月刊メディカルサロン「診断」
創業者、経営者としての心の変遷(後編)掲載日2025年2月28日
月刊メディカルサロン3月号
なぜインドエステは大流行したのか
それにしても、平成5~7年のインドエステ全盛の時代に、「この技術で脂肪がグニョグニョ移動する。しこりつぶしの技法で脂肪がなくなり痩せる」のうたい文句で、なぜあんなに大勢の顧客を集めることができたのでしょうか?
当時の人たちは、「痩せるためには、食べる量を減らさなければいけない」という今では常識の理屈を知らなかったのです。インドエステに多くの顧客が集まったのは、まさにそれを証明しています。
高度経済成長の末頃から輸入肉の自由化で肉食化が進み、平成バブルの頃から太っている人が目立つようになりました。しかし、当時の人たちには、「太っていることは富の象徴」「一粒残さず食べなければいけないという躾(しつけ)」「美味しいものをお腹いっぱいに食べられることへの憧れ」があいまって、どうしたら痩せられるかに関して、「食べる量を減らす」という答えを信じたくなかったという背景もあったのです。
だから、「インドエステのマッサージ技法で痩せる」に人が殺到し、その業界は巨大な売上げを得ていました。その頃、医学界の重鎮が何かのインタビューで、「エステに通って毎回5万円10万円と支払っている人たちが、病院で1万円を支払うことになったら高いと言って不満を言う。けしからんことだ」と語っていたのを覚えています。
また、テレビ番組で「○○を食べれば痩せる」と放映すれば、その○○がスーパーマーケットであっという間に売り切れてしまう、という時代にもなっていたのです。
テレビ局には食品会社がスポンサーとしてついています。当然、「食べる量を減らしなさい」という話は絶対禁句だったのです。うかつに話せば、話した人はテレビの世界から干されるのは明白です。
そんなわけで、「太っている原因は食べ過ぎていること。だから、体重を減らすためには食べる量を減らさなければいけない」という啓蒙は高まらなかったのです。
食べる量を減らせば痩せる
一方、平成7年の頃には、私は健康管理の観点からのダイエット指導の手法を完成させていました。
「水を飲んでも太るのです」
という人には、
「1カ月間、水を飲むだけで過ごしてごらんなさい。10㎏以上は落ちてしまいます。ちょっと食べれば10㎏しか落ちない。もうちょっと食べれば7㎏しか落ちない、さらに食べれば3㎏しか落ちない。結局は今の体重を維持するだけ食べているから落ちないのですよ」
「ここ1ヶ月体重が変わっていないのなら、食べたカロリーと消費したカロリーが釣り合っているということです」
などの説得力のある話法を組み立てながら、要所で食欲抑制剤を用いて、「食べる量を減らせば痩せる」のダイエットの原理を実体験してもらい、末永い食生活改善に取りくんでもらう、という地道なダイエット指導を推し進めていました。
時を同じくして、「しこりつぶしの技法で痩せる」などのトークで、1人当たり100万円分もの前売りチケットを販売し、余ったチケットは期限切れで無効になるという当時のシステムの中で、当然、顧客の不満は高まっていました。何よりも実際には痩せないというところに問題がありました。エステ業界が猛烈に非難されだしたのです。
事(こと)、ならざれば一死あるのみ
その時、美容外科医たちは「化けの皮がはがれた。ざまあみろ」の調子でした。私が心の中に抱いたのは、「これでちゃんとしたダイエット原理が世に広まるかな」ではなく、「エステ業界を救ってあげなければいけない」という思いでした。「困っている人を救う」というのは医師として当然の心得ですが、経営者となったその時でも、当たり前のようにそう思ったのです。
当時、「プチ美容整形」のキャッチコピーで興隆し始めていた美容外科が、これ見よがしにエステつぶしに走っていたのとは正反対の思いでした。思い起こせば、「三時間待ちの3分診療のために困っている人たちがいる。その人たちを救わなければいけない」という思いが、私の事業の発起点でした。
