月刊メディカルサロン「診断」
プライベートドクターシステムの始動(後編)月刊メディカルサロン1997年3月号
前号からの続きです。
コレステロールや血圧の正常・異常の境目が杓子定規なのに、全ての人をこの基準で統一している
コレステロール221mgの人は異常値とされます。ところが219mgの人は正常とされます。221と219の間に実質的な違いはありません。しかし一方は「異常だから治療が必要です」と言われ、もう一方は「正常だから心配ありません」と言われることになります。
「正常異常の分岐点をどこに設けるか」は保険医療制度上の都合によってきめられています。これは納得のいかないことでした。原則論として「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」となっており、これによれば「人の命の重さは皆同じ」となりますが、現実には「特に命の重い人」が存在しています。その人の《死》が多くの人(社員たち)の生活を苦しめることになってしまう人や、社会貢献度の高い知的資産を有している人たちがいるのです。その「命の重い人」に対しても、杓子定規的に保険医療制度のみに依存する医療・健康管理を行っていていいのだろうか、という疑問はいつもありました。
長期入院している高齢者に施す医療がマニュアル化されている
ある場末(失礼!)の病院へお手伝いに行ったときのことでした。85歳のおばあちゃんが重症の肺炎にかかっていました。あらゆる治療は尽くされていましたが、なにせ高齢で効果が乏しいようでした。「あと2~3日もつかどうかかな」と思っているときにその病院の院長がやってきて突然叫びました。
「その患者、今月分の頭部CT撮ってないから今のうちにとっといて」
その一言を聞いて私は愕然としました。肺炎で死にそうな患者に今のうちに今月分やり残している検査をやってしまってくれということなのです。保険医療制度上、ある診断名をつけると、月に1回頭部CTを撮影でき、その費用を保険請求できることになっています。この院長は肺炎で死と直面している患者に、早く今月請求できる頭部CTを撮っておくようにと指示しているのです。一部の病院ではこんなにも医療が退廃していたのです。経営困難と直面しているのだろうか、それとも病院経営者の我欲なのだろうか・・・その後も、それに類似するケースはあちらこちらで経験することになりました。その頃、日本社会の発展に貢献してきたすぐれた医療保険制度は、近い将来財政面から必ず破綻を来すことになると、私はすでに感じとっていました。
考えれば考えるほど問題点は次から次へと湧いてきました。その問題点が根源にあるから、マスコミが取り上げる医療への不満、患者の医療への不信、それ故の健康不安が生じているのです。ということは、プライベートドクターシステムは、会員になった瞬間にそれらの問題点、不満、不信、不安は一気に解消されるようなシステムにするのが肝心だと思いました。
そのためにどうしたらいいのだろうか。まず、そのような問題がなぜ起こるのか考えてみました。問題となる根本事象を探したのです。そして得た結論は、「現医療は医師と患者とのつながりが《その場限り》になっている。《その場限り》が繰り返されて、医療が形成されていた」ということでした。
ということは、理想を目指す第一段階として、まずは一生にわたる人間関係を素地にした仕組みにしなければならない。強固な人間同士の関係がまず必要だ。ということはやはり会員制になる。そう考えたときプライベートドクターシステムの第一義として「会員と医師との一生涯の友諠関係」を挙げることになりました。
プライベートドクターシステムは、いよいよ動き始めたのです。
(→次号へ続く)