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月刊メディカルサロン「診断」

国の姿、どうあるべきか?月刊メディカルサロン2009年9月号

私の生涯テーマは、昔から語っている通り、

の6つです。それらのテーマに向かって、使命感に燃えて日々の活動に取り組んでいます。

「日本における医療社会を成長させ、高度経済成長を下支えしてきた健康保険制度(国民皆保険)が足かせになって、国民が苦しむ日、もちろん医療従事者もおおいに苦しむ日が必ず来る」と宣言して、平成4年に四谷メディカルサロンを創業、世に乗り出し、著書を執筆しながら、内科領域の自由診療組織を築き、今では、長年の経験に基づくオピニオン発信をするに至りました。その内容は、医療構造改革・論議編で述べさせていただいておりますが、それをまとめながら一方では、何度も何度も「国の姿、どうあるべきか」を自問自答してきたものです。

さて、8月30日の衆議院選挙は、民主党の大勝になりました。日本国家のためには素晴らしいことだと思います。私が民主党のファンというわけではなく、自民党を憎んでいるわけでもなく、正々堂々たる(準)二大政党制が完成し稼動し始め、「失政すれば政権を失う」という当たり前のことが実現できる国家の姿になった、という意味で素晴らしいことだと思っています。「財源どうする」「不安が云々」などというのは後回しの課題でよく、単純に国家の姿が整ったという意味で、心の底から「良かったなあ」と思っています。ただし、日本人は大義名分下での文句を言うことに優れた民族で、その文句に端を発して一方向になびきやすいので、今後はオセロゲームのような政権交代の日本社会になるであろうことは想像に難くありませんが、それも後の課題です。

しかし、それでいいのです。政権が容易に変わるという前提下では、行政内に極秘事項を温存することが難しくなるので、行政組織が己の意思を持つわけにいかなくなり、「行政が行政である=官僚が官僚である」という姿を築けるからです。思えば、官僚が何かの意思を持ち、自民党を介してその意思を実現していくという国の姿が続いたことがむしろ不思議です。国民の意思が政治家を通じて立法機関を介して実現されていく、という当たり前の民主主義国家でなければいけません。

さて、これらの一連の国体の変化は、ひとえに小沢一郎氏の実力の賜物であると私は思っています。小沢一郎氏は「二大政党制を実現させる」と語って、自民党を飛び出し、細川政権下で小選挙区制を法制化させました。二大政党制を実現する、という目標に小沢一郎氏が終始一貫していることを肯定すれば、その他の事象はそれを実現するための手法上に付随するものに過ぎない、ということが理解できます。マスコミや捜査機関は、その付随物を取り上げて、本末転倒的に論じることを仕事としてきたに過ぎません。

小沢一郎氏一人がいなければ、日本はいまだに中選挙区制の中で自民党による一党半独裁体制が続き、大多数の弱い国民の意思が反映されない国家から脱却する糸口さえつかめなかったことでしょう。たった一人の実力により、国の姿が変わったのです。余談ですが、実現させるまでの過程では、「魚釣りに興じる姿」をマスコミに報道させ、無欲の装いにまで気を遣っています。あの姿を見て、「あまりに動かざるは、かえって大いなる動きによる」「その備えざるを収め、その不意に出づ」という兵法を思い起こし、ひそかに期待の思いを高めていたのは、私だけではなかったことでしょう。

何はともあれ、私は「小沢氏一人の実力だった」というところに注目し、自らの励ましにしようと思っています(マスコミや捜査機関が付随物を誤認的に取り上げたところも似ています)。医療構造改革に向かう私の気構え、そのものだからです。

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