しかし、当時の私はマンションの一室から、ビルの2階に移動したばかりで、私以外の従業員も看護師一人だけという弱小な存在です。その弱小な存在でありながら、なぜか心の中は「その混乱最中のエステティック業界を救わなければ」と思っていたのです。自分の将来が不安のはずなのに、「他者を救わなければ」と思っていたのだから、これはおかしな話です。
当時の私は、いや、今でもそうですが、「資産の第一は知的資産。第二が人的資産、第三が名声。その3つを追えば後ろから財的資産がついてくる。財的資産を追えばすべてを失っていく」という思想の塊だったのです。その思想は、自己の人生を美化するために、今になって取ってつけた話ではありません。まさにその当時である平成7年に執筆した『一億人の新健康管理バイブル』(講談社)の「おわりに」にそれを書いています。ぜひ、読んでいただきたいものです。
ダイエット指導という私の知的資産を用いて、エステティック業界を救う。救う過程で人的資産、名声を獲得できるかもしれない。結果的に財的資産になるか、逆に財的資産を失うかはそのあとの問題だ。そんな思いだったのです。
「自分の将来さえ不安のはずなのに、他者を救う、なんてよく言えますね」と誰かが私に揶揄してくれば、私は次のように答えるつもりでした。
「事(こと)、ならざれば一死あるのみ。自分の人生がうまくいかなければ、切腹して死に果てるのみです。その覚悟で生きていますから、将来の不安などありません」
しかし、私をそのように揶揄する人はいませんでした。これには余談があります。「事、ならざれば一死あるのみ」は私の口癖になっているようで、私の誕生日に、当院のスタッフがその言葉をプリントしたTシャツをプレゼントしてくれました。
「行けばわかるさ」の世界
さて、エステ業界を救うためにどうしたらいいのだろうか。宣伝広告する費用など手元にありません。弱小存在が打てる方法は、ただ一つ、「とにかくエステ店舗に電話をかける」です。いわゆるテレアポです。それも私がやるしかありませんでした。
私がテレアポをやるしかないのか・・・。私はまだ30歳過ぎの若さであるとはいえ、医師として歩んできた経歴上のプライドがあります。「テレアポを自らする?やめた。そんなことまでする必要はない。私は私の健康管理指導の道だけでいい」と何度も思ったものです。
しかし、その時、ある発想が湧きました。「何事も調査研究だと割り切ってしまう」という発想でした。調査研究の一環としてテレアポという活動を行い、その調査結果、経験結果をまとめるのだ、という発想です。すると、自分がそれを行うというプライド上の問題は消えました。
実際にタウンページ(電話帳)を取り寄せて電話をかけてみました。困っている相手を救うために差し伸べたつもりの電話も、相手にとってみるとただの営業電話に聞こえるようです。「間に合っています。ガチャン」「営業電話お断りです。ガチャン」の洗礼にあいながら、でも、その電話を繰り返しているうちに、「診療現場には食欲抑制剤のマジンドールという薬があって」の一言が有効であることに気づきました。これは私にとっては大発見でした。医師にとって医薬品の明確な名前は表立って語らないことが暗黙のルールだったのです。今でも医師は、「血圧の薬を出しておきますね」と患者に話すことはあっても、「血圧の薬の一種で○○という名前の薬を出しておきますね」とは決して語りません。
私はダイエット原理の教育システムをエステ業界に普及させることをイメージして電話先の相手に話していたのですが、それは相手には迷惑話だったのです。しかし、「食欲抑制剤マジンドール」というキーワードをシンボル用語として話して、相手が反応してきたところで、ダイエット原理の話に持ちこむと、相手の興味、関心は広がるのです。「マジンドール」という語に強烈に反応することは、テレアポを始める前には気づきませんでした。はじめは、体重管理の理屈を世に広めたいという思いで、電話口でそれを話しても、相手は聞くのが面倒なだけの様子でしたが、たった一つのキーワードに強烈に反応するのです。
自らテレアポを行わなければ気がつかないことでした。アントニオ猪木さんが後に言った「行けばわかるさ」の世界がそこにあるのです。自ら動かないで理屈だけを述べていては決してわからないこと、気づかないこと、つまり、最前線に出て実際にやってみなければわからないこと、気がつかないことが世にはたくさんあるのです。
名づけて「頼朝プロジェクト」
テレアポで話をしているうちに、「私は弱小な存在、相手は困難を抱えたとはいえ隆盛を誇っていたエステティック業界。しかし、電話で話している相手の一人ひとりは、私と同じく弱小な存在」であることに気づきました。そうしながら、私は「源頼朝の挙兵みたいだな」という気がしていました。
後に武家政権を樹立した源頼朝も、最初は伊豆に流された一人の男に過ぎず、その地で20年もの間、何食わぬ顔で過ごしていました。当時は、平氏政権の全盛時代。しかし、「平氏にあらざれば人にあらず」などと傲慢に語る者も現れた中で、平清盛が後白河上皇を幽閉するという暴挙をなしました。その時、皇子である以仁王(もちひとおう)が、平氏を打倒せよという令旨を全国に発したのです。その令旨により、全国各地の土豪勢力は、平氏に対する与党になるべきか、野党になるべきかの選択を迫られ困惑し、混乱していました。平氏は野党勢力に対して武力鎮圧に向かいました。となると、平氏に対する野党になるに違いない源頼朝は追っ手を差し向けられることになり反平氏の旗揚げをせざるを得なくなります。北条時政から預かったわずか300人で、3000人の相手との戦い(石橋山の戦い)を起こしました。その戦いでは木っ端微塵に敗れましたが、その一戦をきっかけに、一年もしないうちに関東一円に大勢力を築いたのです。
頼朝がもともと持っていたのは、源氏の嫡流であるという名声のみです。世に困っている勢力がある時に、その名声を持つ者が大義名分とメリット供与を語れば、たちどころに大勢力をつくることが可能であることを証明しています。高杉晋作のたった82人の功山寺挙兵も同じようなものです(後に倒幕を実現)。今の私はたった一人で伊豆に流された源頼朝のようなもの、あるいは功山寺挙兵の高杉晋作のようなもの・・・。
私には名声などない。いや、私には医者になって4年目で慶応病院の内科外来を担当したという事実と執筆して世に出したばかりの書籍『一億人の新健康管理バイブル』(講談社、平成7年)、そして、新聞、雑誌のインタビュー記事がいくつかある。この名声を利用すれば、瞬時にして巨大勢力になるのも不可能ではない。
この事業を「頼朝プロジェクト」と名づけ、やり遂げてやると決心しました。事(こと)、ならざれば一死あるのみだと・・・。
知的資産、人的資産、名声を追い、財的資産が後ろからついてきた
結果、従業員の看護師一人と、その後に私の元に来てくれた男子スタッフ1人のたった3人で、一年もしないうちに、エステティック業界内にメディカルダイエットシステムという大勢力を築くことに成功したのです。
一つのセオリーを広めるためには、シンボル的なキーワードを設け、そのキーワードを先鋭的に語るのに沿って本質のセオリーを普及させていく。経験したその法則を活かして、後に書籍『お医者さんが考えた「朝だけ」ダイエット』(三笠書房、平成12年)を完成させ、それは紀伊国屋書店で『ハリー・ポッターと秘密の部屋』(静山社、平成12年)が現れるまでの16週間で連続一位という大ベストセラーとなり、「ダイエットのためには食べる量を減らすしかない」を世に普及させたのです。シンボルワード「朝だけダイエット」で人々の関心を引いて、本質のダイエットセオリーを世に定着させたのです。60万部分の印税収入とその周辺収益のおかげで無借金状態となり、後の事業遂行の礎になりました。最終的に印税収入につながるなど、まったく想像していませんでした。
まさに知的資産、人的資産、名声を追えば、財的遺産が後ろからついてくる、というものでした。