コーナーを通じて、逐一公開されていく体制ができればなおいいでしょう。
「医療社会に創出するその一軍こそ、救急医療と生活困窮者への医療を無償でおこなう国家直営の医師軍団であるべきだ」というのは、私の医療構造改革八策の一つです